祈祷師と"第三の神事"
新月まで、あと1日……。
昼間でも薄暗い石牢の中で、グスターヴォは、作り付けられている石製の寝台に腰掛け、静かに過ごしていた。
そろそろ”仲間”がフェリシアを捕らえて、ランチェスタに戻るべく国境を目指している頃だろう。フルスの手前で襲うとなると、おそらくドレアの村跡近くか……結果的に、彼が取引の”テーブル”として指定した曰くつきの場所で、彼女は攫われることになる。
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10年前。彼は、ピエル=プリエール家の居城であるブラン城内の寄宿舎に身を寄せていた。
グロースフェルト領内にある小さな集落、ドレア村が何者かに襲われ、村ごと焼き払われたらしい……学生たちの間で囁かれていた話に、グスターヴォはまったく関心がなかった。もともと、人と関わることが苦手だった。そのような噂話の輪に加わるよりも、一人で静かに本を読む方を好む質だ。
その2年後、突然、グスターヴォの前に”仲間”が現れた。
”仲間”は、自身を『イールズ帝国内で、エメロンの家督を継ぐ者』だと名乗った。
その”仲間”は話した……ドレア村を襲ったのはプリエール騎士隊で、アラン=ピエル=プリエール主導のもと村に火を放った。しかしアランは、それを呪術師……古代エメロニアの生き残りによるものだと主張し、”我が一族”にその罪をなすりつけたと。
最初は、”仲間”の話など歯牙にもかけなかった。自分を巻き込むための嘘だと判断したのだ。
グスターヴォが継いだ家名は、同じエメロンでも傍系で、住んでいたのもイールズ帝国が近いとはいえ、ランチェスタ領内の山奥だった。
イールズ側の山間に、古代エメロニアの生き残りが密かに血を繋いでいる隠れ里があるらしく、そこを出てランチェスタ側の山里近くに住み着いたのが彼の曾祖父だ。代々受け継ぐ”第三の神事”を応用し、薬を作って売り歩く仕事をしていたという。しかし、里を出ても、曾祖父の作る薬がどれだけ人々を癒しても、その名のせいで『古代エメロニアの血を継ぐ呪われた一族』として世間に疎まれ続けた。
作る薬も二束三文で買いたたかれる。父も薬師をして家族を養っていたが、わずかな稼ぎではグスターヴォを学校へやることはできなかった。貧しく、身を隠すような暮らしのため、病に倒れた両親は、医術師に診てもらうことすら叶わず死んだ。
身寄りを失い、親が借りていた家も追い出された。汚れた身なりのせいもあり、どこにいっても毒虫を見るような目で見られた。そして行き倒れたどこかの集落の人間に、聖教会の営む孤児院に入れられた。
望んで継いだ血ではない……息をするのも窮屈なこの名から、何とか逃れたい……
彼の望むことは、誰にも疎まれず、ただ平穏に暮らしてゆければいいというささやかなものだった。
孤児院では毎日祈る。しかし、神に祈ったところでこの呪われた血が自分の中から消えることはない。これまでもそうだったが、これから先も生きている限り、闇の中だ。
そんな彼を暖かな陽の光の下へと招いてくれたのは、他でもない、アラン=ピエル=プリエール……ブラン城城主であり、フォレ・ブランシュ(白い森)領を治めるその人だった。
『新しいエメロンの血となりなさい』……そう言って、アランはグスターヴォの身元を引き受け、自身が城内で運営する騎士学校に受け入れてくれた。虐げられてきた家名から逃れるように、孤児院では必死に勉学に励んでいたが、その出自により何の機会も与えらなかったグスターヴォだ。アランとの出会いで、突然、目の前の景色が変わった。
アランは教育に熱心な人だった。その身分のいかんに関わらず、優秀で熱心な若者を城内の寄宿舎に住まわせ、学校では好きなように学ばせていた。騎士になる者、政界を志す者、学者となって研究したい者……そしてグスターヴォは司祭を目指していた。ランチェスタ聖教会、この国のいう”神”の住むその場所に、少しでも近いところにいたかった。血塗られた歴史を背負うその身を、芯から清めてくれるような気がして……。
しかしある時、グスターヴォは知った。
2年前に焼かれたドレア村には、自分と同じような傍系のエメロン一族が隠れ住んでいたということを。
その村の呪術師が、呪詛を使いランチェスタに害をなすという噂を聞きつけたアランは、ファイエルベルクから呼び寄せた2人の祈祷師とともに、グロースフェルトやデーネルラント国王の了承なくその村を焼いたという。
アランは熱心な呪術排斥者でもあったのだ。呪術師の力を奪う祈祷師の総本山、ホーエンベルク神殿には毎年のように多額の寄付をしていたほどだ。
当時のグロースフェルト辺境伯は、それに抗うどころか、アランの言う『呪術の根絶』に賛同した。そして互いに、戦に前のめりになっていた国内の過激な勢力をおさめ、騒ぎを取り繕うために、人質を交換することになったのだという。
呪術は、エメロン一族の裏家業だ。今でこそ呪術師を名乗るグスターヴォだが、当時は……今もそうだが、呪詛を使い人を殺めることなど是とは思わなかった。密かに父より受け継いだ”第三の神事”はすべて胸の奥に封印し、自分の代で絶やすつもりだった。
しかし、ただ”呪術を扱うから”という理由だけで、事実を確認せず無抵抗な人々の命を無差別に奪うことなど、あってはならないはずだ。
彼は、決めた。
『新しいエメロンの血となれ』と言うのなら、この血が本来持つ能力を最大限に利用しよう。そして、大陸全土にエメロンの名を認めさせてやる……。
彼はブラン城で、”火種”となった。
”仲間”を城に引き入れ、その後すぐに、そこから姿を消した。
そして8年後の今、ここグロースフェルトで再び”火種”になるのだ……こんどは呪術師として。
***
「……何、やってるんだ……?」
クリスは、目の前の光景を理解するのに若干時間が掛かった。
グスターヴォの不穏な発言を危惧し、十数人の手勢を率いて休みなくフルスに向かって馬で駆けたクリスは、ようやく祈祷師一行に追いついたのだが……。
「もうっ!ちゃんと押さえててくださらないと上手くできませんわ!」
「は、はい、すみません!」
「い……いやだ……止めろ…………止めろ!止めてーーーー!!!」
「こら!暴れるな!」
祈祷師が……フェリスが、目隠しをされた黒い外套の男に、馬乗りになっている。
フェリスの下になっているその男の両手両足を、シルヴィと2人の兵士が傍からさらに押さえつけていた。
その向こうには、多量の出血でいまにも死にそうな大男が7〜8人倒れており、祈祷師見習いの少年と3人の兵士たちが彼らを手当てしている。
「クリス!どうしてここへ?」
クリスたち一行に気がついたシルヴィが、黒い外套の男を押さえつける格好のまま顔だけを向けた。
「あらクリス様!皆様!助けに来てくださったのですね!」
シルヴィの声でクリスたちに気づいたフェリスも、晴れやかな笑顔を向けた。馬乗りのまま。
「ちょうど良かったですわ……これから、この方のお力を封印してさしあげるところなんですの。」
クリスは手兵に合図を送り、傷だらけで、疲れている様子のシルヴィたちと代わらせた。
「クリス、心配かけてしまったようだね。」
「いや……遅くなってすまん。城にグスターヴォが忍び込んだんだ。拘束はしたんだが、彼の”仲間”がフェリシアに会いに行くと聞いて……急いで駆けてきた。ところで……何があったんだ?」
クリスは自分の経緯を簡単に伝え、とりあえず目の前で何が起こっているのかをシルヴィに訊ねた。
「ああ………。」
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『覚悟せいやっ!!』
いきなりガラの悪い言葉で、戦闘の真っ只中に押し入ってきた祈祷師フェリスは、どういう仕掛けか空気を震わせ風を起こし、自身から光を放った。
あまりの眩しさに目をすがめたため、見届けることはできなかったが、次に目を開けた時には敵兵はみな倒れていた……。
**
シルヴィは、目線で倒れた男たちを指し、彼らは呪詛をかけられていたようだと説明した。不死身のように何度も起き上がってきたが、その呪詛もフェリスの放った光で解かれたようで、いまはただの怪我人だという。
「クリス様!シルヴィ!お話なさる暇があったら、ラドルかわたくしを手伝ってくださいな。」
フェリスはまだ、暴れる呪術師に乗りかかって何やら格闘中だった。
クリスは怪我をしているシルヴィに休むように言い、フェリスたちに近づいて、押さえつけるのを手伝った。
「無事で良かったよ。」
馬乗りになっているフェリスに声をかけた。
束ねた金糸の髪は乱れ、小さな鼻頭には少し土埃のようなものを付けてはいるものの、輝くラピスラズリの瞳も、ほのかに赤い頬も、総じて生き生きしているように見える。嫌な予感に身を竦ませながら駆けてきたクリスだが、ようやく人心地がついた。
「あら、危ないところでしたのよ!」
フェリスは大きな目をさらに大きくして訴えた。
「この呪術師さまったら、呪詛まで使ってわたくしに会おうとなさってましたし……それにわたくし、どうやら解呪の力加減を上手くできなかったみたいで……。」
そして心配そうにラドルや兵士たちが目下介抱中の、倒れている怪我人たちを見やった。
「あの方たち、ご無事かしら。」
クリスは吹き出した。
「どうやらお前が一番、元気そうだな」
なんとのんきなことだ。武器も持たずに呪術師たちとの戦闘に加わるとは。しかも、自身は彼らに狙われているというのに。クリスは表情を改めて、その目には厳しさを込めてフェリスに言った。
「だが、今後はこんな危険なことは止めるんだ。呪術師を侮ってはいけない……おまえは狙われていると聞いただろう。」
「でも、呪術師のお相手をするのは、祈祷師の役目ですわ。これは、わたくしの仕事です。」
「相手は剣を持っていた。死んでたかもしれないんだぞ。」
「呪詛を解けるのは、祈祷師だけです!解呪しなくては、わたくしだけではなく皆の命が危なかったんですもの。」
「過信は良くない。」
「過信などしておりませんわ!技量の問題です。」
「……おまえ、相変わらずそういうとこ頑固だな。」
「フェリス、クリスは心配してくれているんだよ。」
しゃがんだ格好でいつの間にか言い合いになっていた二人に、冷静なシルヴィの声が割って入った。今回は”解呪”のおかげで状況が好転し助かったが、やはり自分も、フェリスがあのような激しい戦闘の場に出てきたことには賛成できないと。
フェリスは、馬乗りになっている男の胸あたりに視線を落とし、言葉を詰まらせている。軽く下唇を噛んでいるのは、悔しい時の彼女の癖だ……あの頃から変わっていない。こういう時は、こちらが折れなければそのうち悔し涙を浮かべるのだ。
クリスは小さく嘆息した。
「言い過ぎたよ、祈祷師殿。すまんが、続きをお願いできないか……こいつの力を”封印”するんだろ?」
フェリスは、はっと顔を上げてクリスに大きく頷いた。そして、左胸の羽飾りを右手に取り、その針で自身の指先を刺す。
「……止めてくれ……力を失うと……”仲間”に殺される……。」
押さえつけられている男が、か細い声で訴えた。よく見ると、男の下には何か白い布のようなものが敷かれている。
「大丈夫ですわ、呪術師さま。力を失った呪術師はみな、ホーエンベルク神殿が面倒を見てくれるんですって。ローレル先生がそうおっしゃってましたもの。」
指先に小さな血玉を付けたフェリスは、その指を呪術師の額へと運んだ。
「おーーーーーっと!!そこまでだ!!」
待ったをかける声と同時に、フェリスの体がふわりと浮いた。
「フェリス〜〜〜、教えたのは”解呪”だけだっただろ?」
見ると、大柄なクリスよりもさらに体格の良い男がフェリスを抱き上げていた。
フェリスと同じような、頭巾付きの長い外套を羽織っている……が、その色は目も覚めるような緋色だった。
「ローレル先生!!」
「ローレル!!」
フェリスとラドルが同時に叫んだ。
派手な外套を着た男は、走り寄ってきたラドルも空いた手で抱え上げる。
「よぉ、遅くなって悪かったなぁお前ら!仕事は終わったってのに、ルッツの野郎がすぐに帰さねぇって言ってきやがって……心配で迎えに来てやったぞ。っつか、二人とも元気そうじゃないか!」
はっはっは!と大声で笑いながら、両腕の二人を交互に見やった。
「元気じゃないよ~!すっごく怖かったんだから!でもローレル、なんでぼくらがここにいるって分かったの?」
ラドルは不思議そうに小首を傾げる。
「いや、分かったっつうか……実は道に迷っちまってさぁ。」
「うふふ、ローレル先生、方向音痴ですものね!」
二人ともよほど嬉しいのか、その大男の首に腕を巻きつけてたり頬を寄せ合ったりして、再会を喜んでいる。
クリスもシルヴィも、彼らの兵たちも、呆気にとられるしかなかった。
ローレルと呼ばれた男は、腕に抱いていた二人をひとまず降ろし、周りを見渡して声高らかに言った。
「よぉ諸君!俺はファイエルベルク一、いや大陸一の祈祷師!祈祷師の中の祈祷師!男の中の男!みんなの人気者、ホーエンドルフの星!ローレル様だーーーー!はっはっは!!!」
…………なんかまた妙なのが現れた。
クリスは呪術師を押さえつける手を緩めることなく、心の中で脱力した。