世界を越えて(4)
メリィの話によれば、『小指を差し出す』って言うのはつまり告白するのと同義で、『小指を絡める』っていうのはお付き合いすること――この世界では、ほぼ婚約を意味するらしい。
あたしは、自分の行動を振り返ってみた。
そう言えば、最初にリーダーに小指を差し出したとき、すっごく驚いて動揺してた。それなのにあたしは、強引に迫ったりしたんだけど。その後も、命の危険にさらされるまで渋るリーダーを口説き落として、最終的に……
恥ずかしさに叫び出しそうになって、あたしは枕に顔を埋めた。
どどど、どうしよう。いくら文化が違うとはいえ、はしたない子だって思われた! 絶対思われた!
そして、あたしはようやくリーダーが口を酸っぱくして誰にも言うな、と繰り返した理由を理解した。ザイオンさんどころか、メリィにも、それどころかクーちゃんにだって言えない。
恥ずかしくて、とても口に出来ない。
枕に顔を埋めてしまったあたしを見て、メリィはクスクス笑った。
「りーちゃんなら大丈夫ですよ、きっと。お兄様はりーちゃんをとても大切に思っていますから」
違うの、メリィ。
告白するのが恥ずかしいんじゃなくて、知らないうちにそれさえ通り過ぎてしまった事が恥ずかしいの!
告白しようか迷って困惑していると思っているメリィに、そんな事を言えるはずがない。
わーん、どうしよう。
次に彼に会う時、いったいどんな顔をしたらいいの?
崩れた岩盤の下で指切りしたあの時、リーダーはどんな顔をしていたっけ……? 困ってなかった? 嫌そうじゃなかった? でも、断らなかったって事は、嫌われてはないよね。それだけでも十分な気もするし。でもでも……
あの時は必死だったから、彼がどんな風だったかぜんぜん思い出せない。
恥ずかしすぎて泣けてきた。
うつむいたら、左手の薬指にはめた指輪が目に入った。
これもあの時、リーダーがくれたんだ。あたしの手を取って、つけてくれて……
頭の中で教会の鐘が鳴り響いた。
「メリィ……どうしよう」
いっそ、話してしまおうか。何も知らずにあなたのお兄さんと婚約してしまってました、って。
でも、それを言ってどうなるの?
リーダーが望まぬ婚約をしたって知られたら、もしかしたら今後出会うかもしれない、彼の将来の奥さんに対して、大きく遺恨を残してしまうんじゃないだろうか。
だったら、知られずにいた方がいいのかな。
彼は、『この世界にいる間は、小指の約束を守ってやる』って言った。
――この世界にいる間は。
約束には、見えている終わりがある。だったらあたしは、ずっと知らなかった振りをするべきだ。
そう思ったら、少し落ち着いた。
「ねえ、メリィ。メリィだったらどうする? いつか必ず別れなくちゃいけない人を好きになったら、どうしたらいい?」
「……本当なら、お慕いしているという事を、伝えられたらいいのでしょうね。たとえ結ばれなくても、私のことを覚えていて欲しい、と」
でも、とメリィは続ける。
「難しいでしょうね。きっと私は、何も出来ないと思います。相手に拒絶されるのが怖くて、きっと思いを抱えたまま別れを迎えるでしょう。最後によき別れが出来るように」
まるでその経験があるかのような実感のこもった言葉に、あたしはおもわずメリィの顔を見上げた。
彼女は少しだけ悲しそうに笑っていた。
「りーちゃんには、私のように後悔して欲しくないのです」
メリィは、好きな人と別れた事があるんだろうか。
王国が倒れたとき、メリィはまだ13歳で、まだ子供と呼んでも差し支えない頃だったはずだ。そんな時に、国が滅びて放り出されたのだ。悲しい別れなんて、数え切れないほどあっただろう。
「それって、3年前に……」
「大きな領地をもつ領主の息子で、許嫁でした。幼なじみの大切な友達でもあったのです」
あたしは胸が苦しくなった。
王女の婚約者という事は、政変の折、よほどの事がなくば処刑を免れなかっただろう。おそらくは、そう言うことだ。
メリィにはユアンさんとロワンさんが、リーダーはクーちゃんと二人だったから、武力で生き延びただけ。二人が生きて、ここにいるのは奇跡なのだ。
奇跡でもなければ生き残れなかった。
「会えなくなる前に、思いは伝えておくべきでした。そうしなければ、二度とこの思いが昇華される日はこないのです。いつか私が別の人を好きになってもきっと、この心を忘れる事はないでしょう」
細い手であたしの両手を握りしめて。
「お兄様はきっと、自らの感情を言葉にしたりしません。光術が暴走しないように、感情をコントロールする術を学んでいます。誰より強く自分を律することが出来ます。りーちゃんが元の世界に帰る事を知っているとすれば、絶対に口にしたいしないでしょう」
メリィの言葉に、胸の傷が小さく痛んだ。
敵ばかりしかいなかったという、彼の辿ってきた人生を思って。
リーダーは、あたしの感情が読めるから、全く敵意がないことを信じられたという。そして、無条件で味方だという存在が信じられなかったという。
「だから、りーちゃんから歩み寄ってあげてください。王子でもない、災厄児でもない、本当のお兄様を好きになってくれる人がいるのだと、教えてあげてください」
たとえばあたしが元の世界で甘える事を知らなかったように、リーダーももしかすると、自分の事を無条件に受け入れてくれる存在を知らないのかもしれない。
お互いに、お互いを助けられたら。
だって、世界を越えて、せっかく会えたんだから。
たとえその先に別離が待っていても、何も残らない事なんてない。いつか彼が出会う誰かが、いつか彼を愛してくれる誰かが現れたとき、その存在を疑わずにすむように。
――お前が向こうの世界に戻った時、少しでも楽に暮らせるように、手助けしたい
そのとき、あたしの中でリーダーとクーちゃんの言葉たちがすとん、と腑に落ちた。
別れるとわかっていても、何かしてあげたい。たとえ世界を隔ててもいいから、今、この場所で何かを残したい。
彼が幸せになれるのなら。
「そうだね」
あたし自身、リーダーと一緒にいたいと思う感情は否定しない。彼に思い返して欲しいと思うわがままな心も否定しない。
でもそれ以上に、彼に幸せになって欲しかった。
あたしの知らない辛い過去を持つ彼が、これからは幸せに生きていけますように。
そのためなら、辛い別れにも耐えられる気がする。
「ありがとう、メリィ。あたし、少し前向きになれそうな気がするよ」
そう言うと、メリィはにっこりと笑った。
メリィにもいつか、とても大切な人が現れますように。願わくば、それがあたしの弟であって欲しいけど、まだちょっと遠そうかな。
その前にオンちゃんが強敵だしね。
あたしはクスクス笑った。
どうしたのですか、と聞くメリィに、何でもない、と答えた。
その夜はどんな顔をしてリーダーに会おうか迷っていたら、あまり眠れなかった。
しかし、寝不足で迎えた次の日、あたしは考える間もなく国営ギルドから連れ出され、夜更かしでねぼすけのリーダーとクーちゃんとは顔を合わせることもなく、メリィと一緒に教会へと向かった。
「司祭様がリーネットちゃんを呼んでるのよ」
一晩で回復したザイオンさんがあたしを迎えにきて、ついでにメリィも一緒に連れ出したのだ。
ユアンさんとロワンさんが起きたらメリィがいないことに悲鳴を上げるかもしれないけど、お迎えのザイオンさんの声が宿泊施設にわんわん響いたにも関わらず、起きてこない方が悪い。
きっと、みんな疲れてるんだろうけど。
「何のお話かなあ?」
リーダーが具象級の光術で焼き払った教会は煤けていて、悲惨な様相を呈していた。
もしかして、教会を燃やしたから弁償しろって言われるんだろうか……そしたら、あたし、元の世界に帰るのをあきらめてララさんに雇ってもらって働いて返そう。
そんな事を考えながら、あたしは教会へと足を踏み入れた。




