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ファイエルベルクの祈祷師《1》  作者: 小野田リス
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序章〜お仕事、承りました

狭い石畳の路地が、不規則に交差する街、ホーエンドルフ。


天高くそそり立つ聖峰せいほう、ホーエンベルク山を中心に、南北に伸びる山並みのほとんどがファイエルベルク国の領土だ。ホーエンベルク山の東側、標高は高いが比較的起伏のゆるやかな土地に広がった山岳都市ホーエンドルフは、ファイエルベルク国の首都であり、信仰の中心地であり、いまや大陸きっての観光地となっている。


なだらかに続く石の坂道を上りきったところ……通りに立ち並ぶものよりも比較的大きな建物に囲まれた、こぢんまりとした円い広場に出たところで、足を止める者がいた。いまの季節には少し早いようにも思われる、くるぶしまで届くすしの長い濃紺色の外套がいとうをまとっている。


**


祈祷師きとうしとして働き始めて2年目を終えようとしているフェリスは、今回、これまでで最も大きな仕事の依頼を受けた。


その打ち合わせのために、祈祷師協会本部まで来たのだ。目深まぶかにかぶっていた頭巾ずきんを片手でそっと外して、視線を白灰色の石造りの建物に定めた。


いま、彼女の輝くラピスラズリのような瞳は、目的地である祈祷師協会本部の入り口を捉えている。


フェリスにとって、国外に出る仕事は初めてだった。


そして、契約金が5万フォリンもの大金に及ぶ仕事も初めてだった。


「あぁ、5万フォリンですって……」


感極かんきわまってますます瑠璃色の瞳をきらめかせながらつぶやいた。


「それだけあれば、ザーシャおばさんのお店のりんごジャムが……えっと……いくつか分からないけど、きっといくらでも買える金額だと思うわ!」


身近な買い物に置き換えてみようとしたものの、あまりの膨大な金額のため途中で計算を諦めた。ともかく、それほどまでにたくさんの報酬が約束された依頼を受けたのだ。この2年間、祈祷師としての仕事を愛し、心を込めて勤めてきたフェリスは、いよいよこんなに大きな仕事を受けるようになったのかと改めて思う。自分が誇らしいような、でも何だかくすぐったいような心地になった。


フェリスは、気持ちを落ち着かせるように、ひとつ大きく息を吐いて呼吸を整えた。


それでも興奮のためか、少し急いだためか、頬には薄紅をいたように赤みがさし、白い肌がより白く際立って見える。


細い首の後ろでひとつに束ねられた、の光に溶けるようになめらかな金髪を後ろになびかせながら、あらためて扉を目指してすたすたと歩き始めた。


**


長い年月がつやを与え、重厚感の増した木製の扉は、昼間は大きく開け放たれている。


今日は、会長がみずから出迎えてくれた。


「こんにちは。よく来たね、フェリス!例の仕事の件だが、もう準備は整っているかい?」


祈祷師協会会長のダンは、この道40年のベテラン祈祷師だ。いつものようにたのしげな笑みを口元に浮かべ、突き出たお腹をポンポン叩きながらフェリスに椅子を勧めた。お腹をリズムよく叩くのは、食事を終えた後の、会長の癖だ。昼食を食べ終えた直後だったのだろう。


「こんにちは会長様!ええ、もういつでも出発できますわ!」


フェリスは満面の笑顔でそう答えたが、何か思い出したように、ふと視線を落とした。


「でも……ローレル先生はとっても寂しそうにしていらっしゃいますの。」


ローレルはフェリスの祈祷師としての師匠ししょうであり、保護者のような存在だ。


フェリスは9才で身寄りを失った。


両親を失い、わけあって生家を追われることとなった。母の侍女をしていたというハナに連れられてファイエルベルク国に入り、辿たどり着いた先がローレルの元だった。ローレルは快くふたりを迎え入れてくれたのだ。


フェリスに祈祷師としての知識や技術、心得こころえさずけたのもローレルだった。


とはいえ、フェリスはそれ以上のことや、それ以前のことはよく分からない。記憶にもやがかかったように曖昧あいまいで、いまひとつはっきりしない。それに、その頃のことを思い出そうとすると、なぜか途端とたんに眠くなってしまうのだ。無理に思い出そうとすると、歩きながらでも途中で眠ってしまうことがある。


それなら……と、ローレルは『無理に思い出さずとも良い』と言ってくれている。フェリスも、思い出せないのは両親に申しわけなく思うのだが、今のところ普段の生活につかえることもないのでそのままにしている。


幼い頃の記憶に無頓着むとんちゃくでいられるのは、いまの自分の仕事……祈祷師としての職務のおかげでもある。働いて誰かに喜ばれることで、毎日が満たされるのだ。今回は、寂しがり屋の先生を置いていくのは忍びないのだが、まずは依頼と期待にはひとつひとつしっかりとこたえたい。


師匠を心配するフェリスに、会長はゆったりとした笑みを見せながら請け合った。


「ローレルのことなら大丈夫!時々私が様子を見に行ってやろう。」


会長とローレルは、かなり長い付き合いになるそうだ。ローレルの仕込むスグリ酒を目当てに、会長は普段から週に一度はフェリスたちの暮らす家にやってくる。というわけで、わざわざ『様子を見に行ってやる』と言うほど面倒なことではないはずだ。


「それよりもハナはもう戻ったかね?何日か前に出かけたきり戻っていないという話だったが……もちろんあの娘も一緒に行くんだろう?」


「ハナは昨夜のうちに帰っていますわ。このお仕事の話を頂いてから、『準備のため』と言って、しょっちゅう出かけていたのですが」


フェリスは右頬に手を当てて考え込んだ。ハナはフェリスの自称『専属護衛せんぞくごえい』なのだ。


生家を追われた子供の頃ならいざ知らず、成人し、祈祷師として働き始めた今……記憶を辿って急に眠ってしまうこと以外に、護衛されるほど危険な目に遭うことなどないのだが……仕事で山中の集落をまわる時など、ハナはずっとついてきてくれる。フェリスにとって母のような姉のような、とにかくたのもしい存在だ。もちろん、今度の仕事にもついてくることになっている。


そんなハナが、近頃どこへとも知らせずによく出かけていたことは、フェリスも少し気になっていた。


とはいえ、今回はいつもの仕事とは違う。


山を下りきって国境を越えるのだ。ハナなりに用心して準備しておきたいこともあったのだろう。


それと……と、フェリスは続けた。


「あと、ラドルも連れて行きたいのですが……会長様、先方せんぽうにはお伝えしてくださってますわよね?」


「ああ、了承を得ているよ。ラドルも随分としっかりしてきたね。すっかり助手に収まってるじゃないか」


会長がラドルを祈祷師の助手として認めてくれていることに、フェリスは自分が褒められるよりも嬉しい気持ちになった。


ラドルは一緒に暮らしている孤児の少年で、この冬には9つになる。5年前に山で行き倒れていたところをローレルとフェリスが見つけて、以来、ずっと家族のように一緒に暮らしている。フェリスにとっては弟のようなものだ。彼は数字にも強く、買い物や薬の売り上げの計算では、抜け目ない活躍をしてくれている。


「お前さんも、もう17だし、ハナもラドルもついて行くなら大丈夫かとは思うが、くれぐれも無茶をしちゃあいかんぞ。近頃は呪詛じゅそを扱うやつら……”呪術師”なんてやからまで現れて、我々の仕事も別の意味で随分ずいぶんいそがしくなったもんだ。すぐ近くの隣国とはいえデーネルラント王国は近頃、貴族同士の小競こぜり合いが続いてるそうだし……。特に、今回行ってもらうのは、お貴族様がこぞって暮らしてらっしゃる王都ノルトハーフェンだ。本当ならそんな危なげな場所、男の祈祷師をるところなんだが」


心配する会長の言葉尻に重なる勢いで、フェリスは力強く答えた。


「大丈夫ですわ会長様!その”呪術師なんて輩”というのは、同じ隣国でも、もう一方の……ええと、ランチェスタ王国の方に多いのでしょう?」


「それはそうなんだが……やはり心配だよ。呪詛フルーフが使われたという報告には、やんごとなき方々のいざこざに絡む事件が多いんだ。」


呪詛フルーフ……フェリスは口の中でつぶやいた。


なにやら怪しげな術で人に害をなし、良くないことを引き起こす輩がいる……事態は深刻になっているという噂は、祈祷師たちの間ではもう知らない者はいないほどだ。


神殿を出ることのできない司祭たちに代わり、ベテランの祈祷師たちは、近頃、その呪詛を解いて回る仕事に追われている。もっぱらランチェスタ王国に派遣されているらしいが、詳しい話まではフェリスの耳には入らない。


解呪かいじゅにつかう薬の調合ちょうごうや、原料となる植物を育てたり、木の実や鉱物を集めたりするのに忙しいローレルに代わって、山の集落を回っていたフェリスだ。質素ではあるが和やかな食事の後、家族とともに過ごす夕べは、その日起きた出来事を楽しく報告しあうことに終始する。また各集落の近況をローレルに伝え、いろいろと相談する時間は、まだまだけ出し祈祷師のいきを出ないフェリスにとって、大切な “学びの時間”でもある。


呪詛が使われたという事件の噂話にはさほど明るくないフェリスだが、祈祷師の端くれとして、ローレルから基本的な解呪の方法は教わっている。


しかしながら、まだ実際にやったことはない。


そもそも、呪詛フルーフにかかった人に会ったこともない。


そんなフェリスを心配しての、会長の言葉なのだろうけど……フェリス自身としては、大金5万フォリンという報酬を提示してくれた依頼主ガリエル伯爵夫人の期待にはぜひとも沿いたい。


意気込んで『でも大丈夫です!』と口を開きかけたが、フェリスがそれを発するよりも先に会長が言葉を続けた。


「呪術師のことは本当に心配なんだが」


会長は手元の書簡に目を落として、さらに続けた。


「……ガリエル夫人は、フェリスに来てほしいと書いておられるしね。」


今回の依頼主のガリエル伯爵夫人は、2年前の夏に、夫である伯爵と3歳になる息子のセドリックと共に、家族でファイエルベルクをおとずれていた。聖峰ホーエンベルク山の中腹にある神殿、ホーエンベルク神殿で、息子に洗礼を受けさせることが主な目的であったが、避暑旅行も兼ねていたらしい。滞在中の貸別荘で体調を崩した伯爵夫人がたよったのは、地元の祈祷師だった。


ファイエルベルクの祈祷師は、体面的にはホーエンベルク神殿の司祭に代わって民間の祭事を支える存在……なのだが、実際は山間地域の集落を周り、病人やお年寄りを見舞い、必要なら薬をせんじたり、困っている人の相談相手となるのが主な仕事である。むしろ、それが仕事といっても過言ではない。


そういった、普段の集落巡回以外の仕事……冠婚葬祭の立会いや、病床人の看病、子供やお年寄りの世話など、個人的で拘束時間の長い祈祷師へ依頼は、必ず祈祷師協会を通される。


祈祷師協会では、ダン会長をはじめとした理事の面々が、受けた依頼内容を整理する。その難易度や緊急度を吟味ぎんみし、適正な祈祷師を派遣するのだ。


そして協会からガリエル伯爵夫人のもとに派遣されたのが、当時まだ新米の祈祷師、フェリスだった。


真夏なのに頭巾付きの長い外套を着てやたらと祈祷師らしく見えることにこだわったり、お金の話になると何でもザーシャとかいう店の品物に換算かんざんするような、どこかしら変わった娘ではあるが、何より明るくてほがらかであるところが気に入ったとのこと。伯爵夫人はファイエルベルク滞在中、健康を取り戻してからも時々お茶に招待してくれるようになった。


そういうひと夏の親しい交流があり、夫人はデーネルラントに戻ってからも、素敵な押し花のカードを季節の変わり目ごとに送ってくれる。そのカードには、いつもフェリスたちを気遣う一言が添えられているのだが、今年の夏至げしのお祭りの日に届いたカードには、二人目の子を授かり、この秋に出産予定である旨も書かれてあった。


優しかった伯爵夫人や、その夫ガリエル伯爵のおだやかなたたずまい、そして天使のような可愛さだったセドリックを思い出し……この秋に新たにあの家族に加わる天使のことを思うと、自然とフェリスのほほゆるむ。


「伯爵夫人のご依頼って、お産の前後の、身の回りのお世話なのでしょう?だったら、女の祈祷師の方が良いに決まってますわ。何より、わたくしをご指名なんですもの。それにセドリック様もわたくしになついてくださっていましたし……とにかく、しっかりとお役に立ってがっぽり稼いでまいりますわ!」


フェリスは右手を胸元でグっと握りしめ、大きな目をさらに大きく見開いた。


「がっぽり、ね……おまえさんのその口調でお金の話をされると、私はなんだか妙な罪悪感を感じちゃうよ。」


フェリスの、どこか非庶民的ではあるものの、仕事と報酬への熱意たっぷりな口調に気圧けおされたダン会長は、嘆息気味にそうつぶやいたのだった。


**


ガリエル伯爵邸までの旅の経路の詳細について説明を受けた後、留守の間フェリスの代わりに担当集落を周ってくれる祈祷師に申し送りをした。最後に当面の路銀を会長から受け取ったフェリスは、開け放たれた協会の飴色あめいろの扉から表に出た。


西の空を振り仰ぐと、聖峰ホーエンベルク山には、すでに後光が差している。


光を背にした霊峰はますます神々しく、フェリスはまぶしさで目をすがめながらも、厳かな面持ちでホーエンベルク山をしばし仰いだ。


そして頭を垂れ、そっと胸の前で両手の指を組む。


「ガリエル伯爵夫人のお子様が、元気にお生まれになりますように。そして無事にお仕事を終えて、冬までにまたここへ戻ってこれますように。」


つぶやくようにそう祈ると、再び頭巾を目深にかぶりなおした。


帰途を急ぐフェリスの背を、ホーエンベルク山から吹き下ろす風が追い越す。山間やまあいって吹いてきたその風は涼やかで、夏の終わりを感じさせるものだった。

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