ハルロメル・トルセッタリッシュ子爵の苦悩
昨今、女性の社会進出が認められ騎士団に入隊する者も見られるようになった。
チェルシー・メンデンがその一人で、女にしては高すぎる身長とガタイの良さからそこらの男よりも強いことで有名だった。夜会の警備にあたる彼女が女性から熱い視線を集めるのも無理はない。
「そうしかめ面するなよ。たまにはいいだろ?」
男よりも男らしい不敵な笑みに、もう一人の騎士は押し黙った。
ハルロメルという男はどうにも気の強い女が苦手だった。
常に己の半歩後ろを歩けとは言わないが、ああしろこうしろとうるさい母や姉を見て育つうちに、嫁に貰う人は穏やかな女性がいいと思うようになっていた。
気が強いというよりかは勇ましく豪胆なチェルシーだが、ハルロメルはこの女性とどう接したらいいのかわからずにいた。
そもそも、何故騎士になる必要があったのかがわからない。女には女の仕事があって、騎士とは男の仕事であるはずだ。
どこぞの貴族の娘らしいチェルシーがなりたいと思ったわけが、どうしてもわからなかった。
要は頭の固い男なのだ。
「たかが夜会の警備。夜が明ければ仕事も終わりだ。そんくらい我慢できるだろ?」
しかしチェルシーはハルロメルの態度に気を悪くした素振りも見せず、伸びをしている。
(何してんだ俺は)
さすがのハルロメルもバツが悪いのかぼそりと「そんなんじゃない」と呟く。
気を遣われている。しかも、どう考えても俺が悪いのに。
気まずさを和らげるようにわざと声に出して、
「さあ、行くか」
と呟き、持ち場に向かうこととした。
* * *
チェルシーと共に過ごす時間は予想以上に少なく済んだ。代わる代わる城内を見て回るのだから、会話にしても交代の時だけだ。
(夜会の何が楽しいんだか)
舞踏会が行われている広間のすぐの道を進む。綺麗に磨き上げられた廊下にハルロメルの足音と、広間から漏れる楽器の音が響いた。
伯爵家に生まれ、現在子爵の地位を持つハルロメルも最低限夜会に顔を出すようにはしていた。けれど警備にあたる方が己には向いていた。
あんな、歯の浮くようなお世辞ばかり吐く男の気が知れない。それを聞いて嬉しそうに微笑んでいる令嬢だって心で何を思っているかなどわからないのだ。
(あの上っ面で埋め尽くされる空間が気持ち悪くて仕方ないと思うのは、俺だけなのだろうか……)
ハルロメルは顔が整っているわけでもなければ、不細工でもない。いわば普通。身長だけは人並み外れていたが、かといって見惚れるほど体格がいいわけでもなかった。
ごてごてした服を嫌い動きやすさを重視し、濃い茶髪の髪を櫛でとかす習慣もない。それで女性が好む甘い言葉も吐かないとなれば、社交には不向きだった。
そのため子爵という地位を持ちながら、女性にモテないのである。
(このままじゃ困るんだけどな)
約束の期日がすぐそこまで来ている。何としても嫁を見つけなければならない。
……のに、ハルロメルは自ら社交界を遠ざけてしまうのだ。
はぁ。大きな溜息を零れ出た。
何事もなく歩き続け、気づくと城の東側の端まで来ていた。あの角を曲がって何もなければあとは戻るだけだ。
すれ違うのは使用人ばかりで閑散としている。逢引にも適さないし、当たり前といえば当たり前か。
今回も問題はなしかな、と思いかけた時ふと影が目に入った。
(子どもか……?)
近づけば小さな影が子どもではなく、ドレス姿の女性が蹲っているのだと気付く。
何かあったのだろうか。自然と気が引き締まった。
急いで駆け寄ると足音に気付いたのか助けを呼ぶ微かな声が響く。
「どうなされました」
上半身がコルセット姿であるのはすぐにわかった。瞬時におそわれたのか、と思う。しかしそれにしてはおかしな点が多い。
何にしろ繊細な問題であることに間違いはないだろう。慎重に対応しなければ。
「ど――」
令嬢の側にしゃがみ込み、もう一度どうしたか尋ねようとしてはっとする。何があったのか口にしたくない場合もあるのではないか。
ハルロメルの眉間に皺がよる。前述したように女性の扱いに長けた男ではない。
ない頭で考えること数秒、なるべく刺激しないような言葉を選んだ。
「私にお助けできることはございますか」
返事はとてもか細かった。
一瞬何を言われたのかわからないほどに。
しかし徐々にその言葉の意味を理解し始めると、努めて見ないようにしていたものが次々と目に飛び込んでは逸らせなくなった。
見たこともないほど白く、艶やかな肌。きっちりと結い上げられていたと思われる髪も、露わになった背中をふわりと覆っていた。
何もかもを明るく照らし出す眩い光を放つマルディプ鉱石をこれほど恨んだことがあっただろうか。
(コルセットの紐を緩めてほしい――。この女は今そう言ったのか?)
まさか、信じられない。
そんなハルロメルに追い打ちをかけるように、
「もう我慢できないのです……! だからどうか……っ」
女性が言い募った。
(どうかしてる……!)
その声が全身に甘く響いて仕方なかった。
あんなに苦しげに助けを呼んだと言うのに。
まさかこんなことが目的だったのかと怒りさえ覚えているというのに……それ以上に触れたい、という思いがハルロメルの中に渦巻いた。
仕事中だとかここがどこかなどと言った思いが段々と薄れてゆく。
据え膳。そんな言葉が浮かんでは消えた。
右腕が女性の肩に伸びる。
まさかこんなわけのわからない女の誘いに乗るつもりなのか? 人気がないとは言え、廊下で下着姿になる露出狂の?
葛藤が止むことはなかったけれど、同時に手の動きを止めることもできはしなかった。