説話167 魔王は現れる
さあ、ここが退職金の使いどころだよ。
絶大な魔力を込めて、ボクは魔王領のほうに向かって叫んだんだ。
『魔王様、退職金はいま使います! ボクの願いは魔王様にここに来てほしいことです!』
この場にいる全ての人たちががボクの解き放った魔力に震えて動けなくなっているんだ。こんなことで驚いてはいけない、これからもっとすごいことが起きるからね。
ボクの頭上がにじみ出すように出現した黒い空間が震動を起こしながらどんどん大きくなり、ここにいるすべての者が見守る中、黒い空間の中から一本のしなやかで白い腕が現れた。
――さあ、皆様とくとご覧あれ。魔王様のご降臨だよ。
『あらあ、観客がいっぱいね。スルト、元気だったかえ?』
黒い空間から完全に姿を現した魔王様はボクのほうに微笑んでいる。
その笑みは本当に懐かしく思えて、思わずその傍へ行って頭を撫でてもらいたいと衝動が湧き上がったんだ。
だけどね魔王様、あなたにはこの世界からご退場して頂く。
あなたに仕えて、楽しかった日々も遠い過去の昔。申し訳ないですがこの世界をあるべき姿に戻させてもらうね。
「お久しぶりです、魔王様。
このスルトはおそばを離れてからもずっと魔王様のことを気にかけておりましたが、幾久しくお美しいままで安心致しました」
『まあ、スルトは変わらずにお口が上手。
わらわはその言葉を嬉しく思うぞえ』
魔王様は手を口元に当ててから楽しくボクに笑ったんだ。それから目を周囲にやり、鋭い眼差しを向けていく。
二か国連合軍も農民軍もボクが育て上げた勇者たちも、誰一人として言葉を発することができない。
魔王の放つ魔力に恐れ慄いているだけ。
『この者たちはなんぞや? なぜわらわとそなたの再会の場に居合わせているのかえ?』
魔王様が不思議そうな顔をしてボクのほうに問い質してきたが、これから魔王様と最後に交わす言葉の数々を、この先もずっと覚えようと心に決める。
終わりの時が来たら、魔王様のお声を聞くことはもう叶わなくなるから。
「魔王様。魔王様がこの世にご誕生なさってからすでに悠長な時を過ぎました。
魔王様とともに過ごした時をスルトは貴重に思えてなりません」
ボクの語る言葉によって、魔王様の柔らかった視線は疑念のあるものと変わっていく。
「今の世界は男神も女神もお隠れになり、暗黒神が地獄からお出ましすることはもうありません。
このままでは歪んだ世界がいつまでも終わりを告げずにずっと続くことになるでしょう。
そこで……」
『そこで?』
魔王様がボクの言葉の語尾を聞いてくる。
さあ、一気に語ってあげよう、ボクが敬愛してやまないこのお方に送る最後の言葉を。
「あなたに仕えたことがボクの幸せだったんだ。
あなたに感謝する気持ちは今でもたえませんが世界が正しい道を歩むため、魔王様にはこの場でご退場していただく」
『フフフフフ……』
ボクの言葉を聞いた魔王様は実に愉快そうに笑った。
こんなに楽しそうに笑う魔王様っていつ以来のことだろう。そう、このお方も長い間心から笑っていなかったのよねえ。
『楽しや嬉しや。よもやそなたからそのような言葉を聞くとはのう……
よいぞえ? 好きにかかってくるが良い、わらわが直々にお相手いたそう。
なんらなそこにおるガルスもメリルも、スルトとともに向かってくるが良いぞえ?』
魔王様の言葉と視線を受けたアガルシアスとナシアース・メリルはピクっと身体を小さく震わせた。
彼と彼女にとって、魔王様は絶対的な存在であることに変わりはない。そんな魔王様に手が出すにはボクのような不退転の覚悟が必要なんだ。
勿論ボクも二人に手を出させるつもりなど初めからない。
魔王に立ち向かうのは人間側の役目。これはテンプレってやつで、転移勇者たちの無念を晴らすためにも、これだけはなにがあっても譲らない
――ボクは右手を上げる。
それに合わすように、ボクが大切に養育した120人の勇者と1人の大勇者が一斉に魔王様のほうに向けて、武器を抜き放った。
お疲れさまでした。




