足跡化石(4)
男の背を見送って溜息をつくと、ルースはあたしをじろりと見下ろした。眉間に皺が寄っている。整った顔のヒトが起こってると、迫力あるなあ。
「何でお前がここにいるんだよ、リーネット。クォントはどうした?」
「あれ、クーちゃんなら、ルースさんを探しに行ったよ。もしかして、入れ違い?」
なんだそれ、とぶつぶつ言いながらも、ルースは小刀を取り出してあたしの縄を切ってくれた。
そして、躊躇なくあたしの首元に手をふれた。
温かい手の感触に、びっくりして心臓が飛び跳ねる。
「多少、雷の光素が残ってんな。ちょっとじっとしてろ」
座り込んだままのあたしの目の前で、軽く目を閉じたルースは、その掌に先ほどとは違う色の光を灯した。
その光は、みるみるあたしの中に入り込んでくる。
暖かくて、優しい光。
その光が満ちていくにつれ、体が軽くなっていった。床を引きずられて裂けた肘もきれいに治った。
「これが『光術』って呼ばれるものなの? すごいね」
「ああ、そうだ。〈エーテル空間〉に存在する魂に直接働きかけ、現実世界の肉体をフィードバックで癒す術だ」
ルースに手を引かれ、ひょいっと立ち上がった。
彼は、あたしの軽さに軽く驚いたようだ。自分の手とあたしの姿を交互にまじまじと見ていた。
小さくてごめんね! 16歳にもなって、身長は全然伸びなかったから……
「しかし、お前は光術が効くんだな。クォントのヤツは光術がいっさい効かねーから治癒光術さえかけらんねーんですよ。お前は普通に治せそうでよかった」
クーちゃん、光術が一切効かないって、治癒も出来ないんだ。
それって、もしかしてすごく大変なことじゃないのかなあ?
「ついでに、お前の光術の素養を調べていいか? お前はクォントと違ってそれなりに素養がありそうだ」
一緒に行動する以上、知っておきたいのだという。
あたしも弟とそんなに変わらないだろう。
何も考えず、いいよ、と答えた。
「じっとしてろよ」
ルースの青い瞳があたしの目をのぞき込んだ。まじりっけのない青風信子鉱のように美しい色に、あたしは吸い込まれそうになった。
何より、驚くほど整った顔が近い。
やっぱりこのヒトは王子様だなあ。弟の相棒の公務員で、〈コーモンさま〉で、好き嫌いの多い、残念な王子様だ。
綺麗な顔をぼんやりと見つめていると、ルースの表情がみるみる強ばっていった。
無表情に近くなり、あたしの瞳の奥をじっと見つめ続けている。
それどころか、もっとよく見ようとするように少しずつ近づいてきている。
どうしよう、ちょっとだけ、ドキドキしてきた。
「……ルースさん?」
あたしがおずおずと声をかけると、彼ははっとした。
その拍子にあたしの額に思いっきり頭突きをかました。
「痛っ!」
思わず額を押さえてうめく。
「わ、悪い」
同じように額を押さえたルースが謝る。
そして、先ほどと同じようにあたしの額に手を当てると、ゆるく魔法の力を流し込んだ。
痛みがみるみる引いていく。すごい。
頭二つ分くらい低いあたしの額を何度か撫でながら、ルースはぼそりと言った。
「……リーネット。お前、クォントと違った意味で規格外だ。異海から落ちてきたせいなのか?」
「えっ?」
彼の問いに、あたしは答えられなかった。
「クォントは光術の素養がまるっきりない。恐ろしくない。一切ない。癒しの光術が効かねー程度にはな。だがお前は、逆だ」
クーちゃんは光術が効かない。使えない。
あたしはその逆?
でも――もし、あの光を集めるのが光術だとしたら。
もしかすると、あたしはすでにその力を使ったことがあるかもしれない。
「まあ、無事ならいい。どうする? 国営ギルドに場所は告げてきたから、そろそろクォントも来ると思うが、合流するか?」
そう言われて、さぁっと青ざめた。
捕まって怪我して、危なかったことを知られたら確実に怒られる。
「ねえ、ルースさん。あたしが捕まってた事とか、怪我してた事とか、クーちゃんには言わないで!」
あたしの顔色で察したんだろう。ルースさんは自分の手首にはめていたブレスレットを2,3個外すとあたしの手首にはめた。
サイズが大きくて、押さえてないと落っこちてしまいそうだったけれど。
「これは、防御の光術が入っている。解除コードは〈エス〉だ。何かあったら、使え」
ルースは、先ほど、男が破壊して出ていった壁の穴を指した。
「ここは教会の裏手だ。一人で帰れるな?」
あたしがこくり、と頷くと、ルースは子供にするように頭をぽんぽん、と叩いた。
「クォントが来る前に、行け。お前が捕まってた事は黙っといてやるから」
あたしは、小さく頭を下げて、駆け出した。
あたしは一人で宿に戻り、何食わぬ顔で事件の報告を受けた。クーちゃん頑張ったね、と弟を存分に褒めてあげながら。
そして、夕食の時に、ずっと心の隅に引っかかっていたことを切り出した。
「足跡化石の保護をしたいの」
あたしの言葉に、夕食を頬張っていた弟がもぐもぐしながら顔を上げ、皿に乗ったアスパラを弟の皿に押しつけていたルースも怪訝な表情でこちらを見た。
ちなみに、あたしはとっくに食べ終わっている。
調査時間を確保するため、早食いだけは得意になったのだ。
「カセキ? って、何だ?」
ルースの言葉に、あたしは愕然とした。
「化石を知らないの?! 大昔の生き物が生きていた証だよ。今はいなくなってしまった生物の骨とか歯とか、それこそ足跡みたいな」
「大昔っていつだよ」
「あの河床なら、たぶん数万年は前だと思うけど」
「数万?! ふざけてんじゃねーですよ」
あたしの言葉にルースは目をむいた。
「ふざけてなんかないよ。こっちだと、年代測定もできないだろうけど、あの固さとか雰囲気を見たら、いつの時代くらいは分かるもん。中生代なのか新生代なのかくらいは判別できるよ」
「チューセーダイ? シンセーダイ? 何の話をしてんですか」
ルースは大きくため息をついた。
あの倉庫で助けてくれて以来、ルースはあたしに対して歯に衣着せぬ物言いをするようになっていた。
「で、あれに何の価値があるって?」
「環境を知るの」
あたしはきっぱりと言い切った。
「地表を観察して、地面の中に埋まっている化石を調べて、あの地層が堆積した当時、どんな環境だったか知るの。そして、現在まで連綿と続く生物たちの進化の歴史と環境を知るの」
「シンカ?」
その言葉に、ルースは首を傾げた。
化石を知らない。進化を知らない。それだけで、あたしはこの世界の文化程度を知った――ルースが知らないだけかもしれないが。
だったら、切り口を変えてみる。
明らかに鉄製品と思われるものが氾濫しているこの世界で、地質学が始まっていないなんて、そんな矛盾はあるはずがない。
何より、ルースの両手にはじゃらじゃらと宝飾品がつけられていて、その中には大粒のサファイヤも含めた多くの宝石があしらわれているのだ。
「調査すれば、地面を掘る前からその宝石がどこにでるか推測できるよ。地表と地形を調べて組み合わせると、地面の中のことがわかるの。どこにどんな岩石があるか、どんな好物や宝石がでるか、わかるようになるんだよ?」
「何言ってんだ、お前。それこそ、光術をつかえばいいじゃねーですか」
その瞬間、あたしははっとした。
光術。
魔法のようなその力。
もしかして、地道な調査をしなくても地面の中のことは何でもわかってしまうのだろうか。
あたしの中で、好奇心がむくむくと首をもたげてくる。
「あとで一緒に河床に行こう。あの場所でどんな情報がとれるか教えてあげる」




