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ファイエルベルクの祈祷師《1》  作者: 小野田リス
16/21

グロースフェルトの危機

聖峰ホーエンベルク山の長い影に覆われ、まだお昼を過ぎたばかりだというのにすでに夕暮れを思わせる、とある路地の一角。


趣のある石畳の醸す古都の雰囲気にそぐわない、コスモス色の木の扉が目を引く通称『ザーシャの店』の中では、女主人が、丁寧にみがかれた棚の前で腰に手を当てて立っていた。


「困ったわねぇ。」


褐色の豊かな髪をシニヨンにまとめたその女店主は、棚の上にある、葡萄蔓で編まれたカゴの中を覗き込んで小さく嘆息した。


「あら、ザーシャ。何をそんなに困ってるのよ?」


長年のこの店のお得意様でもある、近所の宿屋の女将、ナディが訊ねた。今宵の”冬入りの宴”のため、葡萄酒を少し余分に補充しておこうと、買い物にやってきたのだ。


短い秋も終わる頃、観光客はめっきり減った。大陸きっての観光都市であるホーエンドルフの町も、さすがにこれから冬にかけては閑散期かんさんきに入る。よって、ザーシャの店の中にも女将の他に客はいない。働き者のホーエンドルフの女たちにとって”冬入りの宴”は、「これで一息つける」という合図のようなもの。いつもは要件だけ済ませてすぐ自分の仕事に戻るのが常だが、冬入りの宴の前ともなると、それぞれ気持ちに余裕ができるのだ。


というわけで、自然と”井戸端会議”にも花が咲く。


「ねえ、ナディ。フェリスたち、いまどこにいるか知ってる?」


「フェリス?そういや最近、全然見かけないわねぇ。」


会えばいつも笑顔で挨拶を交わす朗らかな女祈祷師を、この辺りで知らない者はいない。


「あの子いま、仕事でデーネルラントに行ってるんだって!」


ハナもラドルも一緒に行ったそうだが、もう冬になるというのに3人ともまだ戻っていないようだ。ザーシャは眉根を寄せて不満げに話した。


ザーシャもナディも、”ラドル親衛隊ホーエンドルフ支部”という共通のコミュニティーに所属していた。我らがアイドルは今、隣国にいる。ナディは俄然、話題に食いついた。


「デーネルラント?!なんでまた、そんな他所の国なんかに……ラドルも行っちゃったの?」


「そうなんだよ……しかも最近は、あの赤マントまでいなくなっちまってさ。」


「あー、アレ?あの派手な祈祷師……まったく、アレのいいところは顔と体だけだわね!フェリスもラドルも、あんなお調子者と一緒にいるのに無事にいい子に育って良かったよ!」


「ちょいと!顔はともかく体って……あんた、旦那だんなに隠れてあの赤マントと何とかなってんじゃないでしょうね?」


「やめてよ!あたしゃ亭主一筋なんだから。ローレルは美丈夫だって話よ。見た目だけの話だけど。」


隣人に下世話な疑い向けるザーシャと、それを即座に否定する女将……きわどい会話だが、顔は二人とも笑っている。そういう冗談が言い合えるほど仲がいい二人の話題は、続いてザーシャが手にした空のカゴに移った。


「ねえザーシャ、それで『困ってること』っていうのは……そのカゴのこと?」


ザーシャは大きく頷いた。


「そうなのよ。いつもフェリスが納めてくれているハーブティーがあるんだけどね」


「ああ!カモミールに干したりんごのチップを混ぜてあるっていう、あのお茶ね!私、あれ大好きなのよ~。」


「そうそう。私も、店閉めた後にあれ飲むと、何だかほっとするのよねぇ。」


「香りがいいのよねぇ……仕事のことも……やっかいな客のことも亭主のことも忘れて、リラックスできるっていうか……」


「あんた、やっかいな客と旦那が同列扱いじゃないの!どこが『亭主一筋』よ」


「はははは、やーねー!細かいこと気にしてると、シワ、増えちゃうわよ!」


「きゃー、やだやだ!シワとかシミとかシラガとか!そんなもん増えるより、お客とかお金とかオトコマエとか、増えてほしいわっ。」


ホントそうよね~、まったくだわ~と笑い合う二人……もし、こんな二人の”井戸端会議”をそばで聞いている者がいたとしたら、『会議といえど、決まった議題はないのだな』と思い知らされるだろう。


しかし、再び手にしていた葡萄蔓のカゴに気づいたザーシャが『やだ、また話がれちゃった!』と改めて話題を戻した。


「でね、このカゴにはフェリスの作ったハーブティーをいつも並べてあるんだけど……ちょっと前から品切れになっちゃってて、困ってたのよ。」


今夜は、冬入りの宴。今日は朝から『お酒の飲めない来客にあのハーブティーを出したい』と買い求めに来る人が多く、品切れを伝えるとみな残念そうに帰っていくのだと、ザーシャは眉根を下げた。


「そうなの……それは残念だったでしょうねぇ。うちも分けてあげられるほど残ってないし……。」


「うちもよ、ナディ。仕事でちょっと遠出するからと言って、フェリスは夏の終わりにいつもより多めに納品してくれてたんだけど……。」


「夏の終わり?!二月ふたつきよりも前から出かけてるっていうの?そりゃ長すぎるわ。そんな大層な仕事を、フェリスや”私の”ラドルに任せるなんて、祈祷師協会に文句言ってやんないと。」


「”あんたの”じゃないよ。”私らの”だよ。亭主一筋って、一体どの口が言ってんだか……。」


「早くラドルに会いたいわ~。あの子たち、今夜の宴には戻ってこれるのかしら。牛ほほ肉をトロトロになるまで煮込んだブラウンシチューを、鍋いっぱいいといてやろうと思ってんのに……ラドル、あれ大好きなのよねぇ。」


ザーシャは空のカゴを見ながら、ため息をついた。


「まさか、隣国デーネルラントで仕事だっただなんて……ほんとに、いつ帰ってくるんだろうね、あの子たち。」


コスモス色の木戸を開ける者は、少なくとも”井戸端会議”が終わるまではいないようだ。


扉の外では、石畳をき清めるかのように、人もまばらな路地を冷たい風がそっと吹き抜けた。冬入りの宴を過ぎれば、その風は、ほどなくして山に舞い降りる初雪を町に運ぶ。ホーエンドルフの人々に冬の便りが届くのは、今年もそう先のことではなさそうだ。



***



執務室を兼ねるクリスの自室の窓からは、二重城壁リングの向こうに、ここから最も近い村が正面に見える。


辺境伯の居城に最も近い場所にあるためか、そこは昔から辺境伯マルクグラーフ村と呼ばれている。


今その村を、西日が赤く染め上げている。


城に勤めている者の多くが、そのマルクグラーフ村からかよってくる。


また、王都ノルトハーフェンや国境方面の関所の村と、この城を結ぶ道は森の中で分岐しており、牧草地を縫うように蛇行する一本道は、城に向かって森を出るとマルクグラーフ村を通る。そのため、食料や薪炭などの物資も必ず村を通ってやってくるのだ。


このような大きな城に住んでいるとはいえ、さほど社交的でもない城主に面会を求めて足繁く通う客もおらず、もちろん頻繁ひんぱんに大きな宴を開くこともない。また、クリスはまだ妻をめとっておらず、よって子供もいない。兵士たちはともかく、城勤めの人々が主に世話すべきは城主ひとりということもあり、大して物が要り用ということもない。


とはいえ、さすがに月初めには、荷を積んだ馬車が村を通って何台も城に向かう様子がよく見える。今日も城門付近は、忙しく出入りする馬車や納品された物資をさばく男手で賑わっていた。


デーネルラント西側の国境のほとんどを有する、広範囲の領地経営で忙しいグロースフェルト辺境伯だが、今夜、新月を迎えるこの日は、朝から落ち着かず、気がつけば視線は窓の外にあった。


フルスでシルヴィやフェリスたちに別れを告げ、再びここに戻ったのは今朝、早朝のことだった。


ローレルに言われた通り、グスターヴォに目隠しをした。力のある呪術師は、その目を使って人を妖に掛けるという。


クリスはローレルに、できればフェリスを連れてシルヴィとともにランチェスタへ渡ってほしいと話した。しかし、あの大柄の派手な祈祷師は、すぐに肯首はしなかった。せっかく奇跡的に巡り会えた兄妹きょうだいである。また、本人フェリスにはまだ知らせてはいないが……なぜランチェスタの宰相や取り巻きの強硬派、そして彼らに従っている呪術師がフェリスを、”ピエル=プリエール家の生き残り”を取引の手札として、執拗しつように狙っているのか……ローレルはそのことも承知している。


『……ランチェスタだろうがファイエルベルクだろうが、俺はフェリスが行きたいというところへ連れていくつもりだ。』


悩ましげな表情を見せたものの、最後にはそう言った。クリスの提案を、条件付きで受けた形だ。


『フェリスを無事に”行きたい場所”に送り届け、そこで安全に保護されることを確認できたら、俺はまたデーネルラントに戻ってくる。ルッツの野郎にも、一言、挨拶あいさつしなきゃなんねぇし……それと、おまえの城にいる呪術師は、俺が始末しよう。』


物騒な物言いだが、つまりは呪術師がこの国にあらわれた事について兄と話し合い、グスターヴォの力については、それを封印するという意味だろう。ローレルは鳶色の目に強い光を宿して、クリスにそう約束したのだった。


クリスの頭の中を、ここ数日の出来事が浮かび上がっては消え、消えては浮かび上がり……と、無作為むさくいに流れていく。


『もうすぐ新月です。その呪術師は呪詛を使うつもりかも知れませんわ。』


馬車の中から身を乗り出し、心配そうにこちらを見つめていたラピスラズリの瞳。彼女はその瞳の色から、ブラン城の騎士学校で学ぶ若者たちから、『瑠璃姫』と呼ばれていた。また、アナベル様……フェリスの母親は花が大好きで、中でも取り分け瑠璃雛菊ブルーデイジー……またの名を『フェリシア』と呼ばれる花を好み、その花をした刺繍を愛娘のドレスの襟元や袖口に施していた。


ふいに、同じまなにいたグスターヴォの顔が浮かぶ。彼が鉄格子の向こうで低く呟いた言葉が、頭をよぎった。


『僕は、”火種”なんだ。』


”火種”……不穏な言葉だ。その言葉を耳にしてから、クリスの胸には、ざらついたものが留まったままだ。このまま何事もなく新月を過ごせば、この心の底にある澱のようなものは消えるのだろうか……。


見るともなく見ていたマルクグラーフ村から、一台の見慣れない荷馬車がこちらに向かっている。


クリスは、眉根を寄せた。


確かに月の初めには、城への納品物が多い。見慣れない荷馬車や人間が城を出入りすることもある。しかし、何年もこの場所から同じ光景を眺めている経験から働く勘なのか、その荷馬車に対する違和感を無視することはできなかった。


「まもなく城に着く荷馬車を、城門前に止めておけ!」


クリスは窓を開け、城壁に沿って巡回している兵士に声をかけた後、自身も帯剣し、黒いマントを羽織って部屋を出た。



***



”仲間”の気配がする。


「来たか……」


昨日から目元を帯のような細い布で巻かれ、視界を奪われていたグスターヴォは、その布を自ら外した。後手に縛られていたはず両手は自由になっており、足かせも解かれている。すべて、鉄格子の前の見張りにさせたことだ。その見張りの兵は、今は気を失っており、石製の寝台の脇でうつぶせに倒れている。


グスターヴォは、エメロンの血を引く呪術師だ。もちろん呪術は目を使うのが基本ではあるが、傍系の彼はその力が弱い。しかし混血による変異か、彼には人の心をつかさどることのできる特別な”声”を持っている。とはいえ、影響与えることのできる声の波長は人によってそれぞれ異なり、その波長を合わせるには少し時間がかかる。彼が新月より前に城に入ったのは、黒衣の兵士らを自分の”声”に反応するように調整するためだった。数日かけて5人の兵士を操れるようになった。


しかし、そのうちの一人でもある足元の兵士は、”声”の支配に精神が耐えられなかったのか、二言三言ふたことみことで倒れてしまった。さすが『デーネルラントの鉄の壁』という二つ名を持つグロースフェルト軍の兵士だ。大人しく”声”に従っていればいいものを……主君や職務に忠実であろうとすればするほど、そして呪詛への抵抗が強ければ強いほど、自身の心や体を壊すことになる。


呪詛は、使う度にグスターヴォの中でその力を増している。父から譲り受けた”第三の神事”……この血の持つ本来の力が体の中で増幅している今、呪術師として火種から炎を起こすには、わずかの手兵で十分だ。


建物の外が、にわかに騒がしくなった。


来たばかりの”仲間”が、もう動き始めたようだ。


「気の早いことだ。」


グスターヴォはふと口元に皮肉な笑みを浮かべた。フェリシアの拉致に失敗し、長年”手駒”にしてきた呪術師の力を削がれ、気が焦っているのだろうか。手柄をあげようと躍起になっているようにも映る……ブラン城を襲った、同じエメロンの名を持つ呪術師。


「では、僕もそろそろ舞台に上がるとしよう。」


舞台はグロースフェルト城、演目は”呪われしエメロニア”といったところか。


しかしその”観客”は誰一人として、劇場ここを生きて出ることは叶わないだろう。



***



グロースフェルトの城に、ところどころ炎が上がっているのが見える……。


日が暮れた後、星明かりを頼りにできるだけ早く駆けていたフェリスたちは、村を通るため手綱を少し抑えていたのだが、そこでグロースフェルトの居城に火の手が上がっているのが見えた。


フェリスとローレル、ローレルの後ろでは、その腰にラドルがしがみついている。牢で”仲間”に襲われた呪術師の言葉を伝え、『今すぐグロースフェルトのお城に戻るべきです』と訴えたフェリスに、ローレルは賛同した。呪術師が二人も城にいることになる……ブラン城の悲劇を思わせる状況だ。旅の準備を整え、フルスで馬を借り、町を出たのは昼頃のことだった。


『自分も一緒に戻る』と言って聞かなかったシルヴィやフルスに待機していた兵も十数名ついてきている。シルヴィと同じ濃緑色の上衣と、黒い上衣の兵士が入り混じった一団は、グロースフェルト城の火の手を見てどよめいた。


「先生、大変だわ!お城が……燃えています!」


「急ぐぞ、フェリス!!」


皆、村を通り過ぎた後すぐに、再び馬を急き立てた。


フェリスは山の神様に祈った。


どうかみんな、無事でいて……!

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