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ファイエルベルクの祈祷師《1》  作者: 小野田リス
11/21

夜明けとともに

夜の闇の中で、クリスやグロースフェルト城の兵士たちに見送られた馬車は、いま、朝焼けで赤く染まる東の空を背にして、平原を駆けていた。


その馬車の周りには、5人の兵士が並走している。グロースフェルト城内の兵士たちとは違い、彼らは濃緑色の上衣に黒灰色のマントという、シルヴィと同じような衣装で身を包んでいた。


慌てて城を出たフェリスとラドルは、疲れていたのか、走る馬車の中で少し眠ってしまったようだ。


「もう夜明けね。」


「起きたんですね、フェリス。」


目を覚ましたフェリスに気付いたシルヴィは、視線を車窓から外して、その淡緑色の瞳を和らげた。


フェリスは、膝の上にあるラドルの頭を動かさないように気を付けながら、ごそごそと姿勢を正した。ラドルはまだ、微睡まどろんでいる。起こさないようにと、話す声を落とした。


「ここは、どのあたりなのかしら……たしか、お城と山のふもとの関所までは、そんなに掛からないと思うのだけど……。」


シルヴィは困ったような表情で、言葉を詰まらせた。


「フェリス……あなたは私と一緒に来てもらわねばなりません。」


「ええ、一緒に来ていますわ。」


「いえ、そうではなく……私たちはランチェスタに向かいます。ファイエルベルクには帰りません。」


「ランチェスタ……ファイエルベルクではなくて?」


フェリスは、首をかしげた。


「ねえ、シルヴィ!ファイエルベルクに帰らないって、どういうことなの?!」


いつの間にか目を覚ましたラドルは、飛び起きてシルヴィを問いただすように迫った。


「……君のことは、ホーエンドルフまで送り届けますよラドル。でもフェリスはだめなんだ。」


「どうしてわたくしだけ帰れないの?」


「そうだよ!フェリスも一緒じゃなきゃ、ぼく帰らないよ!」


手を取り合う目の前の二人にますます眉尻を下げるが、気を取り直すように、その眼差しを厳しくした。


「呪術師は、フェリスを……フェリシア=ピエル=プリエールを狙っているんだ。」


「フェリシア……プリエール……。」


フェリスは、シルヴィの言った名前を口の中で繰り返した。


まただ。


シルヴィやクリスと目が合って……時々、胸に去来きょらいする、あの感覚……。


シルヴィは、ゆっくりと話し始めた。車輪が地面をえぐる音や、並走する馬の蹄の音にかき消されないように、注意深く言葉をつむぐ……。


ピエル=プリエール家は、ランチェスタ王国の東の端に位置するラフォーレ地方、通称・白いフォレ・ブランシュを所領として治めていた。グロースフェルトとは、山の尾根を境として接している土地だ。そのプリエール家は、ランチェスタ王国の中枢を支える3大公爵家のひとつという名家でありながら、その地で隣国デーネルラント王国との国境を守る役目をになっていた。しかし8年前、その居城であるブラン城が、敵対する国内勢力と彼らに組した呪術師に襲われ、家名断絶の憂き目にあった……。


「そのことと、フェリスは何か関係があるの?」


「関係どころか、フェリスはピエル=プリエール家の娘なんです。……フェリシア=ピエル=プリエールは君の名前だよ、フェリス。」


「……え?」


シルヴィの言葉の意味がすぐには理解できず、ラドルはほうけたように口をあけたまま固まった。


「どういう理由か分からないけど、フェリシアはまったく覚えてないみたいだね。」


シルヴィの説明によると、この度、デーネルラントに現れた呪術師はフェリスを狙ったことで、その者がピエル=プリエール家にゆかりのある人物であり、なおかつフェリスの過去を知る者である可能性が高いと推察された。またそのことにより、顔も分からなかった呪術師の正体を特定することができたのだという。


「フェリシアには、ランチェスタへ……フォレ・ブランシュ領へ、一緒に帰ってもらうつもりです。」


ラドルはフェリスの腕を掴んだまま、シルヴィを凝視ぎょうししたまま硬直している。初めて触れる情報が、一気に脳内へ流れ込み、ようやく9つになる少年の処理能力では追いつかない。やっとの思いで口を動かし、目の前で困ったような笑顔を浮かべている銀髪の青年に尋ねた。


「一緒に帰るって……シルヴィって、一体、何者なの?」


「……俺は」


突然、馬のいななきが草原に響き渡り、馬車が大きく横に揺れた。


シルヴィはとっさにラドルとフェリスを抱え込み、床に伏せる。


揺れは収まり、やがて、馬車は速度を落とし完全に止まった。


馬車の扉が開き、並走していた兵士のうちの一人が慌てた様子で声を掛けた。


「シルヴァン様!!襲撃です!!」


「なんだと!!」


こんなところで……とシルヴィはぐっと眉間を寄せ、ひとまず腕の中の二人の無事を確認すべく、顔を覗き込んだ。


ラドルは頭を抱えてギュッと目をつぶっているが、どこも傷めてはいないようだ。


フェリスは、動かない。


「フェリシア……フェリシア!!」


さっと青ざめたシルヴィは、フェリスの意識を呼び戻すように、何度も名を呼んだ。


……が、よく見ると眠っている。


「なぜ寝てるっ?!」


そろそろと頭を上げたラドルは、らしくなく驚声を入れるシルヴィに、申し訳なさそうに言った。


「あの……さ、フェリスは子供の頃のことを思い出そうとすると眠っちゃうの。言わなかった?」


「……聞いてない。」


さっき起きたばかりなのに、しかもこの緊急時に、すやすやと心地よさげな寝息を立てているフェリスを抱えながら……シルヴィは脱力した。



***



夢を見ているのかしら……


小さいクリス様が笑ってるわ……それだけじゃないわ、着ていらっしゃるものが、黒くない……


『そうだ、瑠璃姫!そこで右肘みぎひじを引け!!……よっし、入った!』


そうそう、ここで肘をみぞおちに深く食い込ませて、そして後ろから羽交い締めにしているお相手の二の腕を左手で取って引きつけて、のけぞって後頭部で頭突きを食らわせて……


「………よろけたところを、お尻でドン!」


「フェリス?!どうしたの、寝言?!」


ラドルが心配顔で覗き込んでいた。くりくりの琥珀色の瞳に、戸惑いの色を浮かべている。そしてラドルの頭の向こうには、天井が見えていた。そうだ、馬車の中にいたんだわ……。


「ラドル……わたくし、また眠っちゃったのね?」


フェリスはゆっくりと身を起こした。見習いの少年は、ほっと胸をなで下ろしながらそれを手伝だった。直後、シッと口の前に人差し指を当てて、フェリスに声を出さないようにと伝えた。


少し離れたところで、金属音や叫び声、土を蹴る音が聞こえている。剣戟けんげきの音だ。


「呪術師たちが現れたんだ。」


ラドルはささやくような声で言った。


「いま、シルヴィたちが戦ってるの。ぼくたちはここで静かにしているようにって言われてる。」


「呪術師……たち?」


確かクリスは、呪術師をひとり撮り逃したと言っていた。そんなにたくさん呪術師がいたのかしら……フェリスの怪訝けげんな表情を察して、ラドルは小声で状況を説明した。


「王都から逃げた呪術師と、いま襲ってきてる呪術師は違う人みたいだよ。」


一緒に城を出た兵士によると、呪術師らしき人物が何人かの手勢を連れて奇襲を仕掛けてきたということだ。待ち伏せしていたのだろう、とのこと。シルヴィは眠ってしまったフェリスをラドルに任せて、仲間の兵たちと共に呪術師たちを追い払おうとしているらしい。


「その方たちも、わたくしを探しにきたのかしら……。」


フェリスは、制するラドルに構わず、そっと窓から外の様子を伺った。


「……なんだか、様子がおかしいわ。」


シルヴィたちに切られたのか、服を血で真っ赤に染めながらも、相手の兵たちは剣を振り回している。あれほどの出血であれば、ひどい怪我を負っているに違いないのに……。


「キャッ!」


フェリスは見ていられずまぶたをきつく閉じた。シルヴィが左下から右上へと払った剣が、相手の腿あたりを裂いたのだ。そろそろと目を開けると、前のめりに倒れたはずの男が、再び起き上がりシルヴィに襲いかかる。


「大変よ、ラドル!!あんなに大怪我なさってるのに、起き上がってシルヴィを襲ってるわ!!やっぱり様子がおかしいわ、あの方たち!」


一体、どっちの味方なのフェリス……心の中で突っ込むラドルだが、自分は怖くて外を見れないため、フェリスの言葉を聞くしかない。


「1、2……5……7……結構たくさんいらっしゃるわね。あ、あの方が呪術師ね。」


フェリスは、剣を持たず自分と似たような暗い色の外套を羽織っている人間を見つけた。その人は剣戟に加わらず、7~8人の暴れる男たちの向こうで静かに立っている。


「ラドル、襲ってきている方たちは、呪詛フルーフを掛けられていると思うの。痛みを感じない、恐ろしい術よ。」


ローレル先生が言っていた。呪詛フルーフの中には、病のような症状を起こすもの、幻覚を見せるもの、自己を失わせるもの、そして、痛覚を失くすものもある。死の間際まで戦えるようにと……


フェリスは決意した。


「わたくしも行くわ。シルヴィたちのお手伝いをしなくては。」


呪術師の相手をするのは、祈祷師の役目。


フェリスは、頭巾を深くかぶり、左胸の羽飾りにそっと触れた。


危ないからここにいてと、心細そうに引き止めるラドルを、その瑠璃色の瞳でまっすぐに見つめた。


「このままではあの方たち、みんな死んでしまうわ。早く呪詛を解いてあげないと……シルヴィたちにとっても、危ないのよ。」


フェリスは、外套の下に提げていたずだ袋をラドルに預けた。


「ラドルは危ないからここにいてちょうだいね。それから……例のものを、お願いね。」


フェリスは、見習い祈祷師のそばに落ちている白い布で包まれたものに視線を当てた。その中身は、ラドルがクリスからもらった”賢者の冒険物語”の本だ。


**


シルヴィは疲れ切っていた。


どれだけ剣を振るっても、相手は誰一人、絶命しない。これが……呪詛というものか。


彼らの向こうに立っている男が呪術師か。明るい朝の光すら吸い込んでしまいそうな、闇色の外套をまとっている。


「この者らは、いつまでも戦えるのですよ……今すぐフェリシア様を引き渡してください。」


男の割には甲高い、不愉快な声だ。不遜な言葉に挑発されまいと、シルヴィは冷静に剣の柄をぎゅっと握り、再び構えた。目の前の兵卒らしき男……さっき返した刃先でその腿を切り裂いた。立っていられないはずだが、口端に白い泡を吹かせながらもしっかりと身を起こしている。その瞳孔は開ききっているので、もはや意識はないようだ。


「……その制服、懐かしいですね。まさか、プリエールの騎士隊がまだ残っていたとは驚きました。城の中の者は全て殺したはずですが……フォレ・ブランシュに散らばっていた小隊の生き残りでしょうか。」


この呪術師も、ブラン城に入ったことのある人間か……しかも、城の中で起こった8年前の事件の真相にも近い人物だ。


シルヴィは、呪術師の言葉に感情を揺さぶられまいと、必死で耐えた。そうしなければ、我が身の危険もかえりみずりかかろうとする衝動を抑えられない。


呪術師は、堪えきれないといった笑いを漏らす。


「ふふふ……せっかく永らえた命なのに……。そろそろ限界ではないですか?諦めて、あなた方も殺されますか?」


注意深くさっと周りに目を配ると、仲間も自分と同じようにあちこち血をにじませ、肩で大きく息をしている。精鋭とはいえ、ここまで戦闘が長くなると体力が削られる。このままでは、呪術師あいつの言うように自分たちの命は危ない。せめてフェリシアとラドルだけでも、何とかこの場から逃すことができないか……。


クッ……と喉の奥から絞り出すような声を漏らしたシルヴィの後ろから、その場に全くそぐわない、鈴を振ったような声が軽やかに響いた。


「皆さま!わたくしがお相手しますわ!」


「フェリシア!!出てくるな!!」


シルヴィの悲痛な叫びにも構わず、フェリスは濃紺色の外套の裾をひらめかせながら、スタスタと戦闘中の男たちへと近づいた。


「祈祷師!?」


甲高い声をさらに高くして、呪術師が叫んだ。


その叫び声にも構わず、フェリスは小脇に抱えていた白い布をさっと広げた。布には”魔除け”の六芒星と、それを囲うように”封じ”の円が大きく描かれている。布はリリーが『賢者の冒険物語』を包むのために用意してくれたもので、そこにフェリスとラドルが昨夜、暖炉の木炭を使ってその図柄を描いたのだ。


フェリスは布の上に立ち、にっこりと満面の笑みで言い放った。


「呪術師さま、皆さま!………覚悟せいやッ」


………ローレルに教えられた通りのセリフで、しっかりと宣戦布告をおこたらないフェリスだった。


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