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第八話 第二次世界大戦〈3〉

アルザス級、それはフランス海軍が長年追い続けたイギリス海軍を凌駕するという夢を具現化した存在だった。

1930年代、かつてレイグ政権下において行われた新しい大型ドックの建設によって、新鋭艦の建造準備こそ整っていたフランスだったがどのような艦を建造するかまでは未定であった。

既に、大戦時に計画されたリヨン級を手直ししたダンケルク級が就役していた。イギリス海軍はそれに対してキングジョージ5世級を、イタリアも対抗艦としてヴィットリオ-ヴェネト級を建造しており、順当にいけばダンケルク級をさらに強化した艦となるはずだった。

だが、ここで政治の側から横槍が入った。横槍を入れたのは誰であろうド-ラロック首相だった。

ド-ラロック首相はかつてイギリスと建艦競争を繰り広げたドイツ帝国の艦隊が第一次世界大戦時には役に立たなかったことを例に挙げて、

「フランスに必要なのは数多の大艦隊ではなくいくつかの巨艦である」と言い放った。


こうして、フランス海軍は完成すればリシュリュー級と呼ばれたであろう艦の計画を破棄し、従来の艦を超えた、量より質の戦艦を作ろうとした。奇しくもそれは後に戦う事になる大日本帝国の大和型と似た建艦思想だった。

こうしていくつかの案が検討されたがなかなか決まる事は無かった。障害となっていたのは主砲の製造限界だった。しかし、アメリカのある造船会社が持ち込んだ航空戦艦の案が突破口になった。

総排水量6万トン越えの18インチ連装4基、航空機34機搭載というとてつもない案であり、当初は本当にこれが実現できるとはだれも思っていなかったが、アメリカのルーズベルト大統領がこの案をなぜか高く評価して1920年代に試作された18インチ砲の供与すら前向きに考え始めた。

これを受けたフランス海軍は取りあえず18インチ砲だけを受け取り、件の造船会社には習作として航空巡洋艦を建造させる事とした。

自分が推したグッドアイデアを否定されたルーズベルトは不満だったが、取りあえずアメリカ海軍内部でも航空巡洋艦が検討されていた事もあって、

「他国の金で実験できるなら」と了承した。


一方、タダで18インチ砲を手に入れたフランス海軍は早速新型戦艦の建造に取り掛かり、途中第二次世界大戦の勃発などで遅延したが、予期せぬ日本の参戦などを受けて急ピッチで建造が再開され、日本の誇りと謳われた長門型を撃沈するという偉業を成し遂げたのだった。

しかし、その誇りを沈められた大日本帝国海軍がむざむざと引き下がるわけがなかった。

ことに自らライバルと見做していたアメリカ海軍ならばともかく、帝国海軍の健軍以来師匠であったイギリス海軍に負けっぱなしのはずのフランス海軍にその誇りを沈められるなどあってはならないことだった。

こうして、彼らは怒りに身を任せて帝国海軍最新にして最強の戦艦を欧州に派遣する事に決めた。その名は大和。

後に『第二次世界大戦を終わらせた戦艦』と呼ばれる事になる艦だった。


大和型については2番艦武蔵と共に世界最強の戦艦とされるが、その建造については様々な紆余曲折を経ている。

最初は金剛代艦のための条約型戦艦として計画されていたが、アメリカ、イギリスが概ね友好的であり、フランスやソヴィエトが海軍力という点では日本に大きく劣る事を考えると必要性は薄いと考えられていた。

しかし、ダンケルク級から始まった欧州の建艦競争が大西洋を越えてアメリカに波及し、ソヴィエトまでもが将来的な目標とした上で建艦計画を策定するに及んで、帝国議会も重い腰を上げ陸軍近代化のための陸軍予算増額と同時に新戦艦の建造予算も通した。

余談にはなるがこの時「より経済的な軍備」として空軍独立、空軍主兵論を唱えた中島知久平の派閥が当時二大政党への不満をバネに躍進していた社会大衆党との連携姿勢を取ったことによって政友会の分裂を招いており、民政党内閣が誕生している。

こうした事情がありながらも大和型は建艦される事になった。やがて、アルバニア危機によって欧州が緊張状態に陥るとさらに建艦は進められ、第二次世界大戦が決定した際には参戦時には1番艦大和がその巨体を土佐沖に浮かべて公試を行っていた。

しかし、大和型の出番は無いと思われていた第二次世界大戦において、アルザスという大和型に匹敵する巨艦が出現した事により大和はとある秘密兵器と共に欧州へと送られた。


一方、そのアルザスの活動は静かなものだった。

原因は北欧、フィンランドをめぐる政治的混乱だった。1940年8月にソヴィエトがフィンランドに侵攻すると、国境を接したポーランドがフィンランド救援の義勇軍を派遣したばかりか、対ソ開戦まで主張し始めたからだ。

これに対して親ソヴィエト的傾向の強かったチェコスロヴァキアが反発し、フランスもイギリスと日本との戦いで手一杯な現状からこれを拒否。枢軸国間では足並みが徐々に乱れ始めていた。


そうした状況もあって積極的に動く事は無かったアルザスだが、ついに大和との最初で、そして最後の戦いの時が訪れる。

イギリス本土上陸作戦。第二次世界大戦最大の上陸作戦であり、その後の運命を変えた一戦だった。




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