足跡化石(5)
次の日、あたしは二人を足跡化石のところまで連れていった。
砕けた地面、中途半端に掘り返した跡。
なるべくきれいに残っている足跡の一つを指さし、地面を辿りながら解説する。
「これは何万年か前の足跡化石だよ。蹄が3本あるね。爪の形じゃないから、鳥じゃなく、草食獣かな。それから、ここ。尻尾を引きずった跡があるの。かなり深いから、相当重い尻尾だと思うんだけど、尻尾も3本ある。もう少し詳しく調べなくちゃわかんないけど、植物化石の残り方からして、湿地みたいな場所だったと思う」
「……まるで、死体の検分じゃねーですか」
弟は興味深げに、ルースはあっけにとられた表情で見ていた。
「こうやって昔、この場所にいた生物が残した証が『化石』だよ」
蹄が3つに、尻尾が3本。
元の世界ではとても考えられない生き物だけど、この世界ならいたかもしれない。
何しろこれは、足跡化石。生き物がここにいた証なのだ。
「しかも、三つ叉の足に重い尾が3本? 神話じゃあるまいし、そんな神獣、ここにいたわけねーだろ」
「いたんだよ」
あたしはきっぱりと言い切った。
そこだけは否定させない。
これは、当時の生物が生きた証だ。過去を知るために残されたそのかすかな証拠だけは、絶対に否定させない。
「この生き物は、確かにここにいたの。そして、生きた証を残したの。だから、そのシンジューって生き物は、今から何万年も前に、必ずここを歩いてたの!」
感情が高ぶっていく。
最初にこの河原で歌を歌った時のように、全身を光が包み込む。
その姿を見て、ルースがぎょっとした。
「おい、お前、リーネット、落ち着け。光素の凝集がおきてんぞ」
胸の中心が熱かった。光の粒が煌めいてあたしを包み込み、赤らんだ空へと立ち上っていく。
「あー、わかった、わかった。その生き物がここにいたことを信じてやるから! いいから! ちょっと落ち着け!」
ルースがぶんぶんと両手をふった。
しぶしぶだけれど、あたしも矛を収める。
それと同時に、周囲を包んでいた光は霧散した。
「とんでもねー奴だな。光素の使い方も知らねー異海人のくせに、器だけは莫大だっつーんだから」
ルースはぶつぶつと文句を言っている。
「えっ、りー姉、光術が使えるの? すごいなあ、オレ、全然ダメだもん」
のんびりと弟が言う。
「そうそう、お前と違って治癒光術も効くからな。その点では心配してねーですよ」
「治癒光術? りー姉に治癒かけたの?」
「ああ。あの倉庫で捕まってた時に……」
と、ルースはそこでしまった、という顔をした。
きっと弟は怒るだろうから、とあたしはルースに口止めをしていたのだ。あの倉庫に捕まっていたことは言ってない。
「ルース、どういうこと? りー姉が治癒しなくちゃけないほど怪我したの?」
「あー……」
困り果てたルースがあたしの方を見る。
でも、もうどうしようもない。
「……ルースの馬鹿」
やっぱり、残念な人だ。
「りー姉、この世界は日本と違ってとっても危ないんだから、一人で出歩いたりしちゃダメだよ? りー姉はちっちゃいし可愛いからすぐ連れ去られてどっかに売られちゃうんだから!」
「大丈夫だよ」
怖い人たちがいる事は分かった。
でも、そんなことを気にしてたら調査なんてできやしない。クマが出ようと光化種が出ようと、あたしはこの世界の調査をして、師匠にお土産の地質図を渡すのだ。
「大丈夫じゃないよ、りー姉!!」
悲鳴のような弟の声を聞いて、あたしはくすりと笑った。
大丈夫だよ。
あたしは、大丈夫。
怖くても辛くても、精一杯で演じてあげる。
「それより、ルース。さっき言ってた神獣の事、教えてよ。蹄が三つで、尻尾が三本あるの? その尻尾は重い? その生き物はもういないの? いないなら想像図でいいから教えて!」
勢いよくルースに詰め寄ると、彼はべちん、とあたしの頭を叩いた。
「えっ、なんで?」
「お前……教会を敵に回してーんですか。何万年前か知らねーが、神獣がこの大地を歩いてたなんて言ってみろ、あっという間に異端者としてとっ捕まっちまうぜ?」
教会? 異端者? 神獣?
ルースは少しだけ真面目な顔をして告げた。
「〈ユマラノッラ教〉において、大地はすべての源だ。六晶系の神々が大地を作り、与えたとされている。その大地を自然発生的なものとするのは、確実に異端者と思われるだろうな。俺とクォント相手ならいいが、他の人間には話さないほうがいい」
「えっ?」
あたしは大きく目を見開いた。
でも、よく考えてみれば、地動説だって最初はキリスト教の弾圧に遭っていたのだ。裁判で地動説を否定させられた人が『それでも地球は回っている』なんて言葉を残したのは、有名な話だ。
この世界でもそうなんだろう。
文明の程度と、学問の進み具合が、あたしの知っている世界と全く違う。
この足跡化石は、『神獣』と呼ばれる生き物の足跡化石かもしれない。
もしかして、神獣と呼ばれるのは大昔の生物の事なのだろうか?
だとしたら、教会はどうやって太古の生き物の姿を知ったのだろう。そして、なぜ太古の生き物を神獣として祀り上げたのだろう。
何より、もし『神獣』が化石から復元した太古の生き物の姿だとしたら、『大地は神が作ったもの』だと説くはずの教会が、地質学的な手法を保有しているのに、隠しているという事になる。
それはいったい、何を意味しているだろうか。
考えそうになったとき、正にこの世界の宗教の深淵を覗き込みそうになって、やめた。
「……うん、わかった」
〈ユマラノッラ教〉という宗教組織が、何を隠ぺいしていようと、何を誤魔化していようと、あたしには関係ない。
あたしは、あたしの持つ手法で調査するだけだ。
いろんな考えを押し込めて殊勝に頷いたあたしを見て、ルースは軽く唇の端を上げた。
小さい子にするように、あたしの頭にぽん、と手を置いて。
「でも、元の世界にいる師匠にだけは見せてあげたいんだ。こっそり調査するだけなら、いい?」
「そのくらいならいいでしょ、ルース。りー姉は元の世界に帰るんだから」
「まあな」
さらりと、弟が自分の事を除外した気がするけれど。
聞けないな。
あたしって臆病者だ。
弟が、すっかりこちらの世界に馴染んでしまっている事がとても寂しい。
大丈夫、でもあたしは笑えるよ。
「ありがとう! じゃあ、何日かこの場所で調査したいんだけど、いい?」
「何日も?! ふざけんじゃねーですよ。俺たちの仕事を何だと思ってやがんですか」
即却下されそうだったが、クーちゃんがそれを止めた。
「いいじゃん、今は中央からの依頼もないし、数日くらい。そうそう、オレ、新しい設計図書いてるんだ。材料さえそろえば、ルースなら数日で出来ちゃうと思うんだけど、見てみない?」
ルースはぴたりと口を閉じた。
「次は何を作る気だよ、お前の設計はいつもめちゃくちゃなんだよ。ちっとは作る方の事も考えろ!」
「無茶を言っても作っちゃうのがルースでしょ。だから、この場所に何日かとどまってさ」
「……仕方ねーな」
仕方ない、と言いつつもルースはちょっと嬉しそうだ。
弟が、うまくいった、という風にあたしに向かってウィンクした。
次の日から、あたしは河原で一人、調査を行うことになった。
ただし、いつも前髪を止めているヘアピンを、ルースが作ったというお守りつきのヘアピンに交換するという条件で。
キラキラ光る石がついているが、これはどう見ても本物の宝石だった。
聞けば、光術をこの宝石に閉じ込めておくことが出来るのだという。
でも本物の宝石だよ?! たぶん、緑はエメラルド、薄い黄色に近い緑色をしているのがペリドット、それから青いのはたぶんアクアマリンだ。
でも、よく見れば、ルースの両手には多くの指輪や装飾品がきらめいている。光術に宝石を使うのなら、たくさん持っていてもおかしくない。
向こうの世界で買おうと思ったら、どれだけの値段になるかは考えないようにしよう。
異世界に落ちた時に、調査用具を持っていたのは幸運だった。
慣れた道具を使ってあたしは順調に調査を進めていった。
その間、弟とルースはずっと宿の部屋にこもっていて、いったい何をしているのか分からないが、時折、その部屋から光が漏れているので光術に関して何かしているのだろう。弟の断片的な話を信じるなら、おそらく光術を使った製品を開発しているようだ。
あたしには関係ない。
そう思って数日、二人は疲れ果てた顔で部屋から出てきた。
「二人とも大丈夫?」
おそるおそる声をかけると、ルースは頭を押さえて無言のままあたしに何かを差し出した。
「……カメラだ」
あたしの手に収まったのは、一眼レフの形をしたカメラ――のような物体だった。
「作ったんだよ。オレが設計して、ルースが作った。結局、丸5日かかっちゃったね」
「こんな製品、思いつきもしねえよ。とんでもねーな、おまえたちの世界の技術は」
「これを再現できるのだって十分、とんでもないよ」
お互いに何か言いながら、二人であくび。
渡されたそれをかまえ、ファインダーをのぞき込んだ。
向こうで使っていたものとほとんど変わらない。ピントや絞りもそろえられる。
あたしは軽くシャッターを押した。
記念すべき一枚目は、年上になってしまった弟と、異世界で出会った王子様だ――ひどく眠そうにしているけれど。
不思議なこの世界に落ちて不安なことも多いし、何にもわからないし、元の世界に帰れるかもわからないけど。
でも、二人が一緒なら楽しめる気がするよ。
何より、見たことのないような景色をこのカメラに収められるかもしれないしね。




