”焼け落ちた村”
「なあ、フェリス、もしかしてそれ浄化の六芒星と……封印の円か?」
緋色の外套をまとった大柄の男……ローレルは、怯えた呪術師の下に広げられている白い布と、そこに描かれた図柄に気がついた。
「ええ、先生。」
フェリスは師匠を見上げて微笑んだ。
「こうしておけば、いつどこで呪術師に出会っても、すぐにお仕事ができるでしょう?」
「おおお、賢いなおまえ!だけどなぁ、フェリス……」
ローレルは、『ちょいとごめんよ』と呪術師を押さえつけている数人の兵士の間に割って入り、下敷きになっていた白い布をぐいっと引き抜いて広げた。
「こりゃ円がひとつ足りねぇな。封じは二重円だ。」
師匠に誤りを指摘され、フェリスはハッと目を見開いた。
「わ、わたくしったら……そんな重大な間違いを……」
両手で挟むようにして当てられた頬が、さっと赤く染まる。
「ではどちらにしても、わたくしにはこの方の力を封印できなかったのね……祈祷師失格ですわ……」
しょげて俯く弟子の小さな頭の上に、師匠は大きな手を乗せて励ますようにワシワシとなでた。
「はっはっは、まあ、そうがっかりすんな!おまえに教えたのは解呪だけだ。六芒星がきちんと描けてりゃいい……っつうか、封印なんて、なんで知ってんだ?」
ローレルは、フェリスが胸元に挿し戻した鳥の羽の飾りピンに触れた。祈祷師の血の力で封印するのだということは、教えたことがなかったのだ。
「祈祷師協会の本部で、ダン会長に少し教えていただいたんです。」
祈祷師協会の本部で打ち合わせをした時に、ランチェスタ王国に派遣される祈祷師たちは具体的に何をしに行くのか、尋ねたことがあった。その時に、解呪だけではなく、呪術師の力封じもできる祈祷師が派遣されるのだと聞いたのだった。
『封じの円の上で、祈祷師の血を呪術師の額に印として付ける。山の神様の力がそこに降りてきて、呪術師の持つ妖の力を封印するんだよ。』
フェリスは、ローレルに教わった解呪の方法を思い出しながら六芒星を描いた布を準備したのだが、念のためにとダンから聞いた封じのための円もそこに付け足したのだった。
「ぼくは反対したんだよ、ローレル!」
ラドルが眉尻を下げながら訴えた。
「きちんと教わってないのに、やっちゃダメだって。だけどフェリスったら、『呪術師のお相手は祈祷師の役目だ』って、ぼくの言うこと全然聞いてくれないの。」
「フェリス……相変わらずやる気満々だな。その熱心過ぎるところ、俺は褒めていいのか叱るべきなのか迷うところだぜ。」
おまえも大変だったなとラドルの茶色い髪を撫で、ふと何かに気づいたように周りを見渡した。
「おい、そういやハナはどこいったんだ?」
半眼の祈祷師見習いの少年は、師匠を見上げた。
「ハナは今頃、ホーエンドルフにアンタがいなくてびっくりしてる頃だよ。」
いまさら気づいたのかよと言いたいのをぐっとこらえ、ラドルは説明した。
「2日前の夜、こっそりお城を抜け出してローレルに会いに行ったんだよ。いろいろ伝えなくちゃならないことがあったし。」
「なんだ、どっかですれ違っちまったのかよ。まいったなぁ。」
ローレルは後頭部に手をやり、焦げ茶色の髪をがしがし掻いた。
「でもまあ、あいつのことだから……どっかで追いついてくるだろうけど。」
そうつぶやいて、再びフェリスに向き直り、目線を合わせて諭すように言った。
「なあ、フェリス。呪術師も人間だ。まかり間違えば、呪術どころか視力や聴力といった五感、さらには記憶すら潰しちまうこともあるんだ。」
まあ、とフェリスは眉のあたりをくもらせた。
「だから”第三の神事”に関することは、慎重にやらないとな……本来、封印はホーエンベルク神殿の司祭の仕事なんだ。」
そこまで言った後、大柄の祈祷師は再び背筋を伸ばして本来の視線の高さに戻ると、さらに言葉を続けた。
「まあ俺は天才で、優秀で、イケメンの祈祷師だから何でもできるんだがな!はっはっは!」
高笑いしながら踏ん反り返る師匠を、弟子は瑠璃色の瞳に尊敬の色を込めて見上げた。
「先生、やっぱりすごいわ!!もっともっと精進して、わたくしも先生のように天才で、優秀で、イケメンの祈祷師を目指します!!」
……そんなふたりの様子を、祈祷師見習いの少年は半眼で眺めていた。その後ろから、呪術師の拘束を配下の兵に託した黒衣の青年の、同情の込もった眼差しが向けられている。
「無駄に賑やかな師匠に、人知れず消える護衛、そして無鉄砲な先輩か……おまえも何かと大変だな。」
「うん……こういうの、”気苦労が絶えない”っていうんだよね……。」
がっくりとうなだれ、ザーシャによく言われる言葉を借りて話す少年の肩の上に、クリスは慰めるようにそっと手を乗せた。
**
呪術師の力は、フェリスやシルヴィたちが襲われた場所近く……ドレア村跡で、ローレルによって封じられた。
「呪術師にはな、目を使って記憶や五感に直接働きかける力を持ってるやつが時々いるんだ……。だから祈祷師は最初に、まずは呪術師の目を塞ぐ。」
クリスやシルヴィにそう説明しながら、落ちていた棒切れで土の地面に二重円を描き、その上に目隠しをされ後手に縛られた男を座らせた。
「おまえ、ここが”どこ”だか知ってるか。」
膝をついたまま黙って震えている男に、ローレルは訊ねた。
「10年前に、おまえの"仲間"がここにあった村で呪詛を使った。呪詛は変異して流行病となり、村人のほとんどを死に追いやったんだ。」
祈祷師は、腰の短刀を引き抜いた。
「いけないわ、ローレル先生!その方を殺さないで!」
「そうだ派手な祈祷師殿。そいつには聞きたいことが山ほどあるんだ。」
フェリスとともに、黒紫色の髪をした黒衣の青年もローレルを制止する。
「殺すんじゃない、封印だ。それと、俺は派手じゃねぇテメーが地味なんだ。」
振り返ってそう言い返すと、刃に自身の左手親指を当てた。
緋色の外套をまとった祈祷師は、指から血を滴らせたまま、右手で黒い外套の胸ぐらを掴みあげた。
「ヒッ!!」
目隠しをされ呪術師が、恐怖のため喉を鳴らす。
「覚悟せいや!!」
そう語気強く言い放ったローレルは、その髪と同じ鳶色の瞳を伏せ、呪術師の額に血の付いた親指を押し当てた。
「山の神 我をして妖の力 封じせしむ……」
額の真ん中あたりに擦り付けられた血は、ローレルの言葉が終わるやいなやその色を消し、痕跡すらなくなった。まるで、皮膚の内側へと吸い込まれたかのようだ……。
ローレルが手を離すと、呪術師は膝から崩れ落ちた。
「後で目隠しを取ってやれ。こいつはもう呪術を使えない」
ローレルは、近くで見張っていた兵士たちにそう声をかけた後、膝をついてうなだれる黒い外套の男を冷ややかに見下ろした。
***
その後、一行はフルスに移動した。
夕刻、グロースフェルトの国境警備兵が常駐している兵舎の一室にて。
暖炉の中で、パチパチと勢いよく薪のはぜる音が響くその部屋では、大柄の男たち……クリスとシルヴィ、そしてローレルが、低いテーブルを囲むように座っていた。少し離れたクッション付きのベンチに、フェリスとラドルも静かに腰掛けて、3人の話に耳を傾けている。
「それにしても厄介だな、呪詛というのは……。」
クリスは眉根を寄せ、大きく息を吐いた。
力を封じられた呪術師を取り調べた結果、10年前のドレア村の出来事については大きな関わりはなかった。その2年後のブラン城での事件についても、首謀者は別におり、自分はその呪術師と共に城に入ってアナベル……城主アランの妻であり、フェリシアの母だったその人を拘束する役割だったと話した。
「ドレア村でもブラン城でも、呪術師は病の呪詛を使ったのは間違いない。この二つの事件で、呪詛は変質するってことが分かったんだ。」
ローレルも同じように眉根を寄せて語った。
10年前にドレアの村で起こった事件は、呪術師の使った病の呪詛が変異し、流行病となってしまったことによる。
ランチェスタ王国のエトワール宮廷に、密かに入り込んでいた呪術師の動きを、普段から探っていたアラン=ピエル=プリエール……フェリスの父は、彼らが国境を越えて隣国デーネルラント王国に何か仕掛けようとしていることを察知した。
すぐにアランは、わずかの兵を連れて国境を越え、当時のグロースフェルト辺境伯に会いに行った。事前に早馬を出したとはいえ、その身を顧みない危険な行為だ。
しかし、アランがグロースフェルト居城に入った時には、すでにドレア村は呪術師を連れた『ランチェスタ王国の兵士たち』を騙る集団に襲われた後だった。しかも、その襲撃をかろうじて生き残った村民も、変質した呪詛の病に倒れていた。
アランは自国の無実を訴えるよりも先に、辺境伯に『村人の病の元凶となっている呪詛を解くため、ファイエルベルクから祈祷師を呼び寄せるように』と提言した。
「それで派遣されたのが俺だ。」
ローレルは、椅子の背もたれに乗せていた太い両腕を、今度は胸の前で組んだ。
「しかし、もう手遅れで……ほとんどの村人を助けることができなかった。」
アランとプリエール騎士隊も、グロースフェルト兵士たちも、祈祷師らを手伝って懸命に働いた。しかし、変質した呪詛は人々の体を蝕み、無慈悲にもわずかの期間で多くの命を奪っていった。
「解呪や薬が効いて持ち直した村人だけ、フルスに移したんだ。」
その後は……病をこれ以上広げてはならないと、防疫のため遺体を村とともに焼いた。グロースフェルト領主の判断だった。
そしてその2年後、こんどはアランの居城であったブラン城が同じように襲われた。
王族とも近く、穏健派の代表格だったアラン=ピエル=プリエールは、宰相や彼の高圧的な政治や外交により、一部の貴族の利権だけが膨らむ仕組みを密かに望んでいたランチェスタ国内の敵対勢力に、目をつけられていたのだ。
彼らは呪術師と手を組み、ブラン城に入った。
使われた呪詛は変質し、数日かけて城内の人間に感染し、そのほとんどが回復することなく亡くなった。呪術師たちを含め、首謀者たち……ランチェスタ国内のアランの敵対勢力は感染を恐れ、アランと重臣を刃で襲ってすぐに、ひとまず撤退したということだった。アナベルもフェリシアも病に倒れ……城内にいた他のほとんどの人間と同じように、回復することなく亡くなったと聞いている……と、捉えた”元”呪術師の男は語った。
その話を聞き、激昂して男に斬りかかろうとしたシルヴィを、そばにいたローレルとクリスは後ろから羽交い締めにして抑えたのだった。
いまは心なしか意気消沈しているシルヴィを見て、ローレルは小さい吐息を漏らす。
「あんた、生きていたんだな……。」
「あら、先生とシルヴィはお知り合いですの?」
ローレルのかけた言葉を不思議に感じて、フェリスは訊ねた。
「そういえば、シルヴィって何者なの?フェリスのこと、よく知ってたみたいだけど……」
ラドルも、呪術師たちに襲われる前に馬車の中で訊ねた質問を繰り返した。
シルヴィは優しい淡緑色の瞳をベンチに腰掛けているの二人に向けて、椅子から立ち上がった。そしてフェリスの前で片膝をつき、その白い手を自身の両手で優しく包みこんだ。
不思議そうに瞬く瑠璃色の目を覗き込むようにして視線を合わせ、ゆっくりと、その反応を確認するように話し始めた。
「フェリシア……俺は君の兄だ。」