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推しを救いたいだけなんです!  作者: 江藤樹里
ペインフォード編
39/233

39 春を告げる花の日


 ひどい風邪だった。咳が出て熱も出て碌に動けない。伝染っては大変、とアイリスとは部屋を離された。


 使用人室の余っている部屋に隔離されて、日に数回ミリーが様子を見に来てくれる。料理長が消化に良く食べやすいものを作ってくれて、それをはふはふと冷ましながら食べた。推しは風邪を引かなかったらしく、でも話を聞いて風邪薬を調合してくれた。私は推し自ら調合してくれたことを神に感謝し、推しにも感謝し、風邪薬を飲んだ。この世のものとは思えないほど苦かった。


「うー……」


 ベッドに転がる。熱も出ているし意識が朦朧とした。それでもミリーからスタンリーが無事に意識を取り戻し、特に後遺症もなく順調に回復していると聞いて安心はしていた。ジャックが推しや使用人、街の人たちに礼を言って回ったと聞いた。風邪をひいた私にはお見舞いの品として林檎をいくつか持って来てくれた。


 そうして仕事を休んで食事と薬を飲んで数日過ごせば、ある日すっと熱が引いた。咳も止まった。嘘みたいにすっかり症状が治まって私は体を起こす。あの雪の後から天気は回復し、春みたいな日が続いていた。そろそろ花が咲きますね、とミリーが言っていたのを思い出す。アイリスが買ってきてくれたという花が花瓶に生けてあった。


 温かいものが飲みたくて私はショールを羽織って寝巻きのまま厨房へ向かう。このショールはミリーが貸してくれたものだ。少し古いけれど上質で、長く使えそうなものだった。


 いつも厨房は朝食の準備や下拵えで早くから働いているけれど、今日はまだ誰も起きていないようだ。私はひとり分の湯を沸かして少し冷ましながら飲む。温まった体はぽかぽかしていて少し汗ばんだ。


「?」


 部屋へ戻ろうとして耳が捉えた物音に行き先を変えて暗い屋敷内を進む。暗いとは言ってももう慣れた屋敷だし、ぽつぽつとランプは灯っているから真っ暗なわけでもない。玄関ホールまで行って、私は驚いた。扉が少し開いている。風で閉まりきらない扉がぎいぎい鳴いている音だったらしい。


 玄関ホールの扉は基本的にはエドワードが施錠を確認して床につくはずだけれど、鍵を持っている人はもうひとりいる。屋敷の主人たる、推しだ。夜間に毒草庭園へ向かうこともあるらしいのは以前から聞いていたけれど、扉を閉め忘れたのだろうかと思って私は玄関へ近づく。コート掛けに推しのコートがないのを確認して、やっぱり外に出たんだなと思った。


 少し扉を開けて外を窺う。ショール一枚ではやっぱり外気は寒い。折角良くなったのに風邪をぶり返しても大変だから、少し外を窺って推しの姿が見えなければ扉を閉めるつもりでいた。


「あれ……?」


 私は目を(すが)めた。まだ残る雪の隙間から何かが頭をもたげている。段々と夜明けを迎えて明るくなってきている外でそれは雪に反射して煌めいた。


 興味を引かれて外へ出た。雪は足首の高さまでしかもう積もっていない。早朝はまだひんやりとするけれど陽が差し始めると真冬は通り過ぎて春が近いことが感じられる。この調子ならすぐに気温も上がりそうだった。そのまま目的の場所まで数歩、私は屈んで声をあげた。


「わぁ、お花!」


 雪を割るようにして地面から花が咲いていた。雪と同じ色の花弁が三枚、控えめに俯き加減で咲く、小さくて可愛い花だった。緑の葉と茎を伸ばして咲いているのに俯いているように見える様は、さながら雪と秘密の話をしているかのよう。一足先に咲いた花は春を感じさせた。推しならこの花の名前も知っているだろうか。


 ショールを合わせて少し屈んで私は手を伸ばす。白い花弁に触れてみたくなった。


「……! やめ……っ!」


「!」


 ぎゅっぎゅっと雪が鳴る音がした後、ぐっと手を掴まれ立たされて私は息を呑んだ。雪の中、はっきりと黒が視界に入る。それは推しの髪であり、身につける衣服であり、まるで白に馴染めなかった異物のように見えた。


「エリオット様?」


 驚いた私は推しの名前を呼んだ。紫の目に動揺が浮かんでいるのが見えてどうしたのかと慌てる。推しは私の顔を見てハッとしたように立ち竦んだ。きみか、と掠れた声がして、誰かと人違いをしたのだと私も察した。ぱっと手が離れる。


「……風邪をひいたと聞いたけど」


「はい、でもエリオット様のお薬でとても良くなりました。ありがとうございます」


「だからってもう出歩かなくても」


「えっと、正面玄関の扉が開いていたので閉めにきたらこの花が目に入ったので、つい」


 私は足元に視線を向ける。推しもつられて紫の視線を移した。ああ、と息を吐くように推しが言う。


「スノードロップだ」


「スノードロップ? 綺麗な名前」


 雪の雫と呼ぶに相応しい花弁の形だと思った。雪と話しているみたいだと続ければ推しもそうだねと肯定してくれる。


「雪に色をあげたのはこの花だという逸話がある。雪の下からでも花を咲かせるから、春を告げる花とも言われているんだ。触れても問題はないけど、食べると球根には毒があるから」


「た、食べませんよ!」」


「きみが食べるとは言ってない」


「うわぁ、墓穴掘った」


 私は恥ずかしさでいっぱいになる。誤って食べた犬とかが中毒症状を起こす、とか違う話になったかもしれないのに思わず自分は食べないと言ってしまった。くす、と推しが困惑したように笑う。


「きみなら食べそうだ」


「教えてもらったので食べませんってば」


 むぅ、と唇を尖らせれば推しは、そう、と視線を逸らした。人違いをした動揺は落ち着いたのだろうか。お花が咲くなんて春ですね、と私は話題を変える。あぁ、と推しは生返事みたいな声を出したけれど、そうだね、とこれも同意してくれた。


「沢山の芽吹きがくる季節だ。フロスティとはお別れだよ」


 推しが向けた視線を追えば、窓ガラスに張った霜が蔦のような模様を描いていた。寒い朝にはよく見られる現象で、そっか、と私は得心する。これも妖精の起こしたことだと、此処の人は思うのだ。それはとても素敵なことに思えた。


「見えなかったけど、ちゃんと私も会えたんですね」


 フロスティの置き土産に遭遇できたことを喜んで、私は微笑んだ。


「エリオット様が会ったフロスティと同じお隣さん、でしたか?」


 推しの顔は見ずに尋ねる。さぁ、と推しは興味なさそうな声で返した。


「私自身あまり覚えてないからな」


「きっと同じですよ。会いに来てくれたんです」


「来る度に子どもを拐かしていくのは感心しないが」


「本当ですね! 次に会ったら叱らなくちゃ!」


「隣人相手に? きみは負けそうだ」


「うぅ……否定できません」


 悪戯好きと名高い妖精相手に叱っても本気で聞いてくれるとは思えない。それどころか仕返しされるかもしれないと思って私は苦笑した。


「でもきっと、来年もまた来てくれますから」


「あぁ、来年といえばスノードロップは年が明ける前に見つけると翌年は幸運が訪れるとも言われてるんだけど、今年はもう年が明けてしまったね」


 あら、と私は推しを見る。素敵な逸話だと思って頬が緩むのを止められない。


「まだ来年は来てませんよ。今年が終わる前に見つけたんですから、来年は幸運が訪れます。エリオット様と私の来年の幸運は約束されたも同然です!」


 推しはまたきょとんとした表情を浮かべる。それから悪い笑顔を口に刻んで、きみは強欲だなと小さく言った。


「聞こえてますよ! 欲張っていきましょう! 欲しいものは欲しいって言わないと手に入らないんですから!」


 原作の推しに来年はない。この一年の中で処刑されるからだ。私はそれを何としても阻止したい。だからどんな手段を用いても、何に願っても、推しには生きていてもらわなければならないのだ。来年の幸運があると言うならそれは、推しが来年も生きていると信じる根拠のひとつにする勢いで。


 どれだけ強欲だと言われたって構わない。私の欲しい未来は、推しの生きる世界線なのだから。



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