交戦
重くて硬い体を強引に起こし、走り出す。サカキが悲鳴にも似た静止の声をあげるのと、みちるが地面に腹這いに押さえつけられるのは同時だった。自分よりも年を重ねた警官は思っていたよりずっと俊敏だった。
「いけませんよ。手錠かけてでもここから離します」
職務に忠実なこの警官を呪う言葉がいくつも浮かんできたが、すぐに冷静になった。向こうに行ってなにができるのか。あの警官たちと同じように戦えるわけがない。自分にはなにもできないのだ。忘れかけていた無力感がまた胸中に満ちる。
「離してやりなさい」
聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。
「彼はいいんだ。ここで我々のやり方を見せる」
中年の警官は拘束を解き、サカキを急かして高架橋の反対側に走っていった。立ち上がり、三木と視線を合わせる。彼の顔も緊張のせいかこわばっている。
「縁を感じるな」
「警備課長が直々に出てくるとは」
「自分の計画に責任を持たなければいけない。件の新設部隊の有用性を自分の目で確かめるために来た」
「あんたの姿しか見えないけど」
三木が唇の端をつり上げた。初めてこの男が威圧感を発したような気がした。直後、高架橋の端をふさぐパトロールカーのドアを閉じる音が聞こえた。
降りてきたのはブレザーを着た若く、髪の長い女だった。両手で短い散弾銃を保持しているのがはっきりわかる。本来なら彼女は場違いな存在であるが、みちるはそう感じなかった。
「君がいた部隊では天使さま、なんてスラングで呼ばれていたと聞いている」
--なにが天使さまだ。
その言葉にみちるはあまりいい印象を持っていなかった。国土保安局でも彼らを歓迎する者は少数だろう。しかし対レアズ戦においては要であり、切り札でもある。一体のレアズに一人で対等に戦えるのは彼らだけだ。彼らの重要性と彼らのほとんどがまだ十代であるという事実を皮肉って保安局員は彼らを天使さまと影で呼んでいた。SGTではとくに彼らを疎ましく思う風潮が強かった。彼らのせいで自分たちが予備の部隊のように扱われる。
「新設部隊っていうのは天使さまの部隊ってことか。それならもうあるはず......」
みちるが言い終わる前に最初の発砲音が高架橋の中いっぱいに響いた。次いで、二、三、四、五度の銃声。あの時の光景が頭に浮かぶ。吐き気がこみ上げ、心臓が途端に猛烈に早さで動きだす。我に返れたのはパトロールカーがひっくり返された音のおかげだった。下がれ、という一人の警官の叫び声。
「反対の出入口ふさげ」
三木が高架橋の反対を指して声を張り上げる。すぐ横を四人の警官が走り抜ける。
“目標”が見えた。金色の髪は汚らしく伸ばされ、皮膚は白い。灰色の布をかぶり背中からは白く短い羽が垂れている。レアズを直接見たのは二年ぶりだ。群生地域に近づかなければそんなものだろう。
また吐き気がやってくる。今度はもっと強烈だ。直腸を縄で縛られたような腹痛を感じる。今すぐ地べたに座ってしまいたかった。ただ立っているのも苦痛だ。
三木が少女に向けてなにか叫んだ。
少女は間髪入れずに地面を蹴った。次に出した逆足の裏はレアズの胸を捉え、そのまま仰向けに倒す。女性の金切り声によく似た悲鳴をレアズが発する。思わず耳をふさぎたくなるようなものだが、少女は動じるようでもなくレアズの顔面に拳を叩き込む。それきりレアズの悲鳴は途絶えた。散弾銃の銃口をレアズの口にねじ込み、引き金を絞る。
散弾銃には対レアズ戦で一般的に用いられるエクスプローダーのスラグ弾が装填されていたのだろう。銃声のあとに短い破裂音も聞こえた。
ワンサイドゲームだった。よく訓練された彼らは大抵レアズを相手にしても圧倒できる。彼らは戦いのプロで、近接格闘術、射撃に通じているが、ほとんどのレアズは素人だ。何発エクスプローダーを当てても止まらないレアズを彼らが素手で仕留めるところを何度も見てきた。
「大したものだろう」三木の声は平坦だった。誇らしさも安堵もない、ただ自分の仕事をチェックするような声だった。「少しは関心を持てたか?」
「大したものだった。あそこまでやれれば充分だろう。おれになにをしろって?」
「話せない。本来なら極秘扱いだ。知りたいなら我々に加わればいい」
さきほどの圧倒的な戦いが脳裏で再生された。あの少女が冷酷に、レアズの口に散弾銃を差し入れ、引き金を引く。次の瞬間に浮かんだのは、小銃を自分の前に据えたまま、鉄パイプで胸を貫かれた章の姿だった。
「もう一度向き合ったらどうだ? きっと乗り越えるにはそれしかないぞ」
あの日のことを乗り越えられるとは思っていない。生まれたのはもう一度レアズと戦いたいという思いだった。そうすることが、章への償いになると思ったのかもしれない。
「加わるよ」
小さく放った一言で三木はなにもかも悟ったように大仰に頷き、握手の手を差し出した。みちるはそれに応えなかった。