21 旅行の話を聞く日
「なぁー、エマー、エマってばー」
どうしてこんなことに。
私は困惑しながらも掃除する手は止めずに働く。横でダニエルが暇そうに声をあげている。まるで遊べ構えとやってくる犬のようだ。いや、犬を飼ったことはないからこんな感じなのかは分からないけれど。
「何ですかダニエル様。私、仕事中なんですけど」
「仕事しながらでも話すことはできるだろー。なぁー、聞かせてくれよお前がいたところの話」
「いやいやいや、ダニエル様が聞いて楽しいようなことは何も」
「それはオレが判断することだから。エマは話すだけで良いから」
「ぇえ……」
ダニエルが言っていることは全くもってその通りなのだけど、かといって本当に楽しい話ではない。というか其処までエピソードを用意していない。
「ぎゃ、逆にダニエル様が最近まで旅行されていたところのお話の方が聞きたいなー……なんて」
苦し紛れに矛先を変えてみようと試みた。
「興味あるのか?」
効果てきめんだったらしく、ダニエルの声が弾んだ。少年っぽい声は感情が乗りやすく、嬉しそうなトーンに跳ね上がる。はい、と私は答えて内心でほっと胸を撫で下ろした。何から話そうかなぁと考え始めたダニエルはひとまず私の故郷からは意識が逸れたようだ。
「今回はかなり遠出したんだ。南国の小さい島に行って、沢山見てきた。あそこは凄いな。近づいただけでこう、息ができなくなるくらい熱い。森が多くて、中は五月蝿いし虫がでかい。知らない生き物が沢山いた。
湿った土の匂いがむっとしてさ、服に張り付くんだ。地面はぬかるんでるし、割といつでも雨が降ってる。それも凄い雨だ。見たことないくらい一気に、沢山、通り過ぎてく。ありゃ空でバケツをひっくり返したとしか思えないぜ」
ゲリラ豪雨とかスコールとかかな、と思いながら私はへぇと相槌を打つ。見たことないです、と言えばダニエルはそうだなと笑った。
「メニブリンも暖かいし雨は多いけど、あれはもっとだ。世界中の雨があそこに集められてる気さえするな。なんて言ったっけ、シェイマス」
ダニエルは気軽に声をかける。まるで学校の教室で話している最中に少し離れた場所にいる友達へ声をかけるような気軽さだ。
従者らしくダニエルの後ろに控えていたシェイマスの金の目が一瞬だけ私を掠めた。その鋭さは牽制などで刺すというより、確かめるような冷たさだった。
けれどそんな様子は声にも表情にも出さず、雨季です、と答える。そうそう、とダニエルはシェイマスから私へ視線を戻した。
「世界には色んなものがあるんだよなー。何回行っても何回見ても毎回違う。キラキラしていて、とにかくでかい。
自分の小ささを感じられて世界に収まってるって感覚がするんだよ。美味いものも沢山あるし、これをオレたちだけが知ってるなんて勿体ないって思うんだ」
太陽みたいな笑顔に私は目を細める。新しいもの好きな彼の治めるメニブリンは輸出入が盛んだ。肌の色も髪の色も目の色だって様々で、聞こえる言葉も国ごとにある。
ダニエルやシェイマスのように髪や肌が少し違っている人も当然増えるだろう。新しさを求め歓迎するメニブリンは、伝統を重んじるイドラグンドの性質とはまた違う。そしてそれは進化を生む。
「素敵です。だからエリオット様に沢山お土産を持ってきてくださるんですね」
「ああ! エリオットはイイヤツだからな! ずっとこもっているから、たまにはオレが外のものを見せてやらないと」
確かに屋敷にこもって研究ばかりの推しが外を知る機会は少ないだろう。ダニエルの行動は結果的に推しの孤立を防いできた。彼が持つ数少ない外との接点でもある。
「あの荷物の中から毒を探し出すの、苦労しました。きっと今頃どんな毒か調べてると思います」
「今回持ってきたのはヘビの毒だ。折角用意してたのに花の種と香りなんか欲しがって連絡してきたから送り損ねちまって持ってきたんだ」
花の種と香り、と聞いて私は催淫剤のことを思い出す。南国から取り寄せたと言っていた小瓶はまだ私の部屋に大切に置いてある。エッセンシャルオイルなら早いところ使った方が良いのだろうけど、推しからもらったものを使い切ってしまうのは何だか勿体ないと思って使いきれていない。
「ヘビ、ですか」
意識をダニエルが持ってきたという毒に移す。そう、とダニエルは裏のない真っ直ぐな笑顔を私に向けた。シェイマスの目が私を注意深く見た気がして、あまり長く触れない方が良い話題かもしれないと思う。話題の毒までは解毒できない。
「エマはヘビを見たことあるか? メニブリンにはあまりいないんだ。初めて見た時は驚いたな。足がないんだぜ。不思議な生き物がいるもんだって、うん、あの時かもな、外に興味を持ったのは」
ダニエルは更に目を輝かせる。その思い出や衝撃は彼の中で未だに色褪せずにあるものなのだろう。世界の広さと未知を知り、踏み出す強さが眩しかった。
「世界は本当に広いんですね」
「解ってくれるか! オレたちの知らないものがまだまだ沢山ある! オレたちにとっては不思議で変でも、それがある其処ではそれが普通のことなんだ。
最初から其処にある。あるべきところにきっと収まる、そういう風にできてるんだ。生まれる場所とか時代とかを間違えてしまうことも、あるとは思うんだけど」
「生まれる場所とか時代を間違える?」
声に出したら、意味が入ってくる気がした。
聞こえた言葉をそのまま繰り返した私に、ダニエルは優しい目を向けた。黒くて、光に当たると綺麗に艶めく目が穏やかな弧を描く。何処までもお日様に愛されたような明るい笑顔だ。でも光が強ければ強いほど、生まれる影は黒く濃くなる。
「お前もそうじゃないのか? だから此処に来たんだろ?」
私はきょとんとした。目を丸くしてぱちくりぱちくり瞬く私に、ダニエルは苦笑する。
領主といえども見た目に異国の血を感じるとやりづらさを感じることもあるかもしれない。彼が馴染めなさを感じ、よく船旅に出てしまうのは解る気がした。此処では目立ってしまう自分の特異さが外の不思議さで掻き消されれば、自分だって普通だと思えるのだろうから。
「私は……エリオット様のお役に立ちたくて此処へ来たので……」
私は推しを救いに来ただけだ。推しが生きられるように、推しの生きる世界線へ何とかして舵を切られるように。
まさか、と思う。ざわついた心が顔に出ないかと心配した。気付いたことに気付かれていないかと。特に、シェイマスに。
「何かそういう匂いがした気がしたんだけど、お前は解ってなさそうだなー」
人の良い笑顔を浮かべてダニエルは言う。
「まぁオレもこの感覚を上手く言葉にできるかというとできないんだから伝わらなくても仕方ないか」
困ったように笑って、上手く言えなくてごめんな、とダニエルは謝る。
驚いて恐縮する私を気遣ったのか、他のところを見てくると言ってシェイマスを連れダニエルは行ってしまった。取り残された私はダニエルの言葉の意味を考えながら掃除を再開する。
伝統と革新がぶつかり合うイドラグンドとメニブリンの彼らなら、生まれる場所を間違えた、時代を間違えた、と思っても不思議はない。身分でというよりも見た目から、距離を置かれれば否定されているように感じるだろうなと私も思う。
そのダニエルが私を同じように感じたというのがよく判らない。もしかして違う世界にいたことを彼は感じ取っているのだろうか。
いざ生活しようとすると出てくるボロは今のところ、世間知らず、で誤魔化せているけれど。
「気をつけよ……」
私はぶるりと体を震わせる。ぽつりと零した声は、自分でも驚くほど小さかった。




