第六話 第二次世界大戦〈1〉
長いです。会話文無しで初めての2000字越えです。
1939年9月3日に勃発した第二次世界大戦は戦前の人間がだれも予想しなかった形で展開した。
ポーランド軍がドイツ東部国境にて攻勢を開始し、宣戦布告と同時にベルリン爆撃を行うなど積極的な動きを見せ、ドイツ軍はこれに対して果敢な反撃を行った。仏独国境のフランス軍に対しては警戒する動きもあったが、ベルリン陥落の阻止のために、国境要塞線であるジークフリート線に対する信頼もあってその兵力の多くを開戦以前よりポーランド軍の動きを察知して東部へと移送していた。
このまま東部ではドイツ、ポーランド両軍の容赦ない殴り合いが、西部ではジークフリート線をめぐるドイツとフランスの、あのヴェルダンをも上回る攻防戦が、かつての大戦争のように繰り返される、そう誰もが予想していた。
9月8日にフランス軍がルクセンブルクを超えてドイツ領内へと進撃するまでは。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、何かとまとめられがちなこの三カ国であるがベルギーは元々ベルギー独立戦争時にオランダ王の所領であったルクセンブルクの併合を諦めざるを得なかったという経緯もあり、ルクセンブルクの独立後も絶えずその併合を狙って圧力をかけていた。
ベルギーが戦略上の要衝という事もあり、安全保障上自国にとって重要なイギリスとその傘下にあるドイツは中立を装いながらもどちらかといえばベルギー寄りの姿勢を取っていた。
こうして、フランスとルクセンブルクの協調体制が生まれる事になる。しかし当初は経済的なものなどに留まっていたこの協調体制はドイツによるジークフリート線建設によって変わり始める。
元々、ジークフリート線は戦後、ドイツ陸軍初代統帥部長となったヴァルター-ラインハルトの国境要塞建設構想にまでさかのぼる事ができる。
第一次世界大戦の東部戦線で華々しい活躍を演じたゼークトなどとは違い、西部戦線で地獄のような塹壕戦を味わったラインハルトにとっては大規模な要塞建設による防御こそが次の戦争のあり方だった。
こうして、いくつか試案が作られたのちに建設が開始されたが、「要塞よりもパンを」をスローガンとした左派勢力の反対などの政治的な混乱もあって建設は遅々として進まず、結局フーゲンベルク政権の成立まで持ち越されてしまったが、スペイン内戦でのフランス義勇軍機甲部隊の活躍などもあり、戦車等の導入を急いだことからもっとも重視された仏独国境に分厚い防御線があるだけで、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク国境には小規模な陣地があるだけだった。
オランダ、ベルギー両政府は中立を守るためにフランス、ドイツ両軍の攻撃に備えていくらかの軍備増強を行ったが、ルクセンブルクはベルギーのそう言った動きを自国を占領するための動きなのではないかと疑い、フランスもそのような偽情報をルクセンブルクにおいて流布した。
こうしたことからフランス軍はルクセンブルク政府から領内通過を許可されドイツ領内になだれ込む事に成功したのだった。
これに対してドイツ軍はイギリスのヴイッカ-ス6トン戦車タイプAをライセンス生産した1号戦車、ヴイッカ-ス6トン戦車タイプBの主砲をラインメタル37㎜に換装した2号戦車を主力としたドイツ陸軍初の機甲部隊である第一装甲師団を持って反撃に出たが、フランスの47㎜対戦車砲などで大きな損害を出し反撃は頓挫、第一装甲師団もこの反撃の後に解散させられてしまった。
ドイツは開戦当初から同盟国のイギリスに対してフランス本土への上陸作戦か大規模な戦略爆撃をするように要請していた。イギリス首相のチャーチルはこれに応じたが実際には実行されなかった。というのもイギリス国民の中には第一次世界大戦でドイツ人と戦ったことからドイツ人を助けるための戦争に懐疑的な意見もあり、またイギリス軍部としても当面ドイツ軍を盾としつつ戦備を充実しようとしていた。フランスもこういった事情をよく理解していたため決して手を出そうとはしなかった。
こうして年が明ける頃にはドイツ軍はフランス軍により南ドイツと北ドイツで分断させられてしまい、ポーランド軍もベルリン近郊にまで迫るほどの勢いだった。
これに対しドイツ政府は首都をフレンスブルクへと移転し、徹底抗戦の構えを取るとともにイギリス軍の参戦を待とうとしたが、ポーランド軍が4月26日にベルリンに突入し、フランス軍もハンブルクを占領したとの知らせを受け、ドイツ政府はロンドンでの亡命政府の樹立とキールからの英海軍の支援の下での残存部隊の英本土への脱出、その後の休戦を決断する。
チャーチルはこのドイツの脱落に大きな衝撃を受けつつもグランドフリートの全力を挙げての支援を約束。ドイツ海軍と共に脱出の支援に当たった。
こうしてキール陥落後の5月9日にドイツと3か国間の休戦は成ったが、この素早くそして大きすぎる敗北は従来語られていたドイツ軍の強さに対して大きな疑問を投げかける事になり、現代でも第二次世界大戦マニアなどの間で日本軍、イギリス軍、フランス軍、イタリア軍などと違いドイツ軍が侮蔑的に見られがちな原因にもなっている。
取りあえずドイツ陥落まで、アジアとかヨーロッパ以外については次回です。