復帰前-2
VRバトラーの訓練を見るのはこれが初めてではないし、あのゴーグルと一通りの装具を着けて実際の訓練を体験したこともある。映しだされる光景には一切の違和感もなく、自分がその場所に一瞬で連れてこられたのかと錯覚し、あまりのリアリティに動揺した。今足を踏み入れた訓練管理室の出入口の正面には大きなモニターが据えられ、隣のフィールドを天井から俯瞰している。映しだされているのはみちるとツバキの二人だけだ。
部屋には三木と担当の元機動隊員の教官の他に、三人の操作員がいて、それぞれ二台のデスクトップが割り当てられている。
彼らの訓練はできれば観たくなかった。機動部隊の運用のため必要な人員を急いで揃えたために寄せ集めとなってしまった感じはあるが、その中でもあの二人は特殊だ。一方はついこの前まで路上生活をしていたアルコール中毒者で、もう一方は塞ぎこみ、社会性が欠落したS型のレアズ。ひどい組み合わせだが、もう彼らしかいない。今さら人が揃わなかったので部隊は動かせないではすまないだろう。
「おぉ......これがVRバトラーを使っての訓練というやつか」
突然背後で聞こえた間延びした声に三木ははっと振り向いた。部屋にいた残りの者は全員起立し、無帽の敬礼をした。すぐに訓練の準備に戻るように命じる。突然やってきた男はおよそ二十代の後半で、三木と同様に紺のスーツを着ている。
「佐伯、お前......」
「どうしたんですか三木さん。すごい顔してますよ」
新たな見学者--佐伯はヘラヘラした笑みを浮かべて三木の隣に立った。三木はこの同僚が嫌いだ。幹部学校で同期だった男だが、佐伯はまだ三十歳。キャリアパスを持っている。今は公安部総務課の理事官で三木とほぼ同等の地位にあるが、あと五年もすれば顎で使われるだろう。媚びることと足を引っ張ることにかけてはそこそこの才能を持っていて、三木はあまり好きではなかった。佐伯も準キャリアの三木が同程度の地位にあることが気に入らないらしく、幹部学校以来それを隠そうともしないで接してくる。
「それは私が訊きたい。いきなり来るとはな」
「術科センターに少し用事がありまして。諸用が済んで帰ろうとしたところでなかなか興味深い訓練をやっていると聞きましたから」
「見せ物じゃないぞ」
「いいじゃないですか。公安部とも深く関わる部隊でしょう」
三木は答えなかった。それには答えようがなかった。その沈黙をどう解釈したのか佐伯はこくこくと頷き、勝手に納得したようだった。
いまや三木の頭を占めるのはたった一つの願いだった。みちるとツバキの二人が醜態をみせないようにという願いだ。
視界が一瞬だけ暗転し、再び明るくなったとき、みちるはすでに訓練施設ではなく日中の市街地の道路の真ん中に立っていた。アスファルトの地面、電柱、信号、乗り捨てられたセダンが正面に二台。悲鳴をあげて歩道に沿い逃げる一般人の姿が見えるが道路に出てくる者はいない。すぐ後ろでパトロールカーのサイレンの音が重なって聞こえる。避難誘導は地域課警官に任せればいいだろう。目下の問題は相勤者だ。ツバキはみちるのすぐ左隣に立ち、セダンの向こうにいるV型のレアズを見据えてる。
五分間与えられたブリーフィングの時間を使ってみちるは彼女に想定される状況をいくつか示し、それに対しどのように動くべきか伝えたが、ツバキは最後に自分が正面から制圧すればいいと締めくくった。
相勤者がどうであれ、もう始めなければいけない。
「単純な状況だ。おれは逃げないように足止めするからお前は敵の斜め後方に回り込んで倒す。いいな?」
ツバキはなんの反応も示さなかった。改めて見ると、この華奢な少女があの怪物との近接戦闘を強いられるというのは奇妙で、彼女が哀れに思える。彼女を戦わせる必要などないよう気がしたが、それでは訓練の意味がないだろう。浮遊しようとしていた思いを引き戻し、ツバキに始めるぞと声をかけて走り出した。
一台目のセダンを通り過ぎ、ちょうど相手に横腹を向けて停まっている方のボンネット側に陣取る。これなら身を隠しつつ視界を確保できる。ハンドガードを保持する左腕の肘をボンネットにあずけ、ストックを肩に当てて頬を載せる。サイトの穴の中に敵の顔を据える。距離は二十メートル強。容易く仕留められる距離だ。ツバキが前に出る必要はない。セレクターの位置を確かめるのと、セダンの屋根がみしりとへこむのは同時だった。なにが起こったのか確かめるよりも早く、サイトにツバキの後ろ姿が飛び込んできた。一瞬心臓が動きを止めたような気がした。反射的にストックを肩からずらし、セレクターを安全の位置にあわせる。
たとえ訓練であろうと一方的であるのは変わらなかった。正面に立ったツバキに仮想のV型は大振りなフックを放った。ツバキはスウェーバックでそれをかわし、V型の顎に前蹴りを正確に叩き込んだ。V型はふらふらと仰向けに倒れた。前に見たときにのようにツバキは無表情のままV型の口にレミントンをねじ込み、引き金を引いた。
銃声とともに視界は暗転した。一瞬あとにみちるたちは真っ白な部屋に戻ってきていた。
「今のはどういうつもりだったんだ?」
みちるはバトラーを跳ねあげてぼんやりと立っていたツバキに詰め寄った。憤りを感じていたが、声を荒げることはなかった。ツバキはなんの感情も示さないままただ視線をあわせてくる。
「なんで射線上に入ってきた?」
ツバキは答えない。仲間の銃口の延長線上に立つことが非常に危険なことだということは知っているはずだ。
異変に気づく。MP5のハンドガードを握る手が小刻みに震えていた。