出会いとは衝突
少しでも読み続けたいと思って頂ける文章が書けるようになりたいものです(>_<)
気づいた時には男を突き飛ばしていた。
助けに来てくれたのが女性ではないと知った時、少しだけ躊躇した。けれどかけられた言葉が思ったよりも優しかったから、羞恥に耐えコルセットを緩めてほしいと頼んでしまった。
リランシスの傍らで男が息を飲んだのもわかった。驚かれるのも無理はない。が、この際恥じらいなどは捨ててしまわなねば。
そう思いもう一度頼むと少しの間のあと、男がそっとコセットを緩め始めてくれた。
一気に呼吸が軽くなる。大きく息が吸えた時は生き返る思いだった。
――そう、ここまではよかったのだ。
なのにコルセット紐を全部外し終えるとと男は、
「本当にいいんだな?」
と問いかけ、素肌とコルセットの間に手を滑り込ませてきたのだ!
リランシスは声にならない悲鳴を上げた。
そして左手で胸元をぐっと掴むとさっきまで倒れ込んでいたとは思えない俊敏さで振り返り、男を突き飛ばして素早く立ち上がった。
「何をなさるの!?」
触られたところにぞわぞわと悪寒のような感じて、恐怖と怒りに肩を震わせた。
激しい鼓動音が響く。恐い。どうしよう。
今すぐにでも逃げ出したいのに、足が震えて動かなかった。それ程に怯えていたのだ。
しかし元来負けん気の強いリランシスは、何が起こったのか把握しきれないままありったけの敵意を持って男を睨みつけた。
鋭い視線で睨まれた当の本人はと言えば、リランシスと同じくらい――もしかしたらそれ以上に驚嘆した顔で廊下に尻もちをついていた。
「なんだ、急に……」
床に手とお尻をつけた形で見上げる男を見て、リランシスはさらに困惑した。
(なぜこの男がびっくりしているのよっ)
自分はこの男に襲われそうになったのではないのか? まさか抵抗されるとは思っていなかったとでも言うの?
もはやコルセット姿であることなどリランシスは忘れて言い募った。
「あなた、騎士でしょう……? なんでこんなことを!?」
そう、なんとこの強姦(未遂)魔、騎士の装いをしているのだ。何もかもが信じられなかった。
ここで叫んで助けを呼べば彼の人生は終わりだ。そう思って強気に出たのに、返ってたきた言葉は思わぬものだった。
「そっちから誘っといてそれか……」
先ほどまでの動揺はいつの間にか消え失せ、意気消沈した表情で乱暴に言い放った男は大きな溜息を吐いて何かを小さく呟いた。聞き間違いでなければ、あほ、と聞こえたような。
「そんなことするわけないわ! それに阿保とはどういう意味?」
怒りくるう心を必死に宥め、形だけでもと息を整える。これでも淑女としてのプライドがあるし、自分ばかり興奮しているのも癪だったからだ。
「現にコルセットを緩めてやっただろ? ……アホってのはあんたにじゃなく、自分に言ったんだ。こんな罠に嵌るなんて」
「コルセットを緩めたからなんだと言うの? 罠?」
リランシスの眉間の皺が濃さを増した。
「別にしらばっくれなくてもいい。誘いに乗った俺にも責任はあるからな」
「しらばっくれてるのはあなたの方でしょう? さっきから何を言ってるのかわからないわ。私は何故騎士ともあろうあなたがこんなことをしたのかと言ってるのよ!」
「あんたが誘ってきたからだろ! ……違うのか?」
「な、な……」
絶句、とはこの事である。リランシスはあまりにびっくりしすぎて何も言葉が出てこなかった。
その様子を見て、男も不思議そうな顔をした。
何かが噛み合っていない。
ふたりともが感じた違和感だった。
「一度落ち着いて話さないか? まずはあんたの服装をどうにかした方がいい」
(たしかに、そうね)
男はリランシスの乱れた姿を見ようとはしなかったが、辛うじて胸元を隠しているドレスをぎゅっと掴み直す。
こちらを見ないのは己を悔いているから? それとも現実から目を逸すため?
どちらにしろ信用はできない。が、状況を整えるのには賛成だ。今の状態はよろしくない。
「わかったわ。そのかわり誰か仲介してくれる方を捜しましょう」
「もちろん、それについては考えがある。まさか俺がコルセットを締めるわけにもいかないしな」
そう淡々と告げた男をリランシスは疑い深く見つめた。
(これが演技だとしたら、なおさら注意しないといけないわ)
いつでも逃げ出せる心構えは出来ていた。
視線の先で、男が徐ろに立ち上がる。
その瞬間、心臓がぎゅっと掴まれるような感覚に襲われる。しかし男がこちらに来ることはなく、リランシスが凭れ掛かっていた壁から手前に数歩いったところにある扉をトントンと叩いた。
返事が返ってこないとわかると、中を確認し
「この部屋は誰も使っていないようだから、中から鍵をかけて待っていてくれ」
と言った。
(どうする?)
リランシスは己に問いかける。
さっきからずっと母の顔がちらついて仕方がない。もし舞踏会から逃げ出した先で、強姦されそうになったことが知れれば今よりも束縛が酷くなるだろう。
ここで大声を出して助けを呼ぶこともできる。けれどお互いがそれを望んでいない……
「あなたが戻ってくる保証がないわ。そのまま逃げてしまわないとも限らないでしょう?」
「ああ、言われてみれば……じゃあここにこれを置いておく。騎士の身分証明みたいなもんだから。――これでいいか?」
男が床に置いたのは、胸元についていた王家直轄を意味する紋章だった。それをなくすと厳しい懲罰がくだると噂されていた……
悩んだ末、リランシスは頷いてみせた。
* * *
机の上に置いた紋章を見つめながら、このまま置き去りにされるのでは、とか。こんなもの実は何の保証にもならないのでは。とも考えたが、杞憂に終わった。
「ハルロメル・トルセッタリッシュだ」
ノック音の後、そう告げられても誰かわからなかった。無理もない。お互い名乗ってなどいなかったのだから。
「女性を連れてきたから、まずは着衣を整えてもらってくれ」
しかし声で彼だと気づくと、とりあえずは戻ってきてくれたことにホッと胸を撫で下ろした。
「女性なんて柄じゃないんだけどね」
「……いきなりこんなことを頼んで悪いが、頼むな」
「任せて」
扉の向こうでそんなやり取りが行われると、「鍵を開けて頂けますか?」と声が問いかけた。
メイドが来てくれたのだとばかり思っていたリランシスは、想像と違う人物が入ってきて目を見開いた。
「ふふっ。こんな見た目でもれっきとした女ですから、心配しないで下さい。なんでしたらお見せしますよ」
戯けた口調で言って、その人は首元を緩め始めた。胸元が大きく開けられたところではっとすると、慌てて静止の声を投げた。
「お、おやめ下さい! あの、まさか騎士のお方とは思わなくて……男性と間違えたわけじゃないんです。ごめんなさい」
そう。確かに女性にしては声は低く、身長も高かったけれど男と見間違えたわけではない。
予想外の事態に驚いただけだが、彼女を傷つけてしまったかもしれないと思い、リランシスは慌てて謝った。
けれど女性騎士は怒るどころか、優しく微笑んだ。
女のリランシスがドキッとしてしまうほど、綺麗な笑みで。
「お気になさらず。例え男と間違われたようとも全く気にしませんから。っと、それよりもそのお姿をどうにかしないと。私も目のやり場に困ってしまう」
「……ありがとう」
(素敵なお方だわ)
ふっと呼吸がし易くなった気がした。
チェルシーと名乗った女性はてきぱきとドレスをリランシスに着せると、内緒話をするように声を落とした。
「で、奴に何をされたんですか」
突然の質問に思わず「えっ」と返す。
いつかは聞かれるだろうと思ってはいたが、直球で問われ驚きと共にチェルシーを見上げた。
「ハルロメルとは同僚ですけど、女を痛めつけるクズなら話は別です。私はあなたの味方ですから、怖がることはないですよ」
その表情は先ほどとは違い固く厳しく、リランシスは内心たじろいだ。
(ここであの男に襲われたのだと言ったら、チェルシー様は信じて下さるだろう。でも、本当にそうだったのかしら……?)
無意識に視線が扉へと向いた。その向こうで待っているであろう男の姿を想像すると、何故だかすぐに言葉が出てこなかった。
しばらく悩んでから、リランシスはチェルシーに視線を戻した。
「……お心遣い、とても有難く存じます。けれど、お話をするのであれば三人で。そうでないと公平ではないわ」
何故かもう彼がただの強姦魔だとは思っていない自分がいた。
「チェルシー様がいて下されば私は、……きっと外の彼も助かります。巻き込んで申し訳ないのですが、お力をお貸しいただけますか?」
チェルシーはじっと話を聞いてくれていたが、リランシスが話し終えると彼女の手をぎゅっと握りしめた。
「ハルロメルに連れて来られる間に何があったのかと訊ねたんだ。そしたらあいつ『俺が先に話したら意味がない。あんたは彼女の味方になってくれ』って言っていた。……あなたが素敵な女性で、本当によかった」
(素敵なのはチェルシー様の方なのに)
と、口にする前にチェルシーは立ち上がってしまい、奴を中に入れますね、と言った。
(大丈夫。彼も悪い人ではないわ)
部屋に設えられた椅子が向かい合うように4つ。
その一つにリランシスは腰掛けた。