7.思い出の始まり
ベッドから立ち上がると、すっかり眩暈は消えて気分も良くなっていた。日華の君と会話したのが、気が紛れてよかったのかもしれない。
日華の君もそんなミアの様子を見て、安心したようだ。
「本当に大丈夫そうだな。良かった。それで、ミアはここに調べものがあると言っていたが、何を探している? 」
ミアは日華の君が拾ってくれたであろう額当てとターナをつける。暑い季節のターナはあまり心地よくないが、仕方ない。
「二十年前に行われた大礼式の舞踏譜です」
「ミアがその舞踏譜とやらを探すということは、そなたが舞手に選ばれたのだな」
ミアは一瞬言葉につまる。
別に箝口令が敷かれているわけではない。現に神殿中では既にその事実が広まっている。
しかし式当日、皇家や各国の要人の前で舞うのだから、必然的に日華の君もその舞を見ることになる。ミアは少しだけ恥ずかしくなった。
それでも嘘をつく理由はないので、正直に答える。
「はい。私で務まるのか不安で、今から緊張しています」
「現大神官のアーネスは非常に聡明だと聞いている。舞手を選ぶのは大神官なのだろう? ならばミアで務まると思って指名したわけだ。自信を持てばよい」
何の根拠もない励ましだったが、日華の君が言うと不思議と説得力があった。
「しかし何故、舞踏譜とやらを解読せねばならないのだ? 前回の舞手に習えばよいではないか。前回の舞手はおらぬのか」
前回の舞手は二等神官のフルテニだったはずだ。今も神殿にいるし、もしフルテニが「シャンティエ リマ ソルナ」を舞っていたら話は早かっただろう。
「前回の舞手は神殿におりますが、舞が違うのです。この二十年間舞われていない舞ですので、振り付けを知る者がおりません」
「なるほど。それで、記録されているはずの、舞踏譜が唯一の手掛かりということか。何故わざわざこれまでのものと違うものを、舞わねばならないのか疑問だが、決まった以上は仕方ないか。ミアが倒れる前にも言ったが、私も手伝うぞ」
ミアは心臓が止まるかと思った。一体日華の君は何を考えているのだろう。皇家は太陽信仰の担い手であり、各国の要人の謁見や、巡礼者への施しなど、忙しいはずだが、日華の君には忙しそうな様子が全く感じられない。
「そんな、日華の君様のお手をこれ以上煩わせるわけには参りません。皇家のお方に手伝わせたとなると大変です」
正直言って、きらびやかな雰囲気をまとった日華の君と、落ち着いて一緒にいられないともミアは思っていた。皇家が持つ品なのか、他の者にはない独特の風格が日華の君にはあった。
「言っておくが、大書庫の所蔵本は膨大だぞ。しかも、書官は新入りだ。恐らく皇宮の中で一番大書庫に精通しているのは、私だろう。もう体調が戻ったのなら、この部屋を出て書庫を見渡してみるといい。驚くぞ」
ミアは信じがたいと思った。大がつくからには、大きな書庫だとは思うが、目当ての本は決まっているのだ。それを探すだけなのだから、何も問題はないと思っていた。
しかし、日華の君に言われた通り、部屋の扉を開けると、目の前には大きな書棚が、見渡す限り広がっていた。それは書庫というより、一度入ると抜けられない迷宮のようだ。
ミアはとりあえず一旦扉を閉じた。
「感想は? 」
「だから言っただろう」と日華の君の瞳が語っているのがわかる。
「想像していた書庫と違います……」
ミアは今目にした光景に圧倒されて、そう答えるので精一杯だった。
「そうだろう。ここにはありとあらゆる書物が所蔵されている。各国からの使者が献上する本もあるから、皇国以外の書物も山ほどある。全て読もうとするなら、十年はかかると思うぞ」
ミアはリオナを連れてこなかったことを、今更後悔していた。リオナがいれば、日華の君を煩わせることはなかっただろう。もしかしたら、倒れたこと自体起こらなかったかもしれない。
ミアがどうしたものかと悩んでいると、部屋の扉が開いた。文官の格好をした青年だ。
「殿下、神官様の具合はいかがですか。必要があれば、医務官の手配をする準備はできておりますが」
青年はおそらく、日華の君が言っていた「医務官を手配するために外で待機させていた」書官だろう。ミアが一度扉を開けたので、何か動きがあったのだと思って、様子を伺ったらしい。
「待たせて悪かったな。この通り神官は大丈夫そうだ。ところで、そなたここの専属書官だったな」
「はい。先頃任官したばかりですが……」
「こちらの神官が、二十年前の大礼式の記録書を探したいそうだが、そなたはすぐに見つけられるか? 」
二十年前という単語を聞いて、書官は少し青ざめたように見えた。書官の答えは聞かなくても明らかにわかる。
「殿下はご存知かと思いますが、十年以上前の書物は地下四階の広大な特別書庫に保管されています。目的の書物を探すのに早くて一日がかり、通常でも三日はかかります」
「最後の質問だ。そなたと私であれば、その書物を見つけるのはどちらが速いと思うか」
「書官としてお恥ずかしい限りですが、間違いなく殿下でございましょう。私は新任ですので、地下四階の特別書庫に数回しか行っておりません。殿下の方が慣れておいでだと思います」
「そうか。貴重な意見だ。では、そなたは業務に戻ってよい。長時間待たせてすまなかったな」
日華の君がそう言うと、書官は一礼し、部屋を差って行った。
また二人きりになると、日華の君は試すような口ぶりでミアに話しかけた。
「これでも、一人で頑張るのか? 不毛な努力は時間の無駄だぞ」
大礼式まで一ヶ月。ミアに選択の余地はないらしい。
「日華の君様、私の負けです。お手伝いいただけますか? 」
ミアの観念した言葉を聞いて、日華の君は嬉しそうに微笑んだ。
「素直でよろしい。では、私から条件が二つある」
「何でしょう? 」
「ここに通う時は、そなた一人で来てほしい。つまり、従者を付けないでほしいのだ」
ミアはずっと疑問だった。皇家の方ともあろう日華の君が、何故一人で大書庫にいるのか。
この条件にその秘密が隠れていそうだ。
「それは何ゆえでございますか? 」
「ここは、私が私でいられる唯一の場所だからだ。私も神官と同じく、皇宮から出ることはない。窮屈な世界の中で、ここが世界を感じられる場所だ。世界中の本を読み、学び、新しい世界が見える。そこに従者がいると、現実に戻されるだろう」
日華の君の意見は、ミアにもわかる気がした。役割とはいえ、一年中同じ場所で暮らすというのは、時に窮屈だと感じることがある。皇家の人間ともなると、ミアの数倍も窮屈なはずだ。
ミアは少し迷ったが、今日リオナを連れてこなかった時点で、こうなる運命だったのかもしれない、そう思った。
「わかりました。ここには一人で参ります」
「良かった。では、今日はもう遅い。明日の朝、私は執務が終わったらここに来よう。そなたは明日も来れるか」
「はい。毎日は朝から参るつもりです」
「そうか。私は来れぬ日もあるかもしれないが、なるべく来よう。そなたは面白いからな」
「面白いですか? 」
「ミアは素直だ。私の周りは欺瞞に溢れている。今日は久々にたくさん話して、楽しかった。だから、これから大礼式までの間、身分を越えて接してほしい。これが二つ目の条件だ」
冗談かと思ったが、日華の君の瞳は真っ直ぐだった。ミアには欺瞞という言葉がいまいちわからなかったが、日華の君があまり楽しくない毎日を過ごしているのは理解出来た。
「身分を越えて、ですか? 」
「そうだ。神官としてではなく、ここではミアとして、友として接してくれないか」
その条件は本来ならば到底承諾できないものだ。相手は皇家の皇子で、自分は一介の神官に過ぎない。大きなくくりで考えると、ミアは日華の君の従者にあたる。
しかし、日華の君の口調は真剣そのもので、ミアをからかっているようではなかった。
そんな日華の君を見て、ミアも自分に素直になることを決めた。
「わかりました。日華の君様がそうおっしゃるのでしたら、喜んで」
そうミアが答えると、日華の君は「ありがとう」と嬉しそうに笑う。しかし、その笑みはどこか孤独を感じるものだった。
こんばんは。花岡和奈です。
ブックマークをしてくださっている方、本当にありがとうございます。
読んでくださっている方がいると思うだけで、勇気がでます。
それと同時に、せっかく読んで頂けるのだから、面白い話を書かねば!と息巻いています。
今回も二話UPでしたが、いかがでしょうか。
ミアと日華の君の会話に終始してしまったので、あまり展開はないように見えますが、後で重要なシーンになりますので、お読みいただけると嬉しいです。
ミアにはこれから多くの試練が待っています。
その試練に立ち向かうために必要な「思い出」をこれから作っていくという意味で、このサブタイトルになりました。そう思うと少し切ないでしょうか。
とはいえ、暗い話にはしません!(というか、私の性格上できません)
長い話になりますが、どうぞお付き合いください。
2016年10月30日 花岡 和奈 拝