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ファイエルベルクの祈祷師《1》  作者: 小野田リス
15/21

火種

……何かしら、大きな音が聞こえるわ……


………もう朝なのかしら……”ばあや”?どうしたの?


あら……”ばあや”ではないのね。あなた……だあれ?


……”ばあや”は……”おとうさま”と”おかあさま”は……どこ……?


苦しい……いやよ……どこにも行かないわ……


……助けて……


「……助けて!」


「どうした、フェリス!」


鳶色の眼が覗き込んでいる……


「ローレル先生……!」


枕元にかがみこんでいる師匠を見上げ、ほっと大きく息をついた。ローレルの手にしている蝋燭の灯りが、その瞳の中に小さな光を揺らしている。


「ごめんなさい、こんな夜中に……。」


フェリスは、ゆっくりと身を起こした。


「いや、もうすぐ夜明けだ。また怖い夢でも見たか?ずいぶんうなされていたぞ。」


ローレルは上体を起こすフェリスを支え、優しく背中を撫でさすった。フェリスは、体から余計なこわばりが抜けていくのを感じていた。夢にうなされて目を覚ますのは、久しぶりのことだった。ローレルに代わって山の集落をまわるようになってからは特に、心地よい疲れで夜は寝つきもよく、朝までぐっすりだ。


「おまえがうちに来た頃は、毎晩のようにそうやってうなされてたもんだが……。」


手のひらからフェリスの緊張がほぐれていくのを感じ取り、ローレルは安堵したようにつぶやいた。


「昨日はいきなり、いろんなこと聞かされて……おまえも辛かったろう。」


辛かった……のかしら。フェリスは、背中にローレルの大きくて温かい手を感じながら、再び目を閉じた。自分はランチェスタ王国から来た者であること、生家は呪術師たちに襲われたこと、自身も呪詛フルーフをかけられたこと、シルヴィが”兄”だったということ……クリスもどうやら、幼い頃の自分をよく知っている様子だった……でも。


「……先生、どのお話も、自分のこととは思えませんの。」


フェリスは、両親の死に関わる話だというのに、涙の一粒も出なかった。そのことを思うと、また昔のように……今にも切れそうな糸に辛うじてつながれているような、心もとない感覚になるのだ。


「わたくしは、亡くなった両親のために泣くこともできません。」


こんな自分が、シルヴィとともに……”兄”とともにランチェスタに渡ったところで、祖国の役に立つのだろうか。せめて祈祷師として何かできればとも思ったが、解呪ハイレン封印ジーゲルもまともにできない未熟者だ……フェリスはそう言って肩を落とした。


「自分が未熟だと落ち込むのは、おまえが”もっと人の役に立ちたい”と願っているからだ。そうやって自分にがっかりできる間は、まだまだ伸びしろがあるってことだ。」


ローレルはフェリスの背中に当てていた手で軽くポンと肩を叩き、そのままベッドに腰掛けた。


「さっき、おまえが解呪したやつらを見てきたんだ。」


怪我が完全に治るまでには時間がかかりそうだが、呪詛はしっかり抜けていた。初めてにしては上出来だと師匠は愛弟子を褒めた。上出来どころか、むしろそれ以上かも知れない。あの傷だと、普通なら解呪されたとたん顔がゆがむほどの激痛で、のたうち回るはずだ。呪詛が抜けた後の身体的、精神的安定のために、解呪には合わせて丸薬や水薬を使うのだ。しかし彼らは倒れた時から、まるで鎮静剤を飲ませたかのようにずっと安らかに眠り続けているのだ……どういうわけか分からんが、とローレルは首をかしげた。


ローレルに”上出来”と褒められ、また怪我をした兵士たちが皆、無事に解呪されていることを聞き、フェリスはほっとした。


解呪ハイレンの祈祷をした時に、これまでに感じたことのない高揚感に体を持っていかれそうになったのだ。祈祷の最中に、そんな感覚におちいったことは、今まで一度もなかった。とにかくあの時は無我夢中だったし、目の前に呪術師もいたし、何が起こったかよく分からないまま今に至っている。それと比べて、先生の封印ジーゲルは見事だった。呪術師の額に先生の血が吸い込まれるように消えていく様を思い出すと、確かにそこに山の神様のお力が働いたのだということを感じられる。


自分にも、あんなことが本当にできるのだろうか。


ベッドの上にまっすぐに身を起こし、眉根を寄せてまだ何事か考えている様子のフェリスに、ローレルは優しい、低い声で、ゆっくりと話し始めた。


「……フェリス、山にはおまえの帰りを待ってるやつがいっぱいいるんだぞ。」


みんな二月ふたつきもフェリスの顔が見られずに寂しがっている。ザーシャなどは、『年頃の娘を遠くに行かせるなんて!』と、祈祷師協会に乗り込んできたそうだ。ハナに軍服を譲ってくれたファイエルベルク自警団の若者は、来春に隣村からお嫁さんが来ることになっており、その結婚式ではフェリスにお祈りをしてもらいたいと話しているらしい。リリス村のエノル婆さんは、フェリスが処方した薬草茶がよく効いて、すっかり元気になったと喜んでいる。お礼に、冬入りの宴には手編みのミトンを贈るのだといって、楽しそうに編んでいたそうだ……。


「……あ、最後のは内緒ないしょにしといてくれって、おまえの代理に頼まれてたんだ。聞かなかったことにしてくれ。」


笑いながら、うっかり内緒話まで打ち明けてしまったローレルだったが、さらに表情を和らげて話を続けた。


「みんな、フェリスに会いたいんだ。そうやってみんなに大事に思われて、俺は”ファイエルベルクのパパ”として嬉しいし、誇らしいよ。俺がそう思うんだから、おまえの両親だって……今のおまえを見たら心から幸せに思うはずだ。」


親にとって、子供が生きていること……その顔が未来に向かっていること……人と、この世界とつながっていること……これほど心強いことはないのだ。だから、いま無理に過去のことを思い出そうとしなくても良いのだし、思い出せなくて辛いと感じる必要ももない。そのことで誰かがおまえを責めることはしない。


「ハナも、アランの息子もグロースフェルトも、もちろん俺だって……おまえの知りたいことを、おまえが聞きたいと思う時にいつでも話してやろう。おまえが思い出す時が来るまで、俺たちが代わりに覚えておいてやるさ。」


「先生……。」


フェリスは師匠の優しい言葉に、その瑠璃色の瞳をにじませた。


「ありがとうございます、先生。」


いま、できることを精一杯がんばります……そう続けようとした時、空気が鋭く震えたのを感じた。


一瞬のことだったが、その不穏な”気配”に胸がざわつく。


ふと見ると、ローレルも同じ”気配”を感じたのか、険しい表情になっている。


「先生、これは……?!」


「……呪術師だ。いま、呪詛を使ったんだ。」


「呪術師って……もう先生に力を封じられたのに」


「また別の呪術師やつがもぐりこんだか……様子を見に行く。」


「わたくしも参ります!」


フェリスはベッドから急いで降り、壁に掛けておいたいつもの濃紺の外套を寝衣の上から羽織った。


ラドルはまだ眠っている。


その枕元には、クリスに貰った『賢者の冒険』の本とともに、六芒星の描かれた布が丁寧に折りたたまれて置かれていた。フェリスは布の方をそっと取り、ラドルを起こさないようにその夜着を整えてから、ローレルを追いかけるようにして部屋を出た。



***



ローレルとフェリスが感じた”気配”の方向へと辿って行くと、兵舎から少し離れた赤褐色の建物に行き当たった。すでに何らかの騒ぎになっており、兵士たちが慌てた様子で出たり入ったりしているのを、うっすらと明るみ始めた空が照らしている。


二人は、建物の中に入っていった。


「ローレル殿…フェリスも……朝から騒がしくて申し訳ない。」


兵士たちに指示を出していたシルヴィは二人に気づいて声をかけた。


「呪術師が襲われたのです。」


独房の鉄扉の前で一人の兵が昏倒し、中の呪術師が意識を失っていたとのこと。しっかりと警備態勢の整った兵舎の敷地内には、部外者がそう簡単に侵入することはできないはずだ。しかも、この建物は囚人を捉えて置く場所。建物の入り口でも、兵士が交代で見張りをしていたのに、どうやって忍び込んだのか分からないとのことだった。


「独房の前の見張りが襲われたところも、それどころか何者かが建物に入ってくるところさえも、誰も見ていません……まるで風が吹き抜けたかのようだ。」


そう話しながら、シルヴィは二人をとある部屋の方へといざなった。


そこには、昨日ローレルが力を封印した呪術師の男が横たわっていた。


ローレルは男を見下ろし、首元に指を当て、その後、その指を額に触れさせた。


「まだギリギリ生きてるが……もう意識がない。五感を奪う呪詛だ。ひどいことしやがる……。」


フェリスは口元を覆った。


『力を失えば、”仲間”に殺される』


この呪術師は、そう言っていたのだ。


あんなに怖がっていたのに……


「先生!この方を解呪してあげてください!!」


フェリスは師匠にすがった。自分が捕まえてしまったせいで、この呪術師ひとはこんな目に遭っているのだ。ホーエンベルク神殿に連れて行ってあげると約束したのに……


「フェリス……だめだ。負担が大きすぎる。いまこの状態で解呪をしても、無事に意識を取り戻すどころか、もっと危険な状態になるかも知れん。」


この呪詛は、記憶や五感を奪うもの。相当な手練てだれの呪術師が使うものだ……ローレルは厳しい表情で説明した。


「まだそう遠くへは行ってないはずだ……俺は今から、この近辺を捜索する。」


「私も行きましょう。」


ローレルは、フェリスを数人の兵士に呪術師を託し、シルヴィを伴って出て行った。


部屋に残されたフェリスは、横たえられた元呪術師の男のそばで膝をついた。そして、体に沿わせて置かれている手にそっと自分の手を重ねた。


「怖かったでしょうに……。」


”仲間”に殺される……そういっておびえていた目も、いまはしっかりと閉じられている。


「神様……山の神様……本当にこの方はもう死んでしまうの?」


呪術ちからを封じられた呪術師は、神殿に送られる。そこで司祭たちとともに日々祈りながら静かに暮らすのだ……ダン会長がそう話していた。


「司祭さまたちと一緒に暮らせば、あなたもきっと山の神様の正しい御心を知って……呪詛で人を殺めるなんていう恐ろしい考えから離れることができるのに……。」


フェリスは祈った。どんな人にも生きなおす機会があるように……記憶を失った自分が、祈祷師として生きなおせたように……この方にも、生きて心を正す機会がありますように。


壁の高いところにある小窓から、朝日が差し込んだ。


フェリスの体がかすかに白く発光したように見えたのは、朝の光のせいだろうか……。


房内が明るくなり始めたころ……呪術師が目を覚ました。


「……フェリ……シア……様……」


「まあ!目をお覚ましになったのね!」


フェリスは元呪術師の手を強く握った。


その様子を見ていた兵士の一人が、急ぎ部屋を出た。報告のためだろう。


バタバタと忙しく動き回る兵士たちにかまわず、フェリスは目を覚ました男に話しかけた。


「よかった……ローレル先生が、もう解呪ハイレンは無理だっておっしゃってたの。あなた、苦しくはない?」


「い……痛いです……折れそうです……っ」


「祈祷師殿……強く握りすぎのようです。」


フェリスの見た目以上の握力が、男の手を握り潰しそうになっていたようだ。傍にいた兵士に指摘されて、ようやく力をゆるめた。


「ごめんなさい……わたくし、あなたを神殿に連れて行ってあげると約束したのに……こんな恐ろしい目に合わせてしまって……。」


呪術師だった男は、大きな吐息とともに再び目を閉じた。穏やかな表情が、朝の光に照らされる。そして静かに口を開いた。


「あなたが祈祷師になられていたとは……。」


そのことをグスターヴォが自分に伝えなかったのは、彼や他の”仲間”が自分のことを見捨てたからに違いない。これでも、自分は”仲間”の中でも高位の存在だと自負していたのに……男はそう自嘲じちょう気味に呟いた。


「グスターヴォ……?その方は、あなたのお友達なのですか?」


フェリスは耳慣れない名前について訊ねた。それに対して、男はフッと鼻で笑い『我々には友人はいません』と答えた。


「グスターヴォは……古代エメロニアの血を引く呪術師です。8年前、彼はあなたの近くにいたのですよ……。」


グスターヴォ……フェリスは口の中で繰り返したが、幼少の頃に関わりがあるらしいその名前について、いつもながら思い出すことは何もなかった。


「彼も……そして私を襲った”仲間”も、グロースフェルトの城に向かいました。フェリシア様……早くこの国を出た方がよろしいかと存じます。」


私のことなど構わず、どこへでもお捨て置きください……そう言い終えると、男は意識を手放したようだ。穏やかな寝息を立て始めた。



呪術師たちが、グロースフェルトのお城に……フェリスは、胸がざわめくのを感じた。今夜は、新月だ。


眠っている男の手に再び自分の手を重ね、心の中で『あなたを必ず神殿に連れていきます』と約束をした。部屋の中にいた兵士に彼を託し、フェリスはローレルを探しに外へ走り出た。


グロースフェルトのお城に、戻らなければ……。フェリスは、リリーや親しくなった兵士たち、城勤めの人々、そしてクリスの顔を思い浮かべていた。山の神様、どうか、皆をお守りください……



***



今宵、いよいよ新月を迎える。


月は見えないが、そこにある……まるで自分たちのようではないか。


グロースフェルト城の石牢の一室。グスターヴォは石の寝台に腰掛け、静かにその”時”を待っている。


今朝早く、クリスがフルスから戻ってきたようだ。愚かな男だ……そのままフルスにいれば、命を永らえただろうに。まあ、それもほんの少しの間だが。


しかし、もっと愚かなのは、我が”仲間”の方だ。わずかな護衛だけだったフェリシアの拉致に失敗するとは。未熟な祈祷師相手に四苦八苦するような呪術師の存在は、今後の計画に差し支える。もう一人の祈祷師に呪術ちからを削がれたようだが、それも致し方ないことだ。あとは……同じエメロンの名を持つ”仲間”が、その者を始末するだろう。彼もすでにランチェスタからこちらに来ているはずだ。


グスターヴォの赤い瞳が、鈍い光をたたえている。それはまるで、暖炉に残された、小さな火種のようにも見えた。


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