祝福の祈祷師
フェリスは横たわるグスターヴォの手を取り、自分の両手で挟むように重ねた。フルスで”仲間”に襲われ、意識を失った呪術師にもしたように……白い外套の呪術師は、去り際にグスターヴォにも呪詛をかけたようだ。
静かに解呪の祈祷を捧げると、その白い肌がわずかに発光したように見えた。
「フェリスは、やっぱり特別な血を持っているんだねぇ。」
小さく息を吐くように声を出し、祈祷師協会の会長は天井で白く光っている六芒星を見上げながらつぶやいた。解呪の祈祷で体から光を放つなど、長く祈祷師をやっているが見たことがない……ダンは、周りでフェリスを見守るローレルやハナ、ラドル、そしてシルヴィとクリスに、”賢者の冒険物語”の本を手にしながら話を始めた。
昔々……神と人は今よりももっと近しい関係にあった。人の中には神のような不思議な力を持つものがおり、痛みを和らげたり病を治したり、中には豊作のための種まき時や豊漁の時機まで言い当てる者までいたという。彼らは”呪術師”や”祈祷師”、あるところでは”賢者”と呼ばれ、その血筋は部落の人々によって大切にされてきた。しかし時が流れ時代が変わり、人知がそこかしこに及び、技術が発展するにつれ、人は神を頼らずとも自分たちの力で暮らしを整えることを覚えた。それに合わせて、不要となった”賢者”たちのほとんどはその”不思議の力”を失っていった。それでも人々は、かつての神の恵みを忘れないようにと、象徴的に”聖職者”としてその存在を今に残している。
しかし中にはその”不思議の力”を損なわずに、血で受け継いだ者もいた。
それが古代エメロニアと癒着した”呪術師”のような者であったり、ランチェスタの王家を支えたピエル=プリエール家の者だったり、ファイエルベルクを救った”山の神”であったり、あるいはこの本の中で描かれている”古代グロースフェルト”で魔物を退治した”賢者”だったりするのだ……
「時々いるんだよ、”奇跡”のようなことができる人間が。でも”不思議の力”を持つ者の存在は、顕現するとみな伝説化されちゃうからねぇ……ファイエルベルクの集落に残る民話や、この本のように。」
ダンは、ラドルの愛読書”賢者の冒険物語”の硬い皮表紙をポンと軽く叩いた。
「フェリスの父親は確か、聖職者の血筋の者だったね?」
「やっぱり、アランの娘ってことか……今の大司教も、おまえんとこの親戚だったよな。」
「ええ、今の大司教様は父の弟……私とフェリスの叔父にあたります。」
ダンやローレルの問いを肯定するように、シルヴィは淡緑色の瞳を伏せた。
「瑠璃は、聖なる石ですからね。その瞳を持つ者がピエル=プリエール(祈りの石)の血筋に出れば、男であればランチェスタ聖教会で育てられます。」
シルヴィは、父母から聞いた話を思い出していた。『立派な聖職者になるのも名誉なことだが、この瑠璃色の瞳の子は”娘”として生まれてきてくれた』と、笑みを綻ばせて腕の中の幼子を見つめていた父。その隣で花のように優美な微笑みを湛えていた母の顔が、まぶたの裏に映る……
「ローレル先生、会長様……」
解呪は済んだので様子を見てほしいと、フェリスは二人の祈祷師に声を掛けた。ローレルは、呪術師の首元と額に指先を当てた。
「かなり弱ってはいるが、大丈夫だ。命には別状ない。」
フェリスはほっとして、白灰色の床に横たわる亜麻色の髪の青年を見下ろした。グスターヴォ……子供の頃に住んでいた場所に、この呪術師もいたらしいということを、フルスで捉えられている呪術師から聞いた。ガリエル伯爵邸で一度挨拶を交わした男だと言われれば、見覚えがあるような気がする。しかしそれより以前からの知り合いだとなると、最初にクリスやシルヴィと出会った時と同じように、そして幻とはいえ白い外套の男が見せた自分の”父”のように、彼のこともやはり思い出すことはできなかった。
「わたくしは、本当に何もかも忘れてしまっているのね……」
「覚えていなくて当然なのですよ……フェリシア様……」
落ち込むフェリスに、弱々しい声がかけられた。グスターヴォが目を覚ましたのだった。
「フェリシア様……僕は、クリスや他の連中のように、あなたと一緒に遊んだことがありません。」
自分は、世話になっていたとはいえ高貴な家の娘だったあなたのことを、心から好きにはなれなかった。アラン様が呪術師の里を焼き払ったと聞いてからは、花のように愛らしかったあなたのことを踏みにじることしか考えなかった……そうグスターヴォは告白した。
「何か誤解しているようだが……ドレア村はアランが焼き払ったんじゃねーぜ。」
ローレルがフェリスの隣にかがんで、横たわる呪術師の顔を覗き込んだ。浄化の六芒星の光はなくなり、天井にはただの小屋梁しか見えないが、今度は天窓から朝日が差し込み始めていた。その明るみに照らされているからか、あるいは解呪の後遺症か、グスターヴォの顔は色が抜け落ちたように白かった。
「”仲間”が……ドレア村跡に僕を連れていってくれたのです。焼け跡から、”エメロニア”の紋章が入った薬研が見つかりました。」
アランは普段から、薬物や妖の力で人心を惑わす呪術師の存在を疎んでいた。にこやかに学生たちを見守り、自分をエメロニアの血を引く人間だと知っていながら誰とも分け隔てなく接してくれていたアランには、見えていなかった裏の顔があったのだ……それを思い知らされ、焼け跡で立ちすくんだ……足元が崩れて、地の底にガラガラと滑り落ちていくような感覚だった。
「僕はアラン様に、犬のようにただ飼いならされているだけなんじゃないかと思ったんです……」
グスターヴォはそう言って、目を閉じた。しかし眠ったわけではなさそうだ。口元をぎゅっと引き結んでいる。
「あのさー、その焼け跡で見た薬研の紋章って……天秤に蛇が絡みついてるやつだろ?」
ローレルの言葉に弾かれたように、グスターヴォの目がはっと見開らかれた。
「それな、俺の親父のだ。」
「え?!」と、ダン以外の全員が目を見張った。
周囲の目がたとえ驚愕によるものだったとしても、緋色の外套の祈祷師にとっては快感なのか一瞬、嬉しそうだった。しかし再び表情を改めて、その視線を浴びながら静かに語り始めた。
ローレルの父親は、実は、ドレア村で密かに呪術を受け継ぐエメロニアの傍流だった。それなりに地元に受け入れられ、薬師として長く暮らしてきたが、受け継ぐ”第三の神事”を放棄すべく自らファイエルベルクに入った。ホーエンベルク神殿の司祭たちにも『自ら封印してくれとやってきた呪術師は初めてだ』と驚かれながら、父子ともども封じの円の中に自ら入った。そしてそのまま家族みんなで洗礼を受け、居心地がいいのでそのままホーエンドルフに住み着いたのだ……
「俺の親父は言ってたぞ。『人を殺めることしか能のない”第三の神事”なんてくそくらえだ』って。親父も俺も、神殿で呪術と名前を捨てたんだ。」
最初は驚愕の表情で聞いていたグスターヴォは、やがて口元にふっと笑みを漏らし、ゆっくりと目を閉じた。
「自ら呪術と名前を捨てる……その手があったんですね」
あんなにも逃れたいと願っていた血と名前を捨てる方法が、こんなに簡単だったとは。グスターヴォは、ようやく自分が寝かされている石の床の冷たさを背中に感じた。天窓から差し込む朝日が壁や床に反射し、六芒星を形作る小屋梁の重なりを通して天井に複雑な影を作っている。
「フェリシア様……封じてください。この名も、力も……ブラン城を滅ぼし、アラン様を葬った自分を、すべて消してしまいたい……」
グスターヴォの閉じられた目から、幾筋もの涙がこめかみへと伝っていった。
フェリスには、自分を消してしまいたいと言ったグスターヴォの気持ちがよく分かる。動機は違っても、同じことを何度となく思ったことがあったのだ。自分が何者か分からず、思い出そうとしただけでそれを許さないと言わんばかりに眠気が襲ってくる。そばにいたはずの、家族の顔も思い出せない。それは、実は覚えていないだけで本当は大きな罪を犯したがための罰なのではないかと考えたこともあった。
でも同時にフェリスには、どうしたらその喪失感から救われるのかも分かっている。
フェリスはグスターヴォの額に、そっとくちづけをした。
「大丈夫よ、呪術師さん。消えなくてもいいの。これからは、すべてうまくいくわ」
天窓から射す光が、より一層明るいものになったように見えた。フェリスの肌も、白く光を帯びている。
グスターヴォの涙は止まり、そのまま、より深い眠りに入っていった。
***
二重城壁がひとりでに白く輝くのを、少し離れた場所で一人の男が見ていた。
「……この城そのものが、”第三の神事”に抗うものだったということか。」
祈祷師となったフェリシアが解呪を行っている間、密かにグスターヴォと入れ替わっていたその男は、彼の五感を潰してからもしばらく物陰に潜んで様子を伺っていた。新たにまた祈祷師が現れたのを機にすぐに城を出たが、タイミングが悪ければ、危うく自らの力も封じられるところだった。
「あの力は、我々の脅威となる。早めに手を打たねば」
ピエル=プリエールの血筋が、シルヴァンが生きていたことも合わせて、早急に”仲間”と話し合わねばならない。男は、草原の一本道に戻り、一度、城を振り返った後、足早に森へと向かって歩き始めた。ひとまずは、ランチェスタの王都に戻るのだ。
***
まるで”魔法使い”のようでしたわ、とフェリスは説明した。
グロースフェルト城のとある居室……フェリスたちが最初に”拘束”されていた部屋で、彼らは語らっていた。ずだ袋に入っていたリリーの母お手製の焼き菓子は、少し崩れたものもあったが、お土産のハンカチが緩衝材となったのかほとんどが無事だった。そのお菓子とお茶が並べられた窓際の大きなテーブルで、ラドルは小腹を満たしている。
怪我をした兵士たちの手当てや城内の大掃除を手伝って大わらわだったフェリスやハナ、そしてクリスも、ラドルに付き合ってそこで一休みしていた。少し離れたソファにローレル、暖炉の前の揺り椅子にはダンが重い体を預けて、ゆらゆらとリラックスしている。グスターヴォは石牢に戻されたが、解呪と封印により最初に入れられた時よりも体が弱っているため、きちんとした寝台が据えられ、そこに寝かされている。
「知らないおじさんが、また別の知らないおじさんに変身したり……そうかと思ったら、もう一人の呪術師と入れ替わったり。とにかく不思議なおじさんでしたわ」
”おじさん”を連呼するフェリスの説明がおかしくて、クリスはつい笑ってしまった。それに、フェリスが行った”解呪”や”封印”だって自分にとっては十分”魔法”に見えるのだ。
「じゃあ、白い外套の男のほんとの顔を知ってるのは、ここじゃあのグスターヴォという”元”呪術師と、フェリスだけというわけなんだねぇ。」
ダンは体をゆらゆらさせながら、神妙につぶやいた。皆が覚えているのは、アランの顔をしていた呪術師だ。暗い大聖堂の中だったことにくわえ、直前に見たものの衝撃が大きすぎて、見知らぬ顔はことさら記憶には残らない。
それは、より近くで見ていたシルヴィについても言えることだった。なおかつ、直後に呪詛をかけられた。
『クリス、急いで故郷に戻らねば……あの逃げた呪術師によって、俺が生きていることが予定より早く宰相に伝わってしまったら、全て水の泡だ。』
そういってシルヴィは、休む間もなく急ぎフルスへ戻っていった。そのまま、国境を越えるために。
8年前までアランによりパワーバランスが保たれていた隣国との関係は、ピエル=プリエール家の滅亡ですでに崩れかけている。守りの要であるブラン城の再興を望んでいる穏健派や他の三大公爵家とシルヴィは、密かに連絡を取り合い、ピエル=プリエール家の旧臣や宮廷内の支持者を集め続けていた。そしてついに幼かった王太子が近く成人して王となるこの時機に合わせて、ピエル=プリエール家の復興を聖教会に宣言させる計画を進めていた。
しかし宰相は、それまでに一切の抵抗勢力を排除し、自分の権力を磐石のものにしておかねばならないと考えているだろう。デーネルラントとの抗争に乗じて、国内の勢力図を大きく描き換えようとしていていたランチェスタ国内の強硬派や有象無象の貴族連中は、そんな宰相側についた。彼らは、平和よりも目先の利権を優先し、短絡的に戦争を望んでいるのだ。
多くの民が犠牲となるような大きな戦を厭う王族やエトワール宮廷の穏健派勢力が、宰相によって押さえつけられている今、ピエル=プリエール家の嫡子が生きているということを不用意に強硬派に知られてしまっては、ランチェスタ聖教会との取引などに利用されてしまう。これまでの水面下での動きが水泡に帰し、ブラン城は永久に廃城のままだ。
もし戦争になれば、国境を挟むグロースフェルトとフォレ・ブランシュは、これまでの小競り合いとは異なり、矢立となって真っ先に戦の波にさらされる。それだけではない。大国の戦争は、かつて古代エメロニアが起こした戦のように、大陸全土を巻き込むものとなるだろう……。
8年かけたブラン城再興計画を失敗させるわけにはいかない……と、神妙な顔でつぶやくシルヴィの前に、ハナが膝をついて首を垂れたのだった。
「ぼく、びっくりしちゃったよ。ハナがシルヴィに話したこと……」
話し始めておいて、遠慮ぎみにフェリスの様子を伺いながら言葉をすぼめた祈祷師の少年だったが、フェリスは『大丈夫よ』と微笑んだ。
ハナは、自分はシルヴィが人質としてデーネルラントに送られた後にブラン城で雇われ、アナベルの侍女として側仕えしていた者だと話した。そして、アナベルに頼まれて密かにフェリスをランチェスタからファイエルベルクへ連れ出したことを短い言葉で告げた。
『アナベル様は、私が最期を看取らせていただきました。』
なぜか呪詛にかかることのなかったハナは、アランの指示でアナベルとその娘を城外へと密かに連れ出した。夏に使われる狩人のための仮小屋でしばらくの間、ふたりの看病を続けていたという。アランは城の中で襲撃者たちと最後まで戦い、そこで果てたと聞いている。
『ブラン城やフォレ・ブランシュの騎士たちは、多くはありませんが生き残り、いまも城の近くの森の中で身を隠して生き延びております。アラン様のご子息が生きておられることを知れば、皆、再びピエル=プリエール家のために働きたいと願うはずです。』
そう言ってハナは、シルヴィに従属を示す態度でさらに深く頭を垂れたのだった。それはまるで、主君に忠誠を誓う騎士のようだった。
しかしシルヴィは、ハナに『引き続き、フェリシアの警護を』という命令を短く下し、笑顔でその腕を引っ張り上げて立たせた。ハナの黒い瞳を覗き込み、自分はすぐにフルス経由でランチェスタに向かうが、落ち着いたら改めてブラン城の最後の様子を、母の言葉を”友人”として聞かせて欲しいと頼んだ。
フェリスには『必ず迎えに行く』と告げ、ラドルとローレル、そしてダンにも『”妹”をお願いします』と頭を下げた。クリスには『無事にランチェスタで待つ”支援者たち”と合流したらすぐに連絡する』と約束し、フルスからついてきた同じ濃緑色の上衣に黒灰色のマントという軍服に身を包んだ兵士たちを引き連れて、牧草地の一本道を森の方へと駆けていった。
「でもまあ、それよりも何よりも……相変わらずフェリスのうっかりには、今回もびっくりしちゃったよ。」
ここがグロースフェルトのお城の中だったから良かったものの……と、ラドルは眉を吊り上げた。六芒星が描かれた布は、ラドルの手元にあった。フェリスが荷物を持たせた時に、間違って自分が持つはずだったずだ袋をラドルに渡したのだ。
村を通りがかったハナとダンに驚く余裕もなく、『フェリスがぼくの荷物を持ってて、ぼくがフェリスの荷物を持ってて、とっても大事な道具なのに、フェリスが持ってなきゃいけないのに……』と、前後もなく言葉をまくしたてて困っていることを訴えた。要を得ないハナとダンは、とりあえずラドルも連れて行こうとしたところ、リリーをはじめ、村に避難していた城勤めの人たちも一緒に帰ると言いだしたのだ。
「俺も早くに気づけば良かったなあ。ここが……めちゃくちゃ巨大な”封じの円”に囲まれてたなんてな。」
ローレルは少年とは逆に眉尻を下げてため息をついた。
ダンによると”賢者の冒険物語”は、古代エメロニアが起こした大陸統一戦争時代に、二人の"賢者"がこの城で何人もの呪術師の力を封印し、呪詛にかかった大勢の民を解呪によって救ったという話をモチーフにして描かれたものだろうとのこと。大聖堂は、おそらくその頃に増築されたものではないかと語った。
「まあ、夜中だったからねぇ。城壁が二重になってるなんて、気づかなかったのは仕方ないよ。」
ダンは揺り椅子の動きを止めて立ち上がり、フェリスたちの座っていたテーブルの一席についた。皆は、特にラドルとクリスは、祈祷師協会の会長の話をひとつも聞き逃すまいと密かに意気込んでいた。なんといっても、自分たちの愛読書である”賢者の冒険物語”が実話に基づくものだというところは、この二人を興奮させるのに十分な理由となっている。
「おそらく、その二重城壁があったから、当時”賢者”もこの城に入ったんだと思うんだけど……その後、時代が変わってデーネルラントから彼らが必要とされなくなっても、物語として今でも語り継がれているのは面白いね。それに、その賢者が”二人”だったと書かれているところも面白い。」
続きを促すような顔を向ける聴衆の表情に満足したのか、ダンはハナが入れたお茶を一口すすって、再び話し始めた。
「昔はファイエルベルクでも、封印は司祭、解呪は祈祷師と役割が分かれていたんだよ。だから当時も、いつも聖職者と祈祷師は二人で行動していたんじゃないかなぁ。今は司祭たちは訳あってホーエンベルク神殿から滅多に出ることはできないけど……」
その分、祈祷師の役割は増えたが、大陸統一戦争時代と違って、呪術師たちの動きは当時ほど深刻なものではない。もちろん今回の事件をきっかけに、これから神殿の司祭たちとよく相談して今後の対策を考えなくてはならないが、とダンは警戒するような言葉で話を締めた。
しばらくは皆、言葉なくそれぞれお茶を飲んでいたが、ふと思いついたようにラドルが顔を上げた。
「ねえ、ダン。結局、あの本は事実に基づいているってことだよね?」
「さあ、どうだろうねぇ。本の中では呪術師が魔物になってたりするし、我々の故郷の祭りの時に演る芝居だって、かなり誇張されてるしね。」
でも、本当にあったことが元になっているのだから、全てが空想による創作物だとは言い切れないよと付け加えた。
ラドルは、興奮を隠しきれないように琥珀色の瞳をキラキラさせてクリスを振り返った。
「ねえクリス……”あの話”も事実に基づいてるんだったらさ……」
「俺も、考えてたとこだ。」
初めて少年に名を呼ばれたことに気づかず、打てば響くようにクリスは答えた。そのアメジスト色の瞳は、いたって静かな物腰のため周りは気づいてはいないが、抑えきれない興奮で煌めいている。
当面は、常の執務にくわえ城の片付けや、王都の兄やシルヴィとのやりとり、ランチェスタの動きを注視するので忙しい身だが……
「調べるよ。特に、ファイエルベルクとの国境付近が怪しいと俺は思う。」
「うん、僕も!だって、賢者はものすごい高い山を降りてすぐにアレを見つけたんだよ!」
『アレってなあに?』と尋ねるフェリスに、クリスは『秘密だ』と言って爽やかに笑って見せた。それは、フェリスが見た中でもっとも華やかで、明るい笑顔だった。
熱を帯びた頬を隠すように、フェリスは窓の外に視線を投げた。
実はフェリスにも、まだ誰にも言っていない”秘密”ができたのだ。クリスが”秘密”を教えてくれないのなら、わたくしも言わずに内緒にしておこうかしら……と、少し意地悪な気持ちになったのはどうしてだろう。
風が、草原の低木の葉裏を返して、優しくなでるようにさらさらと吹いていた。




