第九話 第一回補習ー後編
ご飯を食べ終わって、冷蔵庫からケーキとお皿、そしてフォークを取り出す。
「どうぞ」
そういって、ケーキの入った箱を開ける。
「好きなの選んで」
「ありがとうございます……では、私はこれを」
白撫さんが選んだのは、苺が乗ったショートケーキ。
余る可能性も考えて、白撫さんに食べれないものがあるか聞いたところ、「ないです」とのことだったので僕はチョコケーキを選んだ。
「「いただきます」」
ケーキの先端部分に、フォークを入れる。
ふと白撫さんの方を見ると、フォークを口に入れているところだった。
彼女は僕の視線には気付かず、黙々とケーキを食べていた。ただ、少し頰が緩んでいる気がする。気がするだけかもしれないけど。
僕も食べよ。
「……ごちそうさまでした」
少し経ち、僕も白撫さんもケーキを食べ終わったのでお皿を片付け、残りのケーキを冷蔵庫に入れる。
「ありがとうございました。では、再開しましょうか」
現在時刻は午後七時半。ここから二時間か。地獄だな!はっはっはぁ!
ご飯から一時間後。
「…………」
空気はシーンとしていて、鼓膜を揺らすのは、ペンの音と紙が擦れる音、あとはテレビがついている時に聞こえる「ツー……」という音くらいだ。
今、とても集中できている。こんなことを考えていても内容が入ってくるくらいには。
「…………」
国会期成同盟……片岡健吉……河野広中……
「…………くん…………」
私擬憲法、中江兆民……
「い……せくん……」
社会契約論が民約訳解……よし、次のページだ。開拓使含有物払い下げ事件……ん?
肩をトントン、と叩かれてふっと顔を上げる。
「……どうしたの、白撫さん」
頭の中が真っ白になって、一瞬名前が出てこなかった。なんだか申し訳ないな……
「大丈夫ですか?一ノ瀬君」
「え?何が?」
どうしたんだろう、何か変なことしたかな……?
「いえ、もう九時半ですよ。っていうか、あそこまで勉強するのを嫌がっていたのに、二時間もの間黙々と続けているだなんて、と思いまして」
と、本当に心配そうな表情で言ってきた。
「はは、失礼な」
僕は笑いながらそう返した。
「あ、いえ、ごめんなさい、悪い意味で言ったわけでは……」
白撫さんがあわあわしながら手を振って否定した。
「ですが、以前勉強が大嫌いな私の友人が一週間遊ばずに勉強して、体調を崩したことがあったので、同じようなことにならないかと……」
なるほど、本当に心配してくれていたらしい。
「それなら多分大丈夫かな。今は集中できてるから、このままキリのいいところまで続けるよ」
「……そうですか、なら私も終わるまではここにいますね。無理はダメですよ」
「ああ、ありがとう」
それから、三十分後。
「ふー……」
終わった終わった。日清戦争まで覚えたぞ。
「終わりました?」
最初は机を挟んで勉強していた白撫さんだが、いつのまにか僕の隣に座っていたようだ。って、ああ、そうだ。さっき僕に話しかけた時に移動したのかな。
「うん、終わったよ」
「どこまでいきました?」
「ここだね」
僕は終わったところ、つまり六十六ページを開いたまま、白撫さんに見せた。
「え?本当に?」
「うん、ここまで」
「……すごいですね。では、ノートを」
「はい、こっち」
僕は今日使ったノートを渡す。
「……本当にやってありますね、もうすぐ一冊終わってしまいます」
「そっか、そんなにやったんだ」
白撫さんが僕にノートを返してくれたところで、僕は思い出した。
「あ、そうだ。残ったケーキ、持って帰る?」
「え?いいんですか?」
「うん。元々白撫さんにあげるために買ったものだし」
「そうですか……では、遠慮なくいただきますね。ありがとうございます」
「うん。じゃあ、帰る時に渡すよ」
そう言って、僕は教科書とノートを本棚にしまう。
「あ、もしかしたら明日もノートを使うかもしれないので、よろしくお願いしますね」
「わかった」
ノートか。まあ、一冊も使ってないだろうし大丈夫かな。
さて、ひと段落ついたし、お茶でも入れるかな。
僕は台所に立ち、二つのコップにお茶を注ぎ、片方を白撫さんに渡した。
「ありがとうございます」
僕はクッションに腰を下ろし、お茶を一口飲んだ。
「それにしても」
と、僕の部屋をグルっと見渡した白撫さんが口を開いた。
「これが、俗に言う『オタク』の部屋なんですか?」
「いや、わかんないな。ほかの人の部屋をあんまり見たことないから」
まあ、本棚にラノベや漫画、ゲームにフィギュアがあるから、ある程度はオタクなんだろうけどね。
それからあまり会話は無く、少し経って白撫さんが立ち上がった。
「では、私はそろそろ失礼しますね。あまり長居していても悪いので」
「そっか」
そう言って、玄関へ向かう彼女へケーキを渡した。
すると、彼女は「そうだ」と言って、一度下駄箱の上にケーキを置いた。
「ちょっと、かがんでください」
何でだろうと思いつつ、姿勢を低くする。
不意に、白い腕が伸びてきて、頭をーー
ぽんぽんぽん。
「お疲れ様です、よく頑張りましたね」
同時に、天使のような微笑み。今までで一番優しく、柔らかく、そして甘い。
「ご褒美、終わりです。では、私はこれで。あ、ケーキ、ありがとうございます。美味しくいただきますね。それじゃあ、おやすみなさい」
「え、ぁーーうん」
その天使は崩れることなく、僕の部屋から出て行った。
ーー思えば、僕はこの時から恋に落ちていたのかもしれない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
九話分、最後のシーンを描くためだけに書きました。頑張ったです。
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