ティータイム・ショック
ハナが出かけた翌日、つまり拘束6日目の午後。
朝食に昼食、そしていま、お茶の時間。ハナの不在を誤魔化すために、フェリスとラドルは、彼女のために用意された食事を二人で分けてお腹に収めていた。つまり、今朝から普段より余計に食べているのだ。
しかし、お茶を飲みお菓子をつまむフェリスの様子は、そんなことをまったく感じさせないものだった。彼女は、昨日までと変わらず、グロースフェルト邸でのティータイムを楽しんでいる。
「フェリス……ぼく、もう食べないよ。」
ラドルはうんざりした顔で、座する人のいない席に置かれた焼き菓子に目をやった。
「あら、とっても美味しいじゃない。リリーのお母様が焼いてくれたそうよ。」
リリーは、母親の咳のことで相談にきたメイドだ。数日前に渡した薬草茶を飲ませたところ、さっそく効いているようだと嬉しそうに話していた。そのお礼にと、彼女の母親が昨日焼いたというお菓子を、お茶と一緒に出してくれたのだ。
そのお菓子は、干した葡萄をシロップに浸して柔らかくし、小麦粉やバターで作った生地に混ぜ込んで焼いたもので、このあたりではよく知られた、大衆的なお菓子のひとつだ。焼き加減に気をつけないとすぐに焦げてしまうそうなのだが、リリーの母親が焼いたそれは、シナモンが効いていて香りも良く抜群に美味しい。
「あなた、このお菓子が好きって話してたことあるでしょう?きっとリリーはそれを覚えていて、お母様に頼んでくれたのだわ。」
ラドルは、ホーエンドルフでもガリエル邸でもそうだったが、城でも女性たちの人気者になっている。リリーだけでなく、他のメイドたちも彼のことがお気に入りのようだ。ラドルが何気なく話しているような内容でも、そこから察することのできる好みは、食事やお茶菓子などにすぐ反映される。
「さすがラドルね!ザーシャおばさんがいつも『ラドルは年上キラーだから』とおっしゃってたわ。」
にっこりと嬉しそうにザーシャの言葉を借りて語るフェリスは、どことなく誇らしげだ。ラドルはムスッとしながら突っ込んだ。
「やめてよ……褒め言葉じゃないよ。」
ラドルの不機嫌の理由は、余計に食べなくてはならない食事のことだけではない。
「……なんで昨日の夜、起こしてくれなかったのさ。」
また言った。
「ラドル、朝からそればっかりね。」
「ひどいよ。」
「ごめんなさいね。あなたが寝ている間に決まったことなのよ。ラドルもハナに行ってらっしゃいのキス、したかったわよね。」
「ちがうよ!……帰るなら帰るで、いろいろ頼みたかったことがあったのに。」
あらそうだったのと、フェリスは目を丸くした。寂しくて怒っているのかと思っていた。
「何を頼みたかったの?」
「薬の材料だよ。材料があれば、もっとたくさん売れたのに。」
「まあ!ラドルったら、お商売してたの?!」
「当たり前じゃない。タダにしたのは、最初の膏薬だけだよ。」
5万フォリン頂いたばかりなのにと呆れるフェリスに、ラドルは肩をすくめた。
「だってフェリス、どっちみちあの報酬は全部、祈祷師協会に渡すんでしょ。」
「ええ、いつもそうしてるじゃない。」
普段の決まったお給金で十分に暮らして行けるフェリスたちだ。フェリスもローレルも、個人的に受ける報酬は全て祈祷師協会に納めている。そんな時、ダン会長はいつものお給金とは別にお手当を付けてくれるのだ。
ラドルはテーブルに乗り出し、声を落として訴えた。
「っていうか!ぼくら、”拘束”されたんだよ!」
ラドル曰く、自分たちをこんな目に遭わせているグロースフェルト卿とガリエル伯爵は兄弟なのだから、この報酬はないものと思え。たとえ、うまくここを抜け出すことができたとしても、5万フォリン耳を揃えて返せと言ってくるに違いない、と。
「あら、それもそうね。」
フェリスは、”いかにもその通り”なラドルの説に眉尻を下げた。
「残念ね……今回、お手当をもらったら、ザーシャおばさんのお店で冬用の外套を新調しようと思っていたのよ。」
「うん。それもまずは無事に帰れたら、の話だね。」
この人、捕まってること忘れてるんじゃないかしら……と、ラドルは目の前でのんきなことを言う祈祷師を、半眼で見やった。
「だからね、帰るにしても念のために路銀がいるでしょ?ハナじゃないんだから、1日や2日で走って山に帰れるわけないし。しかも帰りは4人だよ。」
そのためにラドルは、フェリスが膏薬や薬草茶などを渡した後に、小首をかしげながら上目遣いで代金をきっちり請求していたらしい。それでも、医術師の出す薬に比べたら格安だ。みんなに喜ばれながらも、手のつけられない5万フォリン以外に、いくらか自分たちのために稼ぐことができたそうだ。
フェリスは、瑠璃色の瞳をキラキラさせて祈祷師見習いに賞賛を送った。
「すごいわ!ラドルはやっぱり天才ね!なんて用意周到な年上キラーなの!」
「……だから、それやめてって。」
ザーシャも余計な言葉を吹き込んだものだ、とラドルは小さくため息をついた。
「ハナの分のお茶とお菓子は、フェリスがちゃんと片付けてね。ぼく、本の続き読んでいい?」
ラドルは奥の部屋へとつながる扉へと目を向けた。昨日、読みながら眠ってしまった本が、まだ寝室に置いたままになっている。
「そういえばラドル、何を熱心に読んでいるの?」
フェリスの質問に、今度はラドルが目を輝かせた。
「それが、すごく面白い本なんだ!二人の賢者の冒険物語なの。昨日は、その賢者たちが廃墟のようなお城に住みついてる悪い魔物をやっつけるところを読んでたんだ。そのボロボロのお城っていうのが、ここみたいにすっごく不気味でさ!」
「このお城って、そんなに不気味かしら。」
「……うん、外から見た時には、中がこんなにきれいだとは思わなかったけどさ。」
話の腰を折られて少し苛立つラドルだったが、確かにフェリスの言うことも分かる。お城の中にいると、外から見た不気味さは全く感じられない。過ごしやすく、居心地もいい。窓から見える牧草地も、心が安らぐ景色だ。特にあの図書室は最高だ。
「それで、どんなお話なの?」
話を途中で逸らした本人が、続きを急かす。
無駄な抵抗はせず、ラドルは促されるまま素直に話を戻した。
「魔物は無事に賢者たちがやっつけるんだけど……」
声を低くして、おどろおどろしく続けた。
「その魔物が住んでたお城っていうのは、周りが墓地になっててね。」
「あらそれって、このお城と同じね。」
フェリスの言葉に反応し、「へ?」と腑抜けたような声を出したラドルだった。そして窓の外を見た。
「……墓地なんてないじゃない。」
フェリスはティーカップをソーサーに置いて、ラドルと同じように窓の外に目を向けた。
「グロースフェルト卿がおっしゃってたわ。二重城壁の中は、墓標のない墓地なんですって。大陸統一戦争の時に亡くなられた領民の方を、当時の辺境伯があそこに埋葬なさったそうよ。」
ラドルの顔が、みるみる青ざめる。
「うそでしょ?」
「ほんとよ。」
「じゃあぼくら、ずっとお墓の中にいたってこと?」
「そういうことなのかしら」
「そういうことじゃん!!」
ラドルは眉尻をぐっと下げ、両腕を抱えるようにして身を竦めた。
「そういうことは早くいってよ……」
「あら、ラドルったら怖がりさんね。」
フェリスはニコニコして言った。お墓が怖いだなんて、やはりラドルにも可愛らしいところがある。
「だからグロースフェルト卿がね、わたくしが城壁からホーエンベルク山に向かってにお祈りしたのをご覧になって、『幽霊でも見えたのか』ってお尋ねになったのよ」
「ヒッ!!」
ラドルは声にならない悲鳴をあげた。
「グロースフェルト卿はご覧になったことがあるのかしら、幽霊のこと」
ちょっとやめてよ……とラドルが声を震わせて訴えたのと、廊下に繋がる扉がガチャリと開きそこに黒い人影が現れたのは、不幸にも同じタイミングだった。
「!!!!」
ラドルは大きな丸い目をぎゅっとつぶって、耳を押さえた。
「幽霊なんか見たくない幽霊なんか見たくない幽霊なんか見たくない幽霊なんか見たくない幽霊なんか見たくない……」
呪文のように唱えたが、ラドルの願いも虚しく、人影はゆらりと部屋の中に入ってくる気配がする。
「あら、こんにちは、グロースフェルト卿!」
フェリスのその明るい声を聞いて、恐る恐る、やっと目を開けるラドルだった。
「はああああああ……」
あからさまにホッとしている祈祷師見習いの少年を不思議そうに見ているすみれ色の瞳に、初めて会った時よりも柔らかいものを感じた。フェリスは少し安心した。拘束されたことは間違いないが、やはり悪い人ではなさそうだ。
「……すまん、お茶の途中に失礼する。入っても構わないか?」
「ええ、もちろん。こちらへどうぞ。」
遠慮気味に入ってくる城主と、椅子を勧める祈祷師。とても拘束者と拘束対象のやり取りには見えない。
「大事な話があるんだ。」
辺境伯は、そう言って部屋を見渡した。
「できれば3人一緒に聞いてもらいたいんだが……あの護衛の女性は?」
「「!!!!!」」
うっかりしていた。
拘束した張本人が、拘束対象の人員点呼をしないはずがない。フェリスは『ハナはどこにいるか』と訊ねるのはシルヴィくらいだと思っていたので、思わぬ人から問われ戸惑ってしまった。
「あの、えっと……ハナは今、かくれんぼ中で……」
「ごめんなさい!!!」
仕方がないので予定通りにコトを進めようとしたフェリスの言葉に覆いかぶさって、ラドルの高い声が響いた。
「あの、グロースフェルト卿!実はぼく、図書室でとっても面白い本を見つけてしまって……寝室でも読みたいと思って、借りてきてしまったんです。」
「……ああ、構わないが……」
「それで昨日の夜、そのお話があまりにいいところだったので、寝る前にハナに読んで聞かせてもらってたんです。ベッドの中だと、暗くて文字が読みにくいでしょう?」
「目も悪くなるしな。」
「でしょ!だからハナが代わりに、枕元の燭台のそばでずっと読んでくれてたんです。ぼく途中で眠っちゃったのに、それに気がつかなくてハナは遅くまで……だから今、お昼寝中なんです。」
ラドルは、声を震わせ気味にグロースフェルト卿に向かって言葉を続けた。
「あの、もしどうしてもっておっしゃるならぼく、これからハナのことを起こしに行ってきますが……でも寝衣だから、着替えたりいろいろ準備しなくちゃならないし……」
「いや、起こさなくていい。……祈祷師殿がいいというなら、俺は別に構わないよ。」
すごいわ、ラドル!と心の中で惜しみない賞賛を送るフェリスだった。年上キラーというのは、女性だけが対象ではないようだ。
「お気遣い感謝いたしますわ、グロースフェルト卿!」
フェリスが謝辞を述べるとグロースフェルト卿は表情を変えずに言った。
「俺のことはクリスでいい。グロースフェルトとか辺境伯とか、あまり呼ばれ慣れてないんだ。」
クリス様……フェリスは口の中で小さく呟いた。
「では、わたくしはフェリスで結構ですわ。こちらはラドルです。わたくしの仕事を手伝ってくれてますの。」
そう言ってフェリスは、未使用だったハナのティーセットを使い、クリスのためにお茶を用意した。ラドルがもうお腹いっぱいで無理と言っていた、ハナの分の茶菓子も一緒に勧める。
テーブルに着いたクリスは、そういえば、とラドルに話しかけた。
「面白い本を見つけたと言ったが、どんな本だ?」
小芝居が済んで、ホッとしていたラドルに再び緊張が走る。
「あ、あの、二人の賢者が世界中を冒険する話です」
クリスは目を細めた。
「ああ、あの本は俺もよく読んだ。おまえと同じで読むのをやめれず、寝室でよく兄に読んで聞かせてもらった。」
二人は仲の良い兄弟だったのだろう、懐かしむようなその目は優しいものだ。
フェリスは、その”賢者の冒険物語”についてさっきまでラドルと話題にしていたことを訊ねてみた。
「クリス様は幽霊をご覧になったこと、ありますの?」
フェリスの質問に、驚いたように目を見開いたクリスは、逆に訊ね返した。
「いや、ないが……どうして?」
「最初にお会いした時に、わたくしにそうお訊ねになったでしょう?実はこのお城を取り囲むリングはお墓なのだって、そうおっしゃって……」
思い出したのか、クリスはふっと笑みを漏らした。
フェリスは心が和んだ。この上から下まで真っ黒で冷たい印象を与えがちな青年も、笑うと意外と人懐っこさを感じさせる。
「そういえばそうだったな……少し脅かしてやろうと思ったんだ。」
「まあ、お揶揄いになったの?」
「しかし祈祷師殿には効かなかったようだな。拘束中にもかかわらず、随分と城の者たちと交流を深めてくれたようだ。」
そういってクリスは焼き菓子をつまみ、口の中に放り込んだ。
そういえば、と思い出したようにフェリスは言った。
「そちらのお菓子は、サリダ様もセディ様も大好きでしたわ……」
フェリスはガリエル邸で過ごした日々を思い出す。無事に男の子を出産した夫人宛てに、彼女の好物だからと、この焼き菓子がお祝いにたくさん届けられていた。そのお祝いのお菓子を食べたいと、フェリスにせがんだセドリック……ついこのあいだのことなのに、もう随分と昔のことのようにも思える。
「義姉上のお加減はどうだった。」
焼き菓子を飲み下したクリスが、フェリスに訊ねた。
「わたくしたちがガリエル邸を発つ時には、とてもお元気に過ごしておられましたわ!お子様も元気にお生まれになって……とっても可愛いらしい男の赤ちゃんでした。」
フェリスはクリスを見て微笑んだ。
「いきなり”拘束”なさるなんて、ひどいお方だと思いましたが……ご家族を大切に思ってらっしゃるご様子なので安心いたしました。」
「フェリス!思ったまま話さない!」
遠慮のないフェリスの言葉を制するようにラドルは小声で突っ込んだが、意に介さず彼女は続けた。
「クリス様、このお城にわたくしたちを閉じ込めて、いったいどうなさるおつもりですの?」
「直球すぎだよ!!」
「いや、それも今夜までだ。」
「え?!そうなの?!」
二人の会話に翻弄されるラドルだった。
「フェリス、ラドル。拘束は今夜までだ。明日、おまえたちを呪術師に引き渡す。」
フェリスは、クリスの言った「呪術師」という言葉を口の中で復唱した。ラドルは惚けたように口を少し開けたままになっている。
「やつらの方から仕掛けてきた取引なんだ。悪く思わないでくれ。」
「取引ということは、わたくしたちが何かの代わりになるということですのね……?」
自分たちにそんな価値があるのかしらとフェリスは心配になり、伺うようにクリスの目を見た。しかし彼女が訊ねたことには答えず、クリスはその切れ長の目を伏せて言葉を続けた。
「……おまえたちを明日、フルスの町に連れていく。ランチェスタとの国境近くだ。」
そう言い終わった後、再び開かれたクリスの薄紫の瞳には、何か訴えるようなものがあるように見えた。しかしフェリスにはそれが何を意味するものなのか、察することはできなかった。
クリスはお茶を飲み干し、立ち上がった。
「出発の準備をしておいてくれ。せめてものことだが、寝室でお休み中の護衛殿にも、もちろん一緒に行ってもらう。呪術師に引き渡した後は、どうしようと構わん。おまえたちの好きなようにするといい。」
クリスは黒い長靴の底を床に打ち鳴らしながらきびきびと扉の方へと歩き、そこで振り返った。
「あ、賢者の本だがラドル、おまえにやろう。荷物にならなければいいが。あと祈祷師殿には、俺からさらに5万フォリンだ。城の者が世話になったな。」
そう言い残し、部屋を出て行った。
**
黒衣の城主が出て行った後の部屋の真ん中で、追いかけるように立ち上がった祈祷師とその見習いの少年が顔を見合わせていた。
「……フェリス、どうしよう。」
ラドルは顔を青くして言った。その混乱具合も、幽霊の話の時の比ではない。
「そうね、報酬がすごい金額になってしまったわ。」
「そうじゃなくて!!!」
ラドルはフェリスにしがみつき、正気を吹き込むようにゆさぶった。
「ハナは明日の夜、こっちに戻ってくる予定なんでしょ?それじゃ間に合わないよ」
「そうねぇ、困ったわねぇ。せめて明日、何時頃に出発なのか、お伺いしておけば良かったわね……」
「そんなのんきな話でもないと思うんだぼく。」
どれだけ焦っても、その気持ちにフェリスを巻き込むことはできない。逆に、巻き込まれることはあっても。幼いなりに、彼女と暮らしてきた5年間でラドルが学んだことだ。
ラドルは深呼吸して、冷静になれ冷静になれと自分に言い聞かせた。もうすぐやっと9才になる自分に、できる善処ってなんだろう……自問するも、自答はできなかった。