囁き
拝啓、私を見つけた友へ
さぞ驚かれたことでしょう。何しろ、この修道院長は、今日の終課の時間まで、こんなことになるそぶりは一切見せなかったのですから。ですが、実は前々から決めていたことだったのです。誰にも引き留められることなく、静かに最後の時を迎える絶好の機会が、たまたま今夜だったというだけのお話なのです。どうか、私の最期に間に合わなかったことを嘆かないでください。
何故私が、自分の命を絶つなどという恐ろしい罪を犯してしまったのかを説明するのは、あまり簡単なことではありません。もちろん、なんとはなしに自分の命を終わらせようというのではないのです。動機はあります。それも大変に大きな苦悩をもたらすものでした。しかし、私は苦悩故に、絶望して命を絶つわけではありません。絶望は主なる神に対する反逆でしょう。私はむしろ、死に希望を見出したからこそ、喜んで自らの首に縄をかけようとしているのです。
そうはいっても、この手紙を読むあなたがこの修道院の仲間であるのなら、私が大きな苦悩を抱えていたということにまた驚かれたことでしょう。無理からぬことです。何しろ経歴だけ見れば、私ほど苦労を知らずに生きてきた人間も少なかろうというものですから。
ご承知の通り、私はもともと大きな貴族の家に生まれました。何不自由なく過ごしてきたという自覚はあります。私はその家の8番目の娘に過ぎませんでしたが、私がこの修道院の院長となることができたのも、もとをただせばこの生まれによるものです。私を育ててくださった前の院長はお生まれが目立った方ではなかったので、自分の娘がその下についているのをよく思わなかった母が口添えしたのでした。
院長の座に就いてからも、仕事においてはこれといって大きな重荷を背負わされることはありませんでした。ここの修道女は皆、聞き分けの良い子たちです。ベネディクト修道会はシトー会と違って私たちを快く受け入れてくれますし、煩わしいしがらみもありません。滞りなく日々の業務を終え、恙なく過ごす日々に小さな幸せを見出すことができたのは、やはりこうした与えられた環境が良かったからでしょうね。
なら、どうしてこんなことになったのだ。さっきから前置きが長い。早く語りたまえ……そうあなたは思っていることでしょう。もう少しお待ちください。私はその理由を今までずっとひとりで胸に秘めてきました。今になって書き起こすのにも勇気がいるのです。
だって、誰が信じてくれるでしょうか。信じたとて、どうして私を受け入れてくれるでしょうか。この秘めた苦悩が白日の下にさらされたなら、私は信じられずに笑われるか、信じられて迫害されるかのどちらかに決まっているのです。
しかし、苦悩とともに歩むのも今日が最後です。今こそ告白しましょう。私の苦悩とはたったひとつ。ああ友よ、私の中に悪魔が巣食うのです!
初めてその声を聞いたのは14の時でした。私がいつも通り起床して、朝課の祈りを捧げた時のことです。私がAMENと言うと、右の耳元でNONという声が聞こえました。私は、なんて不敬ないたずらをするのだと隣の友をぶとうとしたのですが、彼女は両手を組んで下を向いていて、とても私に何か囁きかけたような様子には思えませんでした。
その日から、私の右耳は奇妙な声を何度も聞くようになりました。最初のころは聞こえるのは1単語だけ、それが日に日に長くなります。私はそれが、自らの信仰心が足りないせいだと思って、一層熱心に祈りの生活に打ち込みましたが、全く効果はなく、半年たつ頃にはすっかり文章の体をなすようになりました。声の主は男とも女ともつきません。息だけの囁き声で私をおちょくります。大体はラテン語で主なる神を侮辱するのでした。
ある日のことでした。私はいっそ右耳を切り落としてしまおうと考えました。そうすればこの声は聞こえなくなるかもしれない。きっとこの悪い耳を切り落とすことが、今まで不自由なく過ごしてきた私に与えられた試練なのだろうと思い、意を決して右耳にナイフを当てた瞬間、左の耳元でHIC SUMと聞こえました。私は腑抜けたようになってしばらく座り込んでしまいました。
左耳が謎の声を聞いて以降は、私はもうこの声のことをあきらめようと思いました。私が不愉快極まりない思いをするというほかには、これといった害はないのですから、どんな声が聞こえようとも無視を決め込もうと思ったのです。
この努力は功を奏しました……そう、はじめのうちは。