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第九話 第二次世界大戦〈4〉

1942年6月6日に行われた、第二次世界大戦の最終決戦と呼ばれるフランスによるイギリス本土上陸作戦。

この作戦はある帝国海軍の提督から「フランスの焦りから行われた大博打」と評されたが、同時期にイギリスもチャーチル首相の発案の下にフランス本土カレーへの上陸作戦を考えていたことからもわかるように、決してフランスだけが焦っていたわけではなかった。


要するに戦っている誰もが焦り、疲れ果てていた。

イギリスは長々とした戦争に疲れ切り、フランスはラ-マンシュ海峡の向こうでいつまでも諦めないイギリス人とドイツ人の抵抗運動にうんざりし、ポーランドやチェコスロヴァキアはドイツ人を倒した後の戦いなどどうでも良かった。

そして最後に参戦してきた日本は欧州での自国のあまりにも多すぎる損害に顔を青くし、政府など完璧に瓦解した中国で行われていた新たな軍閥同士の抗争に気をもみながら、その背後にいるであろうソヴィエトに備えて一刻も早く欧州から手を引きたがっていた。

だがそれでも誰もが自らを敗者としたくはなかった。イギリス本土上陸作戦はそういう絶妙なタイミングで行われたのだった。


まず攻撃は海と空からだった。フランス海軍と空軍がアメリカから貸与されたマーク12潜水艦発射型機雷と、同じくアメリカから貸与されたB-17重爆撃機による占領下のドイツ企業が開発した磁気信管搭載の空中投下型機雷でイギリスの誇る海軍部隊の行動を封じた。

そしてさらにルーズベルト大統領の警告を無視し、大規模な無差別爆撃を仕掛けた。かつてない規模の攻撃により大混乱に陥ったイギリスにさらなる攻撃が襲い掛かった。イギリス各地の鉄道網などに対するIRA(アイルランド共和国軍)のテロ攻撃だった。各地で補給が寸断され外務大臣を含む何名かも死亡した。

そうしてついに欧州を席巻したフランス陸軍はラ-マンシュ海峡を超えてイギリスへと上陸した。

「あのナポレオンすら成し遂げられなかった栄誉を我々はついに実現した。」

第一陣となる空挺部隊の降下成功の知らせを聞いたイギリス上陸軍司令官アンリ-オノレ-ジロー上級大将は興奮のあまり顔を赤くしながらそう言った。

だが、栄光はそこまでだった。

はるばる東洋からやってきたイギリスの同盟国の事を彼らは歓喜のあまり失念していたのだった。

彼ら大日本帝国海軍第二遣欧艦隊はフランス海軍との決戦場へと急ぎつつあった。


一方フランス海軍もそれを待ちわびていたかのように接近を開始し、やがてどちらからでもなく発砲を開始した。

大和とアルザス、2隻の砲弾が互いを傷つけていく。だがフランス海軍は大きなミスを犯していた。

1つは日本の主砲製造能力を甘く見積もった結果せいぜいが16インチに過ぎないと考えていたこと、もう1つは日本海軍の技量を甘く見ていたこと、そして最後が彼らが知る由もなかった大和の秘密兵器だった。

試製2式徹甲弾。いわゆる『スーパーヘビーシェル』として知られるこの砲弾こそがアルザスを沈める切り札だった。

重防御として知られるアルザスだが、対16インチ防御しか施さなかったことがあだとなり、46センチ大重量砲弾には太刀打ちできなかった。

こうしてアルザスは海中へと没し、阻止するもののいなくなった日本海軍はフランス軍の上陸地点を攻撃、ここにフランス陸軍最大にして最後の栄光は終幕を迎えたのだった。


それからあとは、目まぐるしく情勢が変わった。

まずは占領下のドイツにて対枢軸国蜂起『ドレスデン蜂起』が発生したがすぐに壊滅し、都市は廃墟と化した。これは主にドイツ共産党系の組織が起こしたもので背後には戦後ドイツにて共産党系の勢力を削ぎたかったチャーチルとフィンランドを攻めあぐねていたスターリンの裏取引があったと言われている。

更に中東ではフランス領だったシリア、レバノンを新たに成立したアラブ王国に割譲する事が決定された。アラブ王国はイラク王国とヨルダン王国が同じハーシム家という血縁関係を利用して成立したもので、この時の条件としてファイサル-ヴァイツマン協定の遵守があげられた。

これは第一次世界大戦直後に結ばれたもので当時、シリアに王国を作ろうとした現イラク国王のファイサルとユダヤ人組織の指導者ヴァイツマンが「ファイサルをシリアの王として認める代わりにアラブ人の権利を尊重する事を条件としてパレスチナでのユダヤ人国家建設に同意する」というものだった。

結局、ファイサルがフランスによってシリアから追い出されたことで宙に浮いてしまっていたが、イギリスはこの協定を持ちだす事により大戦前から続くユダヤ-アラブ間の衝突を表面的にでも収めようとしていたのだった。

そして止めがイタリアの参戦だった。長きにわたり独立を保ち続けたエチオピア帝国を打ち破ったことにより『世界最強の軍隊』とも呼ばれたイタリア軍がコルシカ島、そしてニース、サヴォワの割譲を求めて連合側で参戦した。


これら全てが大和の勝利がもたらした結果だった。


こうした変化により、フランスは講和を提案し、1943年4月30日、スウェーデン、ストックホルムにて講和会議が開催され、ポーランド、フランスへの割譲地を除くドイツ領土の亡命ドイツ政府への返還。マダガスカルとその周辺諸島のイギリスへの割譲とサンピエール島とミクロン島のカナダへの割譲。

ニース、サヴォワのイタリアへの割譲、シリア、レバノンのアラブ王国への譲渡、タイ王国への係争地域の譲渡とベトナム、ラオス、カンボジアの独立が定められ、それ以外の植民地はフランスに返還される事となった。また、非参戦国ながらソヴィエトによるフィンランドの共産化、イラン北部の保障占領も認められた。


こうして1939年から始まった第二次世界大戦は終わったのだった。





取りあえず第二次世界大戦終わりました。

最後にあと一話ぐらいやって終わりにしたいと思います。

話を重ねるごとにクオリティが落ちている気もしますがどうかあと一話だけ御付き合いください。

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