世界を越えて(5)
教会の中も、外と同じように黒こげだった。
美しかったステンドグラスは煤けてしまい、祭壇にかけてあった神獣のタペストリーも端から燃え落ちている。炎の神印は無事だったようだけれど、壁のレンガも床も黒く染まっていて、建物が倒壊しなかったのが奇跡と思える有様だった。
その中で、全く色の変わっていない一角がある。
中央祭壇の前、つまりは人質が集められていた場所だ。
リーダーの光術は非情なまでに正確に、敵だけを狙ったのだろう。
建物一つを一瞬で燃やすだけでもおかしいレベルなのに、この精度。本当にリーダーは頭がおかしいと思う。
「司祭様、歌姫様と王女をお連れしました」
中央の祭壇に祈りを捧げていた司祭様は、ザイオンさんの声で振り向いた。
司祭様も人質だったのだ。疲れも怪我もあるだろうに、そんな事を微塵も感じさせない穏やかな笑顔で迎えてくれた。
昨日さんざん謝られたのに、また謝罪から入った司祭様を慌てて止め、お疲れの様子だったので、かろうじて燃え残っていたベンチにおかけいただいた。
「ご足労いただき、ありがとうございます。実は、中央聖堂から歌姫様に招待状が届いているのです」
そう言いながら司祭様は一枚の紙を取り出した。
「今朝、届いたのです。昨日でなくてよかった。昨日であれば、すべて燃え落ちてしまっていたでしょうから」
司祭様は前向きな言葉で笑いながら、その紙を開いた。
まるで墨のように濃いインクで文字が書かれている。見慣れない形状の文字だけれど、意味は理解できた――やっぱり、不思議だ。
「これは、中央聖堂への招待状です。豊穣の紡ぎ原で祝福を行った歌姫様にぜひお会いしたいと、聖司教様から直々のご招待です」
聖司教様。
名前を聞くだけで偉そうだ。
そんな人があたしに会いたいって……嘘でしょう?
「およそ1ヶ月後の『半月揃い』の夜、聖堂に信者がたくさんの集ってお祈りを捧げるのですが、その日に、ぜひいらして欲しい、と」
1ヶ月後とはまた、ずいぶん急な話だ。
「その……中央聖堂ってどこにあるんですか?」
「王都ですよ」
メリィがにっこりと笑った。
何かを示唆するような笑顔で、思い出した――古代兵器が眠る場所に続く道は、王都の大聖堂の地下にあるって言ってた。
つまりこれは、中央聖堂に赴く、またとないチャンスだ。
そのくらいはあたしにもわかった。
でも、ここで勝手に返事をすると絶対リーダーに怒られる。
「ありがとうございます、司祭様。でも、遠出するとなるとあたし一人では決められません。戻って、クーちゃんやリーダーに相談してもいいですか?」
「ええ、もちろん、かまいませんよ」
司祭様は微笑んで、その聖司教様からだという手紙を渡してくれた。
これは、あたしが元の世界に帰るための切符だ。
手紙を胸に抱えながら、ドキドキと胸が高鳴るのを止められなかった。
その夜、仕事から帰ってきたリーダーとクーちゃんに、司祭様からいただいた手紙を見せた。
二人とも、口を開けて驚いていた。
「ほんとにさ、りー姉はオレたちの助けを必要としてないよね……自力でたどり着いちゃうよね……」
「全くだ」
リーダーとクーちゃんがそろってため息をついて、テーブルの上に手紙を戻した。
「でも、これでわりと簡単に東には行けそうだね。よかった、ララさんに頼もうかと思ってたんだよ」
「しかも中央聖堂からの正式な招待状なら、共和国から護衛がつくだろうな。道中も安心だ」
どうやらあたしがこの招待状に乗じて王都へ行き、元の世界への道を探すのは決定らしい。
「クーちゃんもリーダーも一緒にきてくれないんだよね……?」
不安げにそう言うと、リーダーはよしよし、とあたしの頭をなでてくれた。
「こんな時だけは素直で可愛いな、お前は」
軽く笑いながら頭を撫でてくれるリーダーの顔をまともに見ていられない。
うん、やっぱりスキンシップにますます抵抗がなくなってると思う。この人の甘やかしに耐えられるうちに離れないと、駄目になっちゃう。
この人は、いったいあたしをどうしたいのだ……この世界の小指の意味を知りながら、あたしと指切りしてくれて、勘違いしていいって抱きしめてくれて。クーちゃんとおんなじくらい、優しくしてくれる。
本当に、あたしが小指の意味を知って、そのうえでもう一度差し出したら、彼はいったい、どうするんだろう?
そんなあたしの気も知らないで、リーダーはクーちゃんに問いかけた。
「クォントは無理しても行くだろ?」
「うん、もちろん。表だって話したりは出来ないかもしれないけど、隠密行動は得意だから。ついていくのはたぶん、簡単だよ」
そうだった。クーちゃんは忍者なのだった。
こっそりあたしについてきてくれるなら、とっても安心だ。
「リーダーはお留守番?」
「んー、まあ、そうなるだろうな。これだけ混乱した状態のロヴァニエミを放置するわけにもいかねーですよ。ついていく方法は……一応、考えるが」
最後の方の言葉を濁したリーダー。
メリィは道案内のために必ず一緒に来るって言ってたし、リーダーまでわざわざ共和国に姿をさらしてしまうことはない。
リーダーとは一足先にお別れになりそうだ。
寂しいな。
その前にきちんと伝えてあげてくださいね、とメリィの声が聞こえた気がした。
ううう、あと1か月かあ……心の準備が間に合わないかもしれない。
「半月揃いの日だったな。あと……34日か。10日前には出発するとして、あと一月もねーな」
「ほんとだ。メリィに詳しい話を聞いておかないと。オレたちが東で活動することはないって言っても、前情報は多い方がいいよね」
「後はザイオンを抱きこんどけ。役に立つだろうからな」
リーダーとクーちゃんがてきぱきと準備を始める。
そこにあたしが口を挟む隙はなさそうだ。
「リーネット。お前は荷物をきちんと整理しておけ。石だの岩だの、部屋に足の踏み場もないほど散らかしてんのは知ってんだぞ」
そう言われて、あたしはうぐ、と息を詰まらせた。
「そもそも、俺がやった鞄にも大量に謎の石を詰め込んでんだろ。倉庫側が困ってんだよ。いますぐ全部、何とかしろ」
「えっ? 倉庫って、無人じゃないの?」
そう言うと、リーダーは顔をひきつらせた。
「無人じゃねーですよ。定期的に物を分類したり、捨てたり掃除したりする人間を雇ってある。最近、倉庫番から届いた手紙に『急に石が増えて片づけに困っている』って書いてあったんだよ」
そうだったのか、知らなかった……。
じゃあその人には、石の片づけ方、分類の仕方、ラベルの張り方や保存方法を書いた長い長い説明書を送りつけてあげよう。
あたしが師匠から譲り受けた片づけ術を披露するときがきた!
もっとも、あたしも師匠もそれほどきれい好きじゃないから、サンプル整理以外にそれが発揮されることはないのだけれど。
「ねえ、リーダー。せっかく掘った化石は、倉庫にとっておいてもらってもいい?」
「ん? ああ、多少ならかまわねーですよ。向こうに帰るまでにあんまり増やしたら、問答無用で処分するからな」
あなたは私のオカンですか……。
厳しいリーダーにこくこくうなずきながら、あたしはこれまでのサンプルの中で何を残すか、真剣に検討を始めていた。
整理し終わったら、メリィにも言っておかなくちゃ。
なにしろ、メリィはこの世界で唯一の地質学者の卵だもんね!
あたしがこの世界にいられるのは、おそらくあと1ヶ月。泣いても笑っても、調査期間はほとんど残されていない。
部屋で作りかけの地質図を眺めながら、あたしは決意した。
事実の上に、予測を書き足そう。
あたしがこの世界で調査した証を残していこう。
色鉛筆を手に取り、地図の上に色を載せていく。
地質の違いによって塗り分けられたソレは、虹色の地図になった。
実際に見た場所は濃い色で、あたしの予想は薄い色で。
断層の位置や方向から、地核にかかる圧力の方向を推定する。局所的な分布から、地形へ。
切り立った崖は、断層の証だ。
その方向をあわせていくと、ユマラコティ山脈の成り立ちも見えてくる。
「きっと、東の海岸に海溝があるんだね」
沈み込むプレートを予想しながら、あたしはカリカリと地図に色を足す。
あたしがこの世界で見たすべての集大成だ。
必ず完成させよう。




