異海を渡る船(3)
あたしたちの乗った馬車は、そのままレンガ造りの建物へと滑り込んでいった。建物の中へと続くトンネルのような道に馬車は吸い込まれていき、一瞬、外が暗くなる。
けれど、それは本当に一瞬だった。
明るい光が外から漏れだしてくる。
「船着き場に到着したようですね」
キャンさんがそう言ったとき、馬車をひくカウニスが足を止めた。止まるとき独特の圧迫感が襲い、あたしはオンちゃんをぎゅうっと抱きしめた。
最初に司祭様が、次にキヴァさんが、そしてあたしとキャンさんが続き、最後にカイくんが馬車を降りた。
目の前に広がったのは、見たこともないほどに広いホールだった。壁を見るとおそらくレンガの建物だと思うのだけれど、とてもレンガのみで組めるような大きさではない。天井は見果てる先まで空洞で、先の方は薄暗くて見えない。かすかに歯車が見えるから、おそらく時計の裏側部分なのだろうと思う。
奥の方には岩盤が顔を出しており、大きな建物は半分地面に埋まっているのではないかというあたしの予想を裏付けていた。
広すぎる空間を明るく照らし出しているのは、其処彼処に浮いている光の球だ。ララさんが洞窟で出してくれたのとにているから、おそらく同系統の光術製品なのだろう。
幻想的な光で浮かび上がるホールの中に、まるで駅のホームのように少し高くなっている場所があった。
しかし、船着き場と言うのに、海らしきものや水らしきものは全く見られない。
代わりに、駅のホームから線路が伸びるように、光の帯のようなものがキラキラと輝きながら奥へと向かって地面に敷かれているのを見た。映画祭でしか見られない、絨毯みたいだ。
絨毯が延びる先は岩盤に穿たれた真っ暗闇がぽかりと口を開けていて、建物の終わりが急激に暗闇へと続いているかのようだった。暗闇に向かって絨毯が伸びていき、吸い込まれる。あの先に道があるかのように。
あたしが呆然としている間、オンちゃんも周囲をきょろきょろと見渡していた。
「ここが船着き場? 水もないのに」
「水はありませんよ。ここは、異海をわたる船が接岸する場所ですからね! もしかして、オンさんも歌姫様も、初めてですか?」
「はい、あたし、船って見たことないんです」
そう言うと、キャンさんはこほんと一つ、咳払いしてから嬉しそうに話し出した。
「異海を渡ろう、という考え方は、ずいぶん昔からありました。それこそ、木の葉のような船を漕ぎだし、二度と戻って来ない先人たちも多くありました。かの冒険かユングリド・ヴィーシもその一人です。ユマラコティ山脈の最先端を極めた彼も、異海を単身、渡ることはかないませんでした」
そういえば、異海ってなんだろう。
あたしがもともと、異海から落ちてきたって言われて、ララさんに異海人であることを驚かれ、何となく使ってきた単語ではあるけれど、それがいったい、何なのかわからない。
キャンさんに聞きたかったけれど、饒舌な彼の台詞に口を挟む隙はいっさい、なかった。
「しかし、40年ほど前に技術革新が起きます。今となっては放棄の町と化してしまったかつての〈工業都市〉ユーカ。そこに住んでいた光術技師の一族「タリナ」が作り出した〈異海渡り〉の光術により、安全な航路を導くことが出来るようになったのです。〈異海渡り〉は、光化種のうち、鳥の形をしたモノを捕らえ、目印を付けて異海に放つことによって、彼らのたどる安全な道を知るという術でした」
異海渡り。鳥の姿をした光化種。
まるで渡り鳥のように真っ白な鳥が、海の上を滑るように飛んでいく様が、目の前に浮かんだ。その鳥に糸をくくり、航路を探す。
なんて幻想的な光景だろう。
「異海渡りの技術によって航路を発見したタリナの者たちは、早速、その航路に目印の光素路を敷き、その上を走らせる船を作成しました。それが、今日まで使われている異海を渡る船――」
と、そのとき、キャンさんの言葉が大きな音でかき消された。
ぼーっという音には聞き覚えがある。
まるで、煙を吐く機関車のように、煙突から虹色の光をもうもうと立ち上らせながら、その船は現れた。
例えるならば、銀河鉄道。
ピストンで動く車輪、車軸、黒々と塗られたボディに大きな煙突。そこから吐き出されるのは煙ではなく光素の雲だけれど、それでもあの姿形は見間違うはずもない、機関車だ。
山脈の岩盤に穿たれ、虹色の絨毯が吸い込まれていた黒いトンネルから、その車体をゆっくりと引き出していった。
そして、光の絨毯に沿って駅のホームへ、黒々とした巨体が滑り込んでくる。
警笛を鳴らしながら飛び込んできた機関車に、ホームの人々は帽子やケープの裾を押さえた。
「……すごい」
まさか、光術の機関車が見られるなんて。
しかも今からあたしは、これに乗って大陸の反対側へ向かうのだ。
船、という単語から想像していた旅とは少し違うけれど、予想以上だ。
あたしは胸が高鳴るのを感じた。
オンちゃんもあたしの頭の上で絶句している。
「どうしよ、オンちゃん。こんな機関車に乗れるなんて思ってなかった!」
「ボクもだよ。話は聞いてたけど……実際見ると、圧倒されるね」
驚いているあたしたちを見て、キャンさんは満足げだ。
解説が途中だったけれど、もう忘れてしまったのだろう。うん、まだまだ長そうだったから忘れてくれてかまわない。
機関車が完全に止まると、客室のドアが一斉に開かれ、たくさんの乗客たちが降りてきた。
あっという間にホームはいっぱいになる。
「もう少し落ち着いたら、我々も乗り込みましょう。荷物はすべて、国営ギルドの方々と今回、教会の皆さまが運んでくださっているはずですから」
司祭様がそういってにっこりと笑った。
でも、あたしはあの機関車がもっと近くで見たい! きと、オンちゃんも同じ気持ちのはず。
「少しだけ。司祭様、少しだけ近くで見てきてもいいですか?」
懇願するように見上げると、司祭様は困ったように笑った。でも、ダメとは言わなかった。
あたしは、オンちゃんと一緒に人混みをかき分け、機関車の前面に向かった。
大きな車輪の上に丸い顔、中央に番号の印されたプレート。やっぱり、向こうの世界の機関車と酷似してる。
でも、動力が石炭じゃないせいだろう、その車体はほとんど汚れておらず、指で触っても黒くなったりしなかった。
「おい、歌姫様。安易に車体に触るなよ。走行していた光術機関から有害な光素が漏れてるかもしれねえだろ。そうでなくとも、熱されている場合もありまるんだから、気をつけろよ」
後ろから勝手についてきていたカイくんがあたしに注意する。
この人、案外面倒見がいいんだな。
「そう言えばカイくん、何であたしについてきてくれたの?」
何だか嫌そうに見えたけど。
「……ザイオン・ルルヴァンスと取引したんだよ」
「ザイオンさんと?」
もしかして、カイくんって教会側の協力者? あんまり頼れなさそうだけど、唯一の味方なの?
「ああ。もしお前を無事に東へ送り届けたら、なんとあの風雷の双駒と会わせてくれるっつーんだよ! 分かるか? ロワン・サルケア。雷の光術師ならだれもが憧れる将軍だぞ?」
カイくんが珍しく強く主張した。
あれ、でもロワンさんは今、ロヴァニエミの教会にいるよ? それあなのにカイくんはオウルに飛ばされちゃったの? それって、騙されてない?
……ま、いいか。あたしには関係ない。
あたしは正面から少し回り込んで、本体と客車の継ぎ目をのぞきこんだ。がっしりと組み合う大きな鉤爪。ジョイント部分だけであたしより大きい。
「すごいなあ……」
「ボク、もうちょっと機関部を見てくるよ」
興奮した様子のオンちゃんは、あたしの頭を飛び降りてとっとこ駆けていく。
あんなに楽しそうなオンちゃんは久しぶりだ。
機械が好きな弟、その姿が子犬の後ろ姿に重なった気がして、あたしは思わず微笑んだ。
そして、調子に乗って運転席に乗り込もうとしたせいで機関車の運転手さんに怒られるまで、あたしとオンちゃんは、機関車の見学を楽しんだのだった。




