旅立ちの日(1)
パーティの次の日、ララさんとミルッカさん、そしてメリィは一緒に旅立った。
記憶箱の売れ行きがよかったララさんは、『元締めにいい土産話が出来た』とご満悦だ。今後の活動方針も含めて、本社と話し合ってくるのだという。
そして、ミルッカさんとメリィは向こうに到着してからあたしと合流することになる。最後までオンちゃんとの打ち合わせを入念に行っていた――実際に合流するのはあたしだけど、完全にオンちゃんにまかせっきりだ。
きっと、オンちゃんと一緒なら大丈夫。
カウニスの背に揺られて一足先に旅立った彼女らを見送り、あたしも最後の準備に精を出した。
クーちゃんとリーダーに、プレゼントを用意するのだ。この世界に落ちてからずっと守っていてくれた二人に、あたしなりの恩返しがしたいから。
喜んでくれるといいな。
いつももらってばかりのあたしだから、たまには何かをあげたい。
旅立ちの日は、あっさりとやってきた。
前の晩にリーダーとクーちゃんとオンちゃんと一緒に夕食をとったのもいつも通り。ほんの少し多めに思い出話をして、いつもの時間に床について、いつもの時間に起きた。
旅立ちの日にふさわしい、爽やかな朝だった。夏らしい凶暴な日差しは気づかぬうちになりを潜め、どこかしら秋の気配を感じさせる風が吹いている。もちろん、まだまだ日差しの暑さは残っているけれど。
見慣れた橙色の空に笑いかける。
――大丈夫、笑ってさよならできるよ。
言いたい事は伝えたし、プレゼントも準備できた。
あとは泣かずに手を振るだけだ。
いつもより少し遅めに朝食をとる。ねぼすけのリーダーとクーちゃんに合わせるためだ。
カリカリに焼いた分厚いベーコンをパンに挟んで、一口。うん、おいしい。
「ちゃんと準備したのか? 忘れ物はないのか?」
まるで遠足の日のオカンのような台詞はリーダーのものだ。
彼もいつもと同じ調子に見えた。
クーちゃんも、にこにこしながらあたしのお皿にいつもより多めにソーセージを置いてくれる。フライパンから跳ねるように躍り出たそれをフォークで刺しながら、あたしは準備が出来ていることを告げる。
元の世界から落ちてきたときに着ていた服に着替え、パーカーだけは畳んでサイドバッグに。代わりにクーちゃんとお揃いのケープをかぶった。
「うん、大丈夫そうだね」
クーちゃんがにっこり笑ってあたしの頭の上にオンちゃんを乗せた。
「じゃあ、行こうか。司祭様が待ってる」
お別れは、教会の前の広場だった。
教会は、焼けてしまったレンガを取り替えるための木の足場が組まれ始めている――立て替え費用には、この間のパーティでの寄付が使われているそうだ。主に、焼き払ったリーダーから寄付されたようだけど。忘れてたけど、リーダーもクーちゃんもお金持ちだったんだった。今思えば、共和国からぶんどった補償金とかそんな感じのような気がする。
教会の前には、司祭様とシスター姿のザイオンさんが並んで立っていた。
「歌姫様、お待ちしておりました」
司祭様はいつもより少し上等な素材の服に身を包んでいる。遠出用の厚い素材なのだろう。
ここまで送り届けてくれたリーダーとクーちゃんは、あたしを司祭様に渡すと、一歩、離れた。
ああ、お別れなんだな。
あんなにも長い間一緒にいて、当たり前のように側にいたのに、こんな風にあっさりと別れてしまうんだ。
朝ご飯を食べたときまでは普通だったのに、急激に寂しくなってきた。
「リーネットちゃんが行ってしまったら、寂しくなるわあ」
「大丈夫ですよ。『半月揃いの夜』のお祈りがすんだら、歌姫様を連れて必ず帰ってきますから」
司祭様はそう言って笑ったけれど、ザイオンさんはほほほ、と笑うだけだった。
ザイオンさんとは、もう二度と会えないもんね。
あたしは、短い腕を精一杯広げて、ザイオンさんに抱きついた。残念ながら、たくましい彼女の背中で、あたしの両手が出会うことはなかったけれど。
「ありがとう、ザイオンさん。たくさんお話をしてくれてありがとう。たくさんお話を聞いてくれてありがとう。何度も、助けてくれてありがとう」
彼女が言うとおり、とても頼りになるシスターさんだった。どんな難しいことを相談しても大丈夫、そんな風に思わせてくれるとても剛胆な空気を持つ人だった。
「やっぱり可愛いわあ。大丈夫、アタシはいつだって小さくて可愛い、恋する女の子の味方よ! いつでも頼っていらっしゃい」
王国時代の水の将軍。正水駒、ザイオン・ルルヴァンス。
絶対に忘れないよ。
ザイオンさんの苦しいくらいの抱擁を受けて、あたしは心に刻みこんだ。
そこであたしは、サイドバッグから小さな包みを取り出した。
茶色の紙に包んだ、細長い装飾品。
「クーちゃんにプレゼントだよ」
「えっ?」
両手で包み込みながら開くと、中からヘアピンが現れた。
ザイオンさんに手伝ってもらいながらあたしが細工した、歯車モチーフのヘアピンだ。歯車の中央に小さな紅玉をはめこんで、その中にあたしの祝福を込めた。
リーダーのように防御の光術を作ることは出来なかったけれど、あたしがクーちゃんを大好きな気持ちをいっぱい込めた、〈紡〉の光素に満たされた宝石だ。
かがんでくれたクーちゃんの前髪についていた昔のヘアピンをはずす。一人でいた時から5年間、ずっと使っていてくれたそのピンはすでに変色して錆びていて、元の色を残していなかった。
「古い方はあたしにちょうだい。向こうの世界に、持っていくから」
代わりに、新しいヘアピンをつけた。
赤く光る紅玉がキラキラと太陽の光を反射した。
「よかった、似合うよ、クーちゃん」
あたしがほめて、頭をなでてあげると、クーちゃんはぎゅうっとあたしを抱きしめてくれた。
この世界で最初に感じたときと同じ、弟の気配を胸一杯に吸い込んで、あたしは安心を胸の中に充電する。
「大好きだよ、クーちゃん。たとえ、世界が隔ててしまっても、クーちゃんはあたしの大切な弟だよ」
「うん。オレも、りー姉が大好きだよ。世界で一番、ううん、別の世界を全部足しても足りないくらい、大好き。困ったらオレを呼んで。どこにいたって見つけてみせるよ!」
この世界に落ちてきた時みたいに。
あたしは、弟と額をこつり、と合わせて微笑み合った。
大切な大切な家族。あたしの弟。
この世界に居場所を見つけて、どうか幸せになってほしい。向こうの世界では見つけられなかった平穏を、どうか享受して欲しい。
世界を離れても、クーちゃんが幸せに、笑っていますように。
「りー姉も幸せになって。お願い。母さんと父さんにも、オレは元気にしてるって伝えて欲しい」
「うん。分かってる」
自分の足で歩き始めた弟の事を、どうやって話そうか。母は聞いてくれるだろうか。クーちゃんがいったいどんな世界で生きていく事を決めたのかって事。
もしかしたら母も来たことがあるかもしれない世界で――
あたしは存分にクーちゃんと抱き合って、笑い合った。
「もしかすると姿を現すことは出来ないかもしれないけど、オレは最後までりー姉と一緒にいるよ。船に乗る、最後の瞬間まで絶対に側にいる。忘れないで」
「うん」
クーちゃんは忍者だから。こっそり一緒に来てくれるんだ。
でも。
彼とはもう、ここでお別れだ。
あたしは、リーダーに向き直った。
「リーダーにも、プレゼントがあるの」
そう言うと、リーダーは驚いた顔をした。
まるで考えていなかったらしい。
〈カメラ〉も〈四次元バッグ〉も〈岩石レーザー〉も、他にもいろんなものを無償であたしに与えておいて、この人は全く自分に何か施されるという意識がないのだ。
本当に不思議な人だ。
あたしはもう一度サイドバッグを探って、紙の束を取り出した。
「……何ですか、これは」
受け取ったリーダーが困惑している。
それはそうだろう。
これは、この世界にない手法で作成したものだから。
「それは、〈地質図〉だよ。あたしがこの世界で見たものすべて、そこに描いてある」
ああ、いつも作ってたやつか、と納得したようだ。
「調査した場所だけじゃなくて、見たことのない土地の分も、あたしの考察を加えてある。どのあたりでどんな岩石が分布していそうとか、力場からいろいろ考えてみたり」
所詮は半人前の地質学者だから、たかがしれているけれど。
でも、ここが全く地質学のない世界なら、この拙い地質図が大きな意味を持つ。
「グーリュネンみたいに、まだ発見されていない鉱山がたくさんあるかもしれない。その予想を全部、その地図に書き込んであるよ」
まだ発見されていない鉱山。
その言葉でリーダーははっと顔を上げた。
あたしの調査の集大成だ。
「新しい鉱山の情報。あたしの技術すべて使って作ったその地図が、あたしからリーダーへのプレゼントだよ」




