祈祷師、拘束される
クリス……クリスチアン=グロースフェルト辺境伯は、そのすみれ色の瞳にこれといった感情を表さないよう努めていた。
「幽霊ですか?」
祈祷師は、続きを促すように訊ねる。
「昔……ここも南の蛮国に襲われた歴史がある。」
「南の蛮国……古代エメロニアが起こした大陸統一戦争のことですわね」
その戦争は、ここデーネルラント王国だけでなく、西の隣国であるランチェスタ王国、さらには南のイールズ=エメロニア帝国という、大陸の中でも強大な三国に及ぶ大きなものだった。大陸のほぼ中央に位置し、件の三国に囲まれているファイエルベルク国の歴史にも、もちろんしっかりと刻まれているはずだ。
400年ほど前に起こったそれは、"蛮国"と称された南の大国イールズ=エメロニア帝国の分裂に始まった。イールズ家とエメロニア家が慣例にならい交互に王を立てていたのだが、商業で力を増したエメロニア家が、イールズ家から出た当時の王を謀殺した。そして代理の宰相を立て、強大な財力と武力で近隣の小国を制圧していったのだ。
そしてその権勢は北方の二大国に向かう。
エメロニア家の宰相は”呪術”を扱う者を使い、それぞれの国の権威ある貴族たちに次々と謀略を仕掛け、政情不安を煽り、それにつけ込んで攻め入った。また、権力争いの転覆を図るためにわざと謀略の手を迎え入れる者もおり、誰が誰の敵なのか、それぞれの国内で起こる争いはまさに混乱状態であったという。
ファイエルベルク国は、当時、大陸の人々の信仰の要であったホーエンベルク神殿が狙われた。元来、武力というものを持たない国だったが、山に住む多くの部族や集落が結集し、力の限りエメロニアの侵攻と戦った。
そして”山の神様の奇跡”により、救われる。
ファイエルベルクにおいては、当時のことについて書かれた詳細な歴史書は、神殿の奥深くにある書物庫に保管されているらしいが、よほどのことがない限り人の目に触れることもないそうだ。おそらく祈祷師である彼女でさえ、その歴史について詳しく知らされることはないだろう。その代わるものというわけではないが、それぞれの集落に”民話”という形で残っており、夏の到来を祝う祭りの際には”山の神様の奇跡”を模した演劇などが催されると聞く。
その”山の神様の奇跡”がもたらした平和は、国内だけにとどまらず、およそ10年にも及んだ大陸統一戦争をも収束させるものだった。
……と、伝えられている。
イールズ=エメロニア帝国は、現在はイールズ帝国と名を改め、大陸を暗黒時代へと陥れたエメロニア家の滅亡を宣言している。そのため、現在は歴史上のみの存在として”古代エメロニア”と呼ばれているのだ。
「この土地も古代エメロニアに攻め入られ、領民がこの城を目指して逃げてきた。しかし、こちらの出す援護の兵が間に合わず、多くの民が命を奪われたそうだ。」
クリスは、わざと声をさらに低くして言った。
やわらかな日の光を思わせる金色の髪を風になびかせながら、祈祷師は黙り込んで二重城壁の中に視線をとどめている。おそらく、この美しい景色に眠る仄暗い影のような一面を見たのだろう。さっきまでの、周囲を照らすような明るさは顰められ、真摯な眼差しで眺めている。そんな表情もまた可愛らしい。
黙り込んで眼前を見つめるフェリスに気付かれることなく、クリスは遠慮のない観察を続けた。
濃紺色の外套からのぞく白いペザントブラウスには青い花の刺繍がほどこされ、この辺りの村娘と変わらない装いのようだ。美しい金色の髪は、よく分からないヒモのようなもので無造作に束ねられてはいるが、外套から伸びる細い首や白い手なども合わせると、どことなく儚げな印象を与える。衣装を除けば、祈祷師というよりもやはりどこぞの貴族の娘にしか見えない。
彼女が祈祷師とは……辺境伯は、複雑な思いに戸惑いながらも低い声で畳み掛けるように告げた。
「この二つの城壁の間の地面には、その時の大勢の死者が眠っている。つまり、この城は墓標のない墓地に囲まれているのだ。」
祈祷師はハッと振り返り、ラピスラズリを思わせる二つの目で辺境伯を捉えた。
その光は、彼の思惑と違い、明らかに好奇と感動を合わせたような、力強いものだった。
「まぁ!では当時のグロースフェルト辺境伯はこんな近くに領民の皆さんのお墓を作って差し上げたのですね!」
祈祷師は、フェリスは再びリング……内側の城壁と外側の城壁に挟まれた、ベルトのように城を取り囲む草地の帯へと視線を移す。
「素晴らしいですわ。こんな近くで死者を弔われるなんて……毎日、亡くなった方の無念をお慰めになりながら暮らしてらっしゃったんですのね。」
……感動ためか、目の端に光るものまで見える。
それを白い指でさっと拭い取り、フェリスは、風に吹かれて首の後ろに追いやられた頭巾を再び目深にかぶった。
「わたくしも、ここに眠る方々の為に祈りましょう。」
そう呟いて、指を胸元で結び合わせ頭を垂れた。
奇しくも、クリスが最初に見かけた姿がそこにあった。
「……」
どうやら見かけと違い、割と肝が据わっているらしい。
そしてその想像力の翼は、相当、筋肉質らしい。力強く、かなり遠くまで飛んでいくことができるようだ。
実際、当時の辺境伯がそんな信心深く慈悲に富む人だったという記述は、グロースフェルト家の保有する歴史書のどこにも見受けられないが、彼女がそういうならきっとそうなのかも知れない、と思わされている自分に気づいた。
気を取り直すように、一度目を伏せて再び開いた時、その眼光は鋭さを帯びていた。
「悪いが祈祷師殿、我が領民を悼むお気持ちには感謝するが、しばらくおまえを拘束させてもらうよ。」
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聞きなれない単語を耳にして、ゆっくりと顔を上げ振り返り、フェリスは、不思議そうな顔でグロースフェルト卿を見上げた。
「こうそく、ですか?」
「そうだ。おまえと……仲間の二人も一緒に。」
小首を傾げているフェリスを、数人の男が取り囲んだ。皆、グロースフェルト卿と同じ、黒い上衣を着ている。
「フェリス!!」
辺境伯の後ろから甲高い声が響く。同じ兵装の男たちに腕を取られたラドルの声だった。よく見ると、さっきまで平服だったシルヴィも、他の男たちと同じような上衣で身を包み、ハナの腕を掴んでいる。
「あら、ラドルもハナも……捕まっちゃってるみたいになってるわ。」
「捕まっちゃったんだよ!!」
そう叫びながら、暴れて腕を解こうとするラドルを、黒衣の男は薪の束を担ぎ上げるように、肩の上へと持ち上げた。
「ラドル、こういう時は無駄に抵抗してはいけません。」
「逆にどうしてこんな時に無抵抗なんだよハナは!」
「私の故郷のことわざに『俎上の魚』という言葉があります。私たちは、いままさに、それですよ。」
「わけ分かんないよ!」
「”お料理されるのを待つばかりのお魚”という意味よ、ラドル。」
「説明はいいよ、フェリス!」
フェリスは、ハナが時々聞かせてくれる彼女の故郷の話が大好きだ。特に、短い言葉で的確に物事を例える彼女の国の”ことわざ”は、フェリスのお気に入りでもある。
この状況に焦っているのはラドルだけのようだ。
担ぎ上げられる幼い祈祷師見習いの姿や、そんな彼をなだめるハナ、そしてまだ状況を飲み込めていないようにも見えるフェリスを見やるシルヴィは、その目にかすかな同情の色を滲ませる。
「申し訳ありません、皆さん。抵抗なさらなければ、クリス様はあなた方を傷つけるようなことはなさいません。」
フェリスは改めてその声の主に目をとめて、驚いたように言った。
「シルヴィ、あなたその服……馭者じゃなくて、兵士に見えるわ!」
その場の緊迫度にそぐわないフェリスの感想に、その場の空気が固まった。
シルヴィは肩を下げ、周りの兵士たちは肩を震わせている。
「軍人なんです、一応。」
情けない声で応じるシルヴィの言葉で、たまらずといった風に、クスクスという笑い声が漏れた。
しかし、シルヴィに『クリス様』と呼ばれた辺境伯は、その一瞬緩んだ空気を再び締めるように、配下の者たちに低い声で命じた。
「連れて行け」
こうして、わけも分からずフェリスたちはグロースフェルト辺境伯居城の一室に閉じ込められることになってしまったのだった。




