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第七話 第二次世界大戦〈2〉

ドイツの休戦という名の事実上の降伏は世界に大きな衝撃を与える事になった。

第一次世界大戦で中央同盟の盟主として戦い抜いたドイツ軍、それが一年とたたずに敗れたのだから当然だった。

休戦協定はドイツにとって厳しいものになった。ルール地方、ラインラント、バーデンをフランスに、オストプロイセンとオーデル川とナイセ川を境界としてそれ以東のドイツ領をポーランドにそれぞれ割譲した他、ベルリンの三カ国共同占領、ドイツ企業による戦争協力もさだめられた。チェコスロヴァキアは国境地帯の非武装化程度しか得るものが無かったが、ポーランドやフランスと共に戦争協力の一環としてドイツの工業製品を受け取る権利を有した。

ドイツに残った領土では傀儡政府の下で軍備が解体され、占領司令部による物資、報道の統制が行われ、反フランス、ポーランド、チェコスロヴァキア団体やそれに類する活動をしたと思われたものは逮捕された。

このような厳しい休戦協定は特に今もなお戦争状態にあるイギリスにおいて激しい反応を引き起こした。ドイツとの休戦後、三カ国は講和を持ちかけたが、ドイツの戦前の状態への復帰を求めるイギリスとの間には大きな隔たりがあり交渉は決裂した。

元々、国力的にはイギリスと比べれば劣っていたはずの三カ国がそこまで強気な態度を取ったのには理由があり、当時のアメリカ、ルーズベルト政権がこの三カ国を強力に後押ししていたのが原因だった。

ルーズベルト政権はフランス、ポーランド、チェコスロヴァキアに対してレンドリース法を成立させて物資援助を行った。チャーチルはこれに対して抗議したが、自国も生活に必要な物資などもアメリカからの輸入に頼っていたために強くは出られなかった。

また、アメリカの隣国カナダでは開戦以来カナダ政府によるケベックのフランス系住民に対する厳しい統制のほか、過激な組織による襲撃などがあったこともアメリカ人のイギリスへの心証を悪くしていた。

占領下のドイツではそれ以上の事が行われていたのだが、ドイツ系アメリカ人を除けば関心は低かった。一般市民にとっては遠くの地より北の隣国で自由が侵されている事の方が重要だった。

こうして、アメリカが動かないと知ったチャーチルはイタリアに期待を寄せたがムッソリーニは表面上は曖昧な言葉でごまかし、非公式には「我々はパリ、プラハ、ワルシャワを結ぶ枢軸との戦いに加わるつもりはない」と断った。

この時初めて枢軸国という言葉がフランス、ポーランド、チェコスロヴァキアを指す言葉として使用されたと言われている。これに対してチャーチルは連合国という言い回しを好んだために第二次世界大戦は枢軸国と連合国の戦いということになった。


こうして、正式に枢軸国と連合国の戦いと呼ばれるようになった第二次世界大戦だが、基本的には植民地の奪い合いに終始しておりヨーロッパでは昼間の精密爆撃とドイツ人の反占領軍抵抗組織による抵抗が行われていただけだった。前者についてはアメリカのルーズベルト大統領が双方に戦略爆撃の自制を求めた結果だった。英仏共に不満だったが結局従わざるを得なかった。

全体的に戦局は枢軸国に有利であり、6月に入ると中華民国も枢軸国に加盟するとともに香港などの英国利権を接収する姿勢を見せ始めた。

こうして、このまま枢軸国の勝利で終わるかに見えた第二次世界大戦だったが、アジアから戦局を左右する知らせが届いた。


1940年6月30日、大日本帝国連合国として参戦。宣戦布告同時攻撃を中華民国、仏領インドシナに対して行い、中華民国首都南京をまたたくまに占領し、仏領インドシナも遅れて参戦してきたタイ王国軍と共に分割占領してしまった。

更に12月に入ると大日本帝国は中東に陸軍を中心とした欧州派遣軍を編成し送り込み、地中海には海軍が戦艦長門、陸奥を中心とした遣欧艦隊を派遣した。

第一次世界大戦の時からは考えられないほどの大盤振る舞いだったが、これはイギリスがどのような形の講和となっても戦後の利権の保持は難しいと考えていたため密かに日本に対して中国利権の譲渡と限定的なインド市場の開放を持ちかけていたことやアメリカがイギリスやドイツなどに対しては敵対的であったが1927年の南京事件において日本軍部隊がいち早くアメリカ人を救出しに来たという恩義からくる一般大衆の友好ムード(ルーズベルト個人としては日本人を嫌っていたが)などもあって特に緊張関係になかったこと、近衛首相をはじめとする政治家のみならず昭和天皇までもが親英的な意見を表明していたことなどがあげられる。


しかし、こうして送られてきた日本軍部隊は早速欧州の進歩した戦争の洗礼を浴びる事になる。

まず、陸ではフランス戦車や装甲車にまるで歯が立たず、砲兵は射程で劣り、逆に射程外から撃たれて壊滅する始末だった。両国ともに1930年代からの軍拡によって近代化を行っていたがやはり先進国たるフランスの優位は大きく、エチオピア戦争の戦訓から開発された一式戦闘機が並み居るフランス軍機を物ともせずに叩き落としていたのがせめてもの慰めだった。


そして最も大きな衝撃を受けたの海軍だった。世界に7隻しかいない巨艦の内の2隻、日本の誇りと呼ばれた長門と陸奥がフランス海軍の新鋭艦によって撃沈されたのだった。

その名はアルザス。ドイツとフランスの因縁の地の名前を与えられた新世代の大戦艦だった。






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