扉
六時課と昼食を挟み、九時課を終えると、カイとイザベラは談話室で待ち合わせた。今わかっているシャルロッテについての情報は、ベトニーの香りに気づいたということと、怖がりであるということのみ。後者を鑑みると二人きりで会うよりイザベラに同席してもらった方が良さそうだが、前者が何かしらの意図あっての発言なら同じ修道院の仲間はいない方が良いかもしれない。
「お待たせしました。ユッタとは十分お話できましたか?」
「ええ、魔術のお話が聞けたのは大収穫でした。今日のところは私も聞きたいことが溜まっていないのでおしまいにしましたが、また何か気になることが出てきたらお話を伺おうと思います」
「それがいいですね! 彼女は機転が利くし優しいしで、本当に頼りになる人です。何より、この修道院と仲間たちを心から愛しているので、こういう非常時にはきっと協力してくれますよ」
「ええ。そんな訳で、今日はまだ時間がありますし、これからシャルロッテ修道女にお会いできればと……」
そこまで言ったところで、イザベラは顎の前で手を合わせてにっこりと歯を見せた。
「そう思って、さっきここに来るよう伝えておきました」
「え……」
驚いたカイが入口を見やると、半開きの扉の影からおずおずとこちらを窺う小さな頭があった。思わず唇を噛む。話の進め方もイザベラを同席させるかどうかも、まずきちんと人となりを聞いてから考えるつもりだった。というのも、恐るべきものと対峙するとき、「怖がり」という性格は少し厄介なのだ。保身のための嘘、過剰な防衛本能による無闇な敵視、更には力で押されての裏切り……人間にそうした行動を取らせるのが「怖い」という感情であるが故に。
すると、びくり、とウィンプルが動いた。しまった、とカイは思った。そんなことを考えるうち、無意識に彼女を睨みつけてしまっていたようである。
「大丈夫よ、こっちにいらっしゃい」
イザベラが立ち上がって手招きする。ニオイスミレの香りさえ感じるような甘さと清々しさを持ったその声に少し解されたか、シャルロッテは二度三度カイとイザベラの顔を見比べたのち、足を踏み出した。
「あ、あの、何かお話があると聞いて……!」
リスかウサギを思わせる上下動の激しい小走りで、手を伸ばしてもあと爪一枚で触れられない程度の距離まで近づいてきたのは非常に小柄な少女だった。
「来てくれてありがとう。こちらは父修道院からいらしたカイ修道士よ」
「は、はい、シャルロッテです! 去年誓願を立てたばかりの新米です。よ、よろしくお願いいたします!」
遠目には分からなかったが、近くでみると背丈がイザベラの首までしかない。妙に肩に力がはいっていて、若草色の大きな瞳を涙が溢れる寸前まで潤ませている。何もしていないのに見ていると罪悪感を感じるような風体に、カイは苦笑を噛み殺した。これは苦労しそうだ。
「カイです。そんなに緊張なさらないでください。この修道院について、いくらかお聞きしたいことがあるだけですから」
「は、はい! あの、カイ修道士は、昨日ここでブリギッテ修道女がお話をしていた時、いらした方です、よね?」
この問いにどう答えるべきか、カイは逡巡した。イザベラが注意を促すこともなく連れてきたということは、ブリギッテに反感を持っていることはないだろうが……こと超常的な分野に置いて、ブリギッテの名は吉と出るか凶と出るかわからない。
「あ、す、すみません! 勘違いです、失礼いたしました!」
シャルロッテは頭をぶんぶん振って早口に謝り、助けを求めるようにイザベラを見つめる。桃の果肉を思わせるイザベラの唇から、笑いと溜息が同時に漏れた。
「カイ修道士は、アンネリーゼ院長の件で父修道院から派遣されていらしたの。遺体が腐らないのは本当かどうか調べるために。でも今はそれだけじゃなくて、別のことも調べていらっしゃるわ。私たちと一緒にね」
「私たち……?」
「昨日、ブリギッテと私でお願いしたのよ。この修道院にいるという悪魔を、一緒に探してくれないかって」
シャルロッテはひゅ、と息を呑むと、弾かれたようにカイに顔を向けた。若草色の瞳が揺らめき、溢れ落ちた雫が金のまつ毛を撓ませる。失敗だったか、とカイは歯噛みしかけて、そこに警戒の色がないことに気づく。
「で、では、私に聞きたいことというのは……2月に見つけた、魔術のことですね」
雫を支えきれなかったまつ毛がぺたりと下瞼に張り付き、柔らかそうな頬を光の筋が横切った。安堵の涙であった。イザベラを同席させたことも、ブリギッテの名を出したことも、どうやら正解であったらしい。
「話したら……私たちを助けてくださいますか?」
カイは進むべき道に続く扉が開いたことを感じた。しかし扉の先の道はまた、闇中の悪路である。