表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

その他企画ものシリーズ

白梅、黄昏の露に光りて

作者: 九藤 朋




 挿絵(By みてみん)




 春告げる佐保(さほ)(ひめ)の一行が今年も京の都へ至る。常人には見えぬ一行。殊に現代の常人には。

 ふわりとした紫と若草、桃色の(かさね)を纏った佐保姫は、牛車から降りて人里の白梅に触れる。時は黄昏。黄昏の露が白梅を仄白く浮かび上がらせている。佐保姫の(たお)やかな指が撫ぜると、白梅はふるり、と震える。震えると黄昏の雫がちらちらと煌めいて、目も綾である。白梅の古木持つ家は、佐保姫の知己の家だった。春を告げる務めの為に都にいる間、その間だけの逢瀬をこの家の主と持つ。


 佐保姫と家主が出逢ったのは、まだ家主がほんの少年の時。

 白梅に戯れる佐保姫の姿を、その少年はまんまと見抜いてのけた。美麗で高貴な佐保姫に、初め、少年は憧れを抱いた。彼の初恋だったであろう。少年は佐保姫に無理を言って、また来年の逢瀬を約束させた。

 佐保姫は少年の無垢で一途な想いを微笑ましく思い、それを承知した。

 明くる年も。

 そのまた明くる年も。


 約束は揺蕩うように続いた。何かを寿ぐ宴のように続いた。


 少年はやがて成長して青年になる。

 もう思慮も分別も備えた年頃だ。佐保姫と住む世界が違うことも、悟っていた。

 それでも毎年の逢瀬をと、彼は望んだ。

 佐保姫は微笑して、いつもそれを聞き容れた。


 恋慕は片方通行のものではなくなっていた。


 佐保姫は彼を(しら)(わか)と呼んだ。

 姫自らが人に仮初めとは言え、名を与えるなど稀なること。春の一行の随身(ずいじん)や侍女たちは危ぶんだ。白梅に戯れるように、これが戯れの恋ならば良し、もし姫が熱情を持てば務めに支障が出るやもしれぬ、と。


 そして白若は成人すると同時に、嵯峨野の別荘に居を移す両親から家を任されることとなった。僅かな時の逢瀬ではなく、佐保姫が逗留することが可能となったのだ。もうその頃には佐保姫の目に、白若は熱を孕み映っていた。丁度、黄昏時の白梅のように。この恋は禁忌やもしれぬ。佐保姫の懊悩(おうのう)を見越したように、白若が佐保姫の一番外の、桃色の襲に触れた。肌が触れた訳でもないのに、佐保姫はその場に脱力して座り込んでしまった。

 月の美しい夜だった。

 随身たちは最早これまでと観念して、家の外にて待った。無論、常人には姿は見えない。

 

 襲の一枚一枚が、花びらのひとひらのように丁重な手つきで恭しく、はがされていった。

 唇を求めたのは、ほぼ同時だった。

 指と指が絡み合って、するりするりと動きながらも決して離れようとしない。いや、白若の指は時折、佐保姫の肌を滑った。精緻な文様をなぞらえるようなその動きに、佐保姫はあえかな息を吐いた。春を告げる姫は息さえ花の香りがした。

 上から見ると翅を広げた蝶を、白若が食しているようだった。

 事実として食していたのだろう。

 重なり合った身体と身体はそのように見えた。


 未来永劫、離しません。


 白若は佐保姫を抱きながら告げた。


 佐保姫は堪える顔でこれを聴いた。


 春が来ると恋が来る。

 佐保姫の恋路は毎年、続いた。


 今年でもう何年になるか、と佐保姫は白梅に触れていた手を胸に当て、恋知り染めし乙女のように俯いた。しかし毎年であればすぐに、佐保姫が先触れを遣ると、迎えに出る筈の白若が出てこない。佐保姫は一人、家の内に入り込んだ。鍵は掛かっていたが、神霊である佐保姫には造作もないことだ。


 いつも二人で過ごす座敷に、白若が床を敷いて寝ていた。枕元には薬袋と水差し。その時が来たのだと、佐保姫にはすぐに察しがついた。いつか来ることと怯えていた。人と神霊の時の流れは異なる。それでもまだ、白若は青年の域を出ない年齢だった。早い死期の訪れに、何という運の悪さかと、佐保姫は嘆いた。

 嘆く佐保姫の頬の涙を、白若の手が拭う。


 泣かないでください。

 されど其方(そなた)は逝ってしまう。逝ってしまうではないか。

 姫。泣かないで。

 逝ってしまうではないか……。


 それ以上を言わせじと、白若は佐保姫の言葉を封じた。彼の命の最後。その露の一雫は佐保姫を愛する為だけに滴り落ちた。不治の病の身のどこに、そんな焔が潜んでいたのかと思う程に、嘗てない激しさで白若は佐保姫を求めた。月は最初の晩と同じように天頂高く出て、二人を照らしている。佐保姫が喘ぐと、白若はその息すら吸った。声も唇もどこもかしこも、佐保姫を喰らい尽くさんばかりに白若は猛り狂った。今の二人の間に人と神霊の隔てはどこにもない。佐保姫は燃える心地で白若の愛情を受け容れた。


 やがて月が隠れ、外がうっすら白んでくる頃。

 夜の激しい動きが嘘のように、動かなくなった白若の頭を抱く佐保姫がいた。もう彼女の涙を拭う手はない。

 佐保姫は、白若の亡骸が腐らないように呪を掛けた。

 そして春の務めを終えると、吉野に向かった。

 吉野は古来より蘇りの聖地とされ、佐保姫はその神霊である丹生(にお)()姫とは永の付き合いだった。


 のう、白若。

 いつか言うたように、未来永劫、わたくしを離さないでおくれ。


 佐保姫はまるで生きているかのように、白若の亡骸に語り掛ける。

 泣きながら語り掛ける。

 その涙を拭う手が、あった。


 翌年より佐保姫の一行には随身が一人、増えた。人の身から人ならざる者へと蘇ったその者は白若と呼ばれ、常に佐保姫の傍に侍ると言う。




写真提供:空乃千尋さん

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これまた美しいお話ですね。 美しくて、儚げで、目の前に白梅の花が咲き乱れていて、匂いまで漂って来るかのようでした。 そう、真っ昼間に読んでいるというのに、宵闇と、白くおぼろ気な月明かり…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ