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百六十八話 ♡

 小鳥遊さんが泣き止むのを待ち、僕らは二人で教室へ戻る。トレンチとやらを使うという話は本当だったらしく、それをすっかり忘れていた僕らは途中で引き返し棚の奥のそのまた奥にあったトレンチが入った段ボールを必死で探したことにで大分遅れたのはここだけの秘密だ。


「おっまたせ~! ごめんね、途中で迷っちゃった~!」

「おそいよ~?」


 段ボールは僕が抱えているため、ぴょんぴょんと駆け寄っていく小鳥遊さんの背を見ながらゆっくり教室に入る。


「りょーくんもありがと、それはその辺にお願い!」

「りょうかーい」


 小鳥遊さんが指さしたあたりに段ボールを置く。大きなものを床に置くときって一定のタイミングですごく腰に来るよね。

 さて、これで仕事はおしまいかな。


「りょーくん!」


 そう思って廊下へ出ようとしたところで小鳥遊さんに声をかけられた。


「なに?」

「待ってるからね!」

「……うん」


 念を押されてしまった。もうちゃんと決める気ではいたから特に何か感情がわいてくることはないけど、それでもちゃんとしなきゃな、とは思った。

 僕は頷き、振り返って歩き出す。


「何を待ってるんですか?」

「わあお」


 一瞬下を向いた隙に、白撫さんが目の前に姿を現した。擬音をつけるなら『ヌルッッ!』って感じだ。

 彼女の表情はどこか不満げで少しすねているように見受けられる。


「というか、長かったですね。二人きりで何かしてたんですか?」


 相も変わらず鋭いな。


「まあ……」

「『まあ』!? こ、肯定しましたね!? なっなな、いったい何をしていたんですか! 千字以内で教えてください!」


 千字!! つまり少なくとも八百!! かなり長い! 多分大学入試とかそれくらいなんじゃないかな、知らんけど。 


「や、やましいことではないから」


 白撫さんの勢いに押されつつもそう答える。いや、前半はだいぶやましくないか……? だいぶっていうか、十二分にやましいよなぁあれ。


「ほ、ほんとですか!? ほんとですね!?」


 まっすぐこちらを見つめる白撫さん。そんな視線を向けられるとうまく話せないからやめてほしい。


「…………うん」

「なんですか今の間は」

「い、いや」

「やっぱりやましいことしてたんじゃないですかこの変態。女の敵、ドクズ、救いようのない産業廃棄物、存在価値のない腐れ有機物体。ここで散れ。四肢爆散しろ」

「「そこまで言う!?」」


 辛うじて返答したところ、その頭脳を駆使したのか想像を絶する悪口が飛んできた。正直あの白撫さんからこんな風に言われる日が来ようとは思いも────って。


「相模川さんか」

「み、未亜、さすがに言いすぎですよ」

「あはは、ごめんごめん」


 白撫さんの後ろからひょっこり現れた相模川さんが優しく窘められる。もっときつく叱ってやってください、僕には耐えられません。後ろから抱き着いた相模川さんを見て苦笑しながら白撫さんは続ける。


「せめて有機物体までにしておいてあげないと」

「じゃあ白撫さんもそこまでは思ってたってことでいいかなぁ!」


 とんだ風評被害だよ! 変態くらいなら図星だとは思うけど、そこから先は明らかに過剰だって!


「……いえ、そんなことは」

「オーケー目を見て話そうか」


 光の速さで目をそらした白撫さんの視線の先に入り込み、ばっちり目を合わせる。はははどうだ逃げられまい。


「『サイテーサイアク諸悪の根源。酸素がもったいない。あなたを構成する原子をもう少し役立つものに変えるべき』だって」

「そんなこと考えてません!」


 白撫さんがおなかに回されている腕をひっぺがし、振り向いて相模川さんの頬をつまんで伸ばしだす。うに~。


「い、いへへへへ」

「お仕置きです!」


 にしても餅みたいなほっぺただ、どんどん伸びる。まるでギャグマンガみたい。


「ねね! 『サイテーサイアク』なら、りょーくんもらっていってもいーい?」

「うおっと」


 今度は僕の横腹から、にゅっと小鳥遊さんが顔をのぞかせた。生えるような登場の仕方が流行ってるの?


「だ、だから違いますって!」


 流れるままに二人に翻弄される白撫さん。あっちを向きこっちを向き、表情をころころと変えている。髪が靡くたびにいい香りがしているとかは全然、まったく、これっぽっちも思ってないし感じ取ってない。嘘じゃないから!


「んへへ、私も冗談。ほんとはね、もう一回手伝ってほしいことがあるの」


 僕らがバカ騒ぎしている間に接客担当グループでは進展があったらしい。僕の体に手を回す小鳥遊さんがそんなことを言った。


「いざ接客練習をしよー! ってなってもお客さんがいなくて! だから、りょーくんに私のお客さんしてほしいなあ、って思って」

「ああうん、任せてよ」


 特にすることも、断る理由もないしね。

 そう思い快諾したところ。


「わ、私もいいですか!」


 白撫さん、二度目の立候補。今回は当選するのでしょうか、期待が高まります。


「うん、いいよ! 未亜ちゃんは?」


 にこりと笑って承諾した小鳥遊さんが相模川さんにも目をやった。


「う~ん、わたしはいいかな。実は今、さぼっちゃってるんだよね……」

「あんだけ僕に身に覚えのない悪口言っといて自分も大概なんだね」

「あ~あ~聞こえな~い」


 こいつマジでどうしてくれようか。


「でも吾野君もいるよ?」

「ごめんね同じ班の子たち……もう少しだけ見逃しておくれ…………」


 欲望には誰も勝てないんだなあ。りょうを。


「よし、決まりだね! みんな~! 三名様ご案内だよ~!」


 勢いよく僕から離れた小鳥遊さんが教室内へ向かって呼びかけるといくつも返事があった。


「おかえりなさいませご主人様方♡ こちらへどうぞ~」


 準備ができたのを確認したのか、小鳥遊さんがそうかわいらしく挨拶をして僕らを一つのテーブル席に通す。四人掛けで一辺に一人座ることができる椅子を用いた席だ。僕の隣に白撫さん、対面に相模川さんが座る位置関係となった。


「ご注文がお決まりになりましたらおっきな声でどの子か呼んでくださいね♡ まあ、接客練習だから料理なんて出てこないけど……」


 出ないんかい。いやまてそれより前半の方がすごいこと言ってるよねそれ。羞恥の化身か何かですか?


「ね、ご主人様。ちゃんと『奈夢ちゃん♡』って呼んでね?」


 メイドさん直々にそう釘を刺された。ためらいが半端じゃないよ。

 メニューは透明なシートと机の間に挟んであり、わかりやすくて上手いイラストでそれぞれが説明されている。まあ料理が出てくることはないのでどれでもいいだろう。


「……誰が呼ぶんですか」


 神妙な面持ちで白撫さんが口にする。そしてその答えは行動で示されたのだった。


「しょ、しょうたくーん……」


 そう、相模川さんである。顔を真っ赤にしながらも跳ね上がりそうな口角を必死に抑えているのが見て取れる。


「はい、お待たせいたしましたお嬢様。いかがなさいましたか?」


 きらきらきらー。いつもは見ないようなイケメンムーブで執事服に袖を通した翔太が奥からやってきた。その笑顔の周りには星が飛び、背景には花が咲いているように見える。なにこれ違和感すごい。


「無理」

「え?」


 平穏だったのもつかの間、相模川さんはたった一言、それだけ残して教室を飛び出していった。呼ばれたのにおいて行かれるという奇妙な体験をした翔太はそのまま立ち尽くし困惑している。


「……良夜君に執事服が似合わなくて助かりました」

「オイ待てどういうことじゃい」


 翔太を見てからこちらを一瞥した白撫さんがそんなことを言うが、不名誉にもほどがある。それはいいとして、だ。


「どっちが呼ぶの」


 僕は小声で白撫さんに問いかけた。


「良夜君に決まってるじゃないですか。見てくださいあの期待のまなざし!」


 ちらりと見たほうではどうみても小鳥遊さんがスタンバイしており、望む形で呼び出さなければならないという重圧が僕らの周りに立ち込めている。


「う……わかったよ」


 意を決して、僕は名前を呼ぶ。


「……な、奈夢ちゃ~ん」


 しかし彼女は微動だにしない。うそ、これやり方違うの?

 もう一度小鳥遊さんの方を見ると若干態度を悪くし、頬杖をついて座っていた。なにそれ部活の監督が『やっぱあいつはダメか』みたいなこと思ってるときの姿勢にそっくりなんだけど!


「ほ、ほら良夜君もう一回! もっと思い切りよく!」

「んな無茶な」


 白撫さんに催促され、二度目のチャレンジ。


「なゆちゃ~ん!!!!」

「! っは~~い♡」


 ばっちり正解らしい、満面の笑みで小鳥遊さんはこちらへ向かってきた。けど、何かを失った気分でもあるよ。ちなみに翔太もまだそこで固まっている。


「なあに、ご主人様ぁ♡」


 至近距離で小鳥遊さんは両ひざに手を置き、前のめりで言う。こんな接客するんですか……?


「おふろ? 違うよね♡」


 そりゃ違うにきまってるよね。


「ごはん? 違うよね」


 違わないよね。むしろそれしかないんだよねこの場においては。


「うん、知ってる知ってる、わかってるよ♡」


 一切合切わかってないね。


「もちろん~……」


 小鳥遊さんは僕の後ろへ回ってしなだれかかり、耳に唇が触れるかどうかの距離で囁いてきた。


「わ♡た♡し♡ だよね♡」


 違うかも!! あとそういう感じのお店になっちゃうからそんな近いのもダメです!


「……小鳥遊さん?」


 はい僕はもう気が付きましたこのトーンの白撫さんは怒り気味です。背すじが端から端まで凍るような感覚間違いなく怒ってます。


「なんですか、お嬢様♡」

「その接客を諸父兄にも行うおつもりですか?」


 そうだよね、おかしいよね! 僕もそう思ってたんだ!


「するわけないじゃん」

「今は練習中なのでしょう? であれば普通の対応を────」

「でも白撫さんだってりょーくんがきたら特別なご奉仕したいでしょ?」

「そ、それは!」


 ねえなんでそこで押し負けそうになってるの? 絶対的に白撫さんの方が正しいよ?


「……それは、そうですけどおおお!」

「いだい!?」


 何を思ったのか、白撫でさんは僕のことをぽこすか殴り始めた!


「あ~痛いね、ご主人様♡ 慰めたげるから、二人で向こういこっか♡」


 僕にしなだれかかっていた小鳥遊さんは弱弱しい力で痛めつけられた左腕を舐るように触りたくる。


「なんかぞくぞくしてくるからやめて!」

「そうですメイドの分際で主に触れるだなんて!」

「そこじゃないよ白撫さん!」


 そんな風に賑やかしく騒々しく僕らの文化祭準備は加速していく。残っていたた数日でさえ、あっという間に過ぎるのだ。

 そうして、僕らは文化祭当日を迎える。高校生活最初の文化祭、楽しみだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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