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ファイエルベルクの祈祷師《1》  作者: 小野田リス
8/21

祈祷師の役目

「荷造りを手伝うようにって、さっきクリス様に言われたんだけど……もう終わっちゃうみたいね。」


慌てた様子で部屋に入ってきたリリーは、窓際に据えられたテーブルで荷を詰めているに二人に声をかけた。夕食はすでに終えられ、他のメイドによってその片付けも済んでいた。


祈祷師とその見習いの少年は、それぞれ年季の入った沼色のずだ袋に持ち物を仕舞っているところだ。


「旅の支度といっても、これだけだから……大丈夫よ、リリー。ありがとう。」


フェリスはテーブルの上に並べられたものを指して、眉尻を下げるおさげの少女に微笑んだ。帳面やペン、インク、小ぶりのはかり薬研やげん、乳鉢、乳棒、いろんな大きさのさじなど……次々と袋に収められていくのを、リリーはそばで見ながら話しかけた。


「他に持ってたものだって、私らのためにいろいろ使っちゃったわよね。」


「だとしたら、祈祷師としてみんなのお役に立てたってことよ。嬉しいわ!それに、あなたに頂いた布で作ったハンカチとか、焼き菓子の包みとか……お土産を入れる隙間がたくさんできたし、その方が良かったのよ。」


「それもそうね。」


出会って間もないが、すっかり仲良くなった二人は、ふふふと小さく笑いあった。


「お土産って……無事に帰れなきゃ渡せないよ。」


笑顔で話す祈祷師とメイドに、黙々と作業をしていた見習い少年が暗い声で割って入った。


ラドルの言葉に表情を改めたリリーは、廊下に繋がる扉の方へ注意深く視線を向けながら、ささやくように言った。


「私にできること、ない?ほかのメイドだって、皆あんたたちの味方なんだから……見張りのやつらを何とかして引きつけておくから、その間に窓からこっそり逃げられないかな。」


それを聞いて一瞬、琥珀色の瞳に喜色をきらめかせたラドルだが、すぐにここが2階であることを思い出し首を振った。


「だめだよ、ぼく高いところ苦手だし。」


「あんなに高い山の中に住んでるのに?」


「それ関係ないでしょ!……地面が遠いと、足がすくんじゃうの!」


「ラドル、可愛い!!だったらずっと、小さいままでいて!!大人になったら、今よりずっと地面が遠くなるのよ!!」


そういってぎゅうぎゅう抱きしめるメイドと、若干うんざり顔でなされるがままの少年をニコニコと見守っていたフェリスだが、ふと真面目な顔になって言った。


「リリー、わたくしたちのことを心配してくれるのは嬉しいのだけど……何もしちゃいけないわ。クリス様はみんなの雇い主なんだもの。逆らうようなことをして、ここで働けなくなってしまったら大変よ。」


「それはそうなんだけど……ほんと、兵士あいつら、あんたたちにあんな世話になっといて、何とも思わないのかしら!」


リリーはラドルの肩に腕をまわしたまま、苦々しげに言った。城主からは何も詳しくは聞かされていないものの、フェリスたちが明日、フルスの町に連れて行かれるという噂はすでに広がっていた。フルスはファイエルベルクとの関所からはずいぶん離れている。そのため、あの祈祷師はやはり国許くにもとに送り戻されるわけではなさそうだと、フェリスを知る城内の者たちは心配顔で囁きあっているのだ。


「ねえ、明日連れていかれるのよね。その後あんたたち、どうなっちゃうの?」


「わたくしたちにもよく分からないの。そのフルスという町で、呪術師に会うことになってて……そこから先はどうなるかまだ分からないわ。」


「呪術師!?なにそれ。祈祷師とは違うの?」


リリーのその様子を見ると、どうやらデーネルラントではまだ呪術師の存在は一般的に知られていないようだ。フェリスはひとまず、そのことに安心した。心配顔のメイドはさらに続けた。


「危ない目に遭うんじゃない?そういえば護衛の女の人も一緒に来てたけど、あの人はどうしたの?」


それにはすかさずラドルが寝室の方を指して答えた。


「あっちの部屋にある荷物をまとめてるの。」


フェリスに『ハナはかくれんぼ中で』とかなんとか言い出されたらややこしい。リリーは、ラドルの言葉に促されるまま、一度は寝室の扉へ視線を向けたが、『あっそ』と納得して様子で、またフェリスに話を続けた。


「護衛がついて行くなら、ちょっとは安心だけど……あんたたちがひどい目に合わないかって、みんな心配してるんだから。何にも悪いことしてないんでしょ?なんでそんなことになってんのよ。」


「それが分かればねえ……まあ、行ってみたらはっきりすることだわ。」


「あんた、ホントのんきねえ!」


声色に焦りのないフェリスに、リリーは呆れ顏になる。


「その、呪術師?そいつも怪しいけど、フルスっていったら、国境近くじゃない。あの辺は治安も悪くて、町の外は一人で歩けないくらいだって聞いたわ。」


「あら、そうなの……気をつけるわ。」


「町の中は大丈夫みたいなんだけど……フルスには、兵士がたくさんいるんだって。国境警備の拠点になってるのよ。」


「リリーは物知りね!」


「あんたのために、いろんな人の話を聞いて、情報を集めてきたのよ。」


リリーは腰に手を当てて、おどけて胸をらして見せた。しかしすぐに真面目な顔に戻る。


「ねえ、何か他に知りたいことない?私、ここ長いから、みんなけっこういろいろとしゃべってくれるのよ。ほんとはここから逃がしてあげられたら一番いいんだろうけど……クリス様に直談判じかだんぱんとか、さすがに怖くてできないし……」


「ありがとう、リリー。」


フェリスは、こんなに親身になって心配してくれる人がいるというだけで嬉しいのだといって感謝した。


そしてふと思いついたように、そういえば、とリリーに尋ねた。


「ねえ、クリス様って、何かとても困ってらっしゃることでもあるのかしら。」


呪術師に持ちかけられた取引って何なのかしら……フェリスはずっとそのことを考えていた。取引に応じないと、何か良くないことをされるのだろうというところまでは想像できるが、具体的に何をされるのかクリスは話さなかった。それに、あの時の目……シルヴィも時々あのような目で見ることがあったが、言葉に現れてはいない、何か他に伝えたいことでもあるような目だ。


リリーは、きょとんとした顔で言った。


「困ってること?……そんなの、困ってることだらけなんじゃないの?」


「そんなにたくさんあるの?!」


リリーは立てた人差し指を頬に当て、考えを巡らすように、焦げ茶色の瞳を天井向けた。


「なんたって、ここはグロースフェルトだからね。」


西の国境を守るグロースフェルトは、常に隣国ランチェスタとの関係において緊張状態にある。


リリーによると、ここ数年は小競り合い程度で収まってはいるものの、10年ほど前には国境近くの小さな集落が村ごと焼かれ、それをきっかけに戦になるかどうかという、一触即発の状態にまでなったらしい。


それに、とリリーは窓の外に目をやりながら続けた。


「ほら。見ての通り、羊や牛ばっかでしょ。特にこの辺りは土地が痩せてて、育つのは芋や小麦くらいなものよ。野菜も果物も、よそに売れるほども作れないから儲からないし……うちもそうだけど、貧しい家が多いの。」


「そうだったの……」


フェリスは、ずだ袋に入れるつもりでテーブルの上に置いておいた焼き菓子の包みを見た。その視線に気がついたリリーは、慌てて付け足す。


「うちは私がお城で働いてるから、それほど困ってないのよ!」


領内に景気のいい商売がないので、仕事も少ない。畑をしたり、羊や牛を飼えるような土地もなくて、兵士とか、城勤めとか、そういう働き口にもありつけない人はみんな、家族を養うために王都や他領の町に出稼ぎ行くのだとリリーは説明した。


「じゃあ辺境伯はお金に困ってるかもってことなの?」


そばで二人の話を聞いていたラドルは、荷詰めの手を止めてリリーに訊ねた。


「さあ、どうかしら。私らはちゃんとお給金をいただいてるけど……ただ、他の領地よりも、やってくのは難しいんじゃない?」


「困ってらっしゃるのね……お金に。」


「いや、だから”多分”の話よ。」


リリーの最後の言葉はすでに耳に入っておらず、フェリスの頭の中には”クリス様がお金に困って頭を抱えている図”が完成した。あの全身真っ黒い服装は、お先真っ暗な心の中の表れかもしれない。気の毒で眉尻が下がる。


どうしてクリス様は、そんな貧しい中から5万フォリンも自分に渡したのだろう。たまれない気持ちで、お茶の時間に交わされた会話を振り返った。なるほど、多難な領地経営の中からそんな大金を手放すとなれば、もの言いたげな目にもなるだろう。しかしフェリスたちは、呪術師の元に行くのだ。その大金を、害になることに使われることだってあるかも知れないのに……。


「いけないわ!」


「「なにが?!」」


突然叫んだフェリスに、メイドと少年は同時に訊ね返した。


「いま気がついたのだけど、もしかすると呪術師は……わたくしたちがガリエル様から頂いた、報酬の5万フォリンを狙っているのかも知れないわ!」


取引になるほどの価値がフェリスにあるとすれば、それはガリエル家からもらった5万フォリンくらいだ。呪術師がそれを狙っているなら、クリスがさらに自分たちに大切な5万フォリンを渡すのは良くないことだ。ガリエル家とグロースフェルト家からの報酬を合わせると、しめて10万フォリン。ザーシャおばさんのお店の……いや、お店が丸ごと買えるかも知れない金額だ。


そう言って狼狽うろたえるフェリスに、リリーとラドルは冷静に突っ込んだ。


「ザーシャが何だか分からないけど、グロースフェルトも5万フォリン程度で傾くほど困ってないと思うわ。」


「それに、10万フォリンじゃザーシャのお店は買えないよ。」


さらにラドルは、リリーには聞こえないようにフェリスに顔を寄せて小声で言った。


「呪術師は、呪詛を使うんだよ。ぼくらの5万フォリンなんか狙わなくったって、ランチェスタでちょっと仕事をすれば、もっとすごいお金を貰えるよ。」


「呪詛……。」


人に害をなす、怪しい術。フェリスは、ローレルに教わった言葉を思い出した。


『司祭や祈祷師が行う神事は、基本的にふたつなんだ。』


”第一の神事”が祈祷ゲベート、”第二の神事”が祝福ファイエル。そこへ、”第三の神事”と称して呪詛フルーフを扱う者たちが現れた。それが呪術師の始まりだった……。


ローレルの言葉を口の中で復唱する。


解呪ハイレン封印ジーゲル……第三の神事に対抗する力……。」


「なに?フェリス。よく聞こえないよ。」


さらに顔を近づけて覗き込むラドルに、我に返ったフェリスは明るい声で答えた。


「いいえ、なんでもないわ。」


そして、相変わらず心配そうな顔で見ているメイドに言った。


「いろいろ教えてくれてありがとう、リリー。無事に帰れるように、自分でも少し考えてみるわ。」


笑顔で感謝を伝え、それと……と続けた。


「それとね、リリー。ラドルがクリス様から本を頂いたのよ。背負えるように包みたいから、また大きい布を分けてくれないかしら。」


『分かったわ!』と笑顔で請け負い、部屋を出るリリーを見送った後、フェリスは見習いの少年に向き直った。


「ねえ、ラドル。念のために今から、ローレル先生に教わったことを、少し復習しておきたいの。付き合ってくれる?」



***



その夜。


ハナは、やはり戻ってくる気配はない。ローレル先生のところまで往復するのに2日かかると言っていたのだから、当たり前なのだけれども。


フェリスは取り止めのないことを思いながら、その晩も張り出し窓のベンチに腰掛けて外を眺めていた。


月はますます細くなり、星が輝きを増した。


光の粒を散らした夜空は、フェリスにいろんなことを思い出させる。


仕事が遅くなった日の帰り道のこと、冬入りの宴のこと、怖い夢を見たと夜中に泣きじゃくる幼いラドルを寝かしつけたこと……このまま記憶をさかのぼっていくと、ある時点で急に眠くなってくるのだ。久しぶりに、どこまで思い出せるか試してみたい気持ちになったが、今はそばにハナがいない。


ハナが思いがけず早く戻るかも知れないので、今夜はできるだけ遅くまで起きていようというラドルの提案に、フェリスは素直に従うことにしている。


そう提案したラドル自身は、フェリスの隣に腰掛けていたが、眠気には勝てない様子でうつらうつらし始めた。時々まぶたも落ちてきているが、少年はかたくなにベッドに入ることを嫌がるので、フェリスはその茶色い頭を自分の膝の上へと誘った。


少し仮眠させよう……そう思ってラドルに膝枕を貸そうとした、その時。


「フェリス、起きていますか。」


寝室の扉の向こうから声がした。


シルヴィの声だった。


一気に眠気が吹っ飛んだのか、ラドルはきびきびと立ち上がり、それまで二人がいた張り出し窓のカーテンを急いで閉めた。ハナは寝衣姿でそこに座っている……という設定にするためだ。


ラドルが「オッケー」という意味で頷いたのを確認してから、フェリスは扉を開けた。


「こんばんは、シルヴィ。どうしたの、こんな夜更けに。」


いつもと変わらない調子で話すフェリスと、その後ろで顔を強張らせるラドル……。


「フェリス、今から出かけます。すぐに準備をしてください。」


シルヴィの発した言葉は、すぐには理解しがたいものだった。


「出かけるって、出発は明日でしょう?」


そう言って小首を傾げるフェリスに、シルヴィは入ってもいいかと尋ねはしたが、すでにその足は部屋の中へと歩みを進めている。そして後手に扉を閉めた。


「いえ、それよりも先にここを出るのです。私と一緒に来てください。」


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