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眠れる異界のウネクシア  作者: 早村友裕
第三章 白薔薇の災厄児
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勘違い(1)


 寝ようと思って寝台に上がっても、寝られるはずもなかった。壁に背中をもたれかけ、部屋に一つだけある窓を見上げた。空には、細くなった月が二つ浮かんでいた。赤みがかった紺色の空に、見慣れない月。この空は本当にあたしの知る空と同じものなのだろうか。

 考えていても、答えが出るはずもない。

 吐息のような溜息を吐いて、壁にこん、と頭を預ける。

 お別れが近づいてる。

 クーちゃんとも、オンちゃんとも……リーダーとも。

 それに、ララさんやミルッカさん、ザイオンさん。それから、友達になってくれたメリィ。

「元の世界かあ……」

 薄れそうになるその記憶は、それでもあたしの中に郷愁としてわだかまっていた。

 子供だった自分の目から見ても、儚げだった母親。いつも何かに耐えるような表情で、口元に痣を作っていた。

 父親とは、最後に顔を合わせたのがいつだったか思い出せない。あたしが中学に上がる頃にはほとんど家に帰ってこなくなっていた。でも薄情なあたしは、弟を苛める父親がいないのは、心のどこかでほっとしていた。

 それと相対するように母も外で働き始め、家にいる時間が少なくなった。

 あたしと弟は、二人だけになった。

「帰ったら、一人になっちゃうのかな?」

 時折、顔を合わせた母親は、すまなそうな顔であたしに生活費を渡して、いつも謝った。ごめんね、ごめんね、と。

 そしてあたしは大丈夫だよ、と笑うのだ。

「――『心配しないで』」

 どんなに辛くても、大丈夫。あたしは笑える。

 不安そうな弟を抱きしめて、それでも笑う。大丈夫だよって言ってあげる。

 お姉ちゃんは、大丈夫だから――

 その時、コンコン、とドアをノックする音がした。

「どうぞ」

 答えると、ドアがゆっくりと開いた。

 クーちゃんかな、と思っていたのに、扉の向こうに立っていたのはリーダーだった。



 いつだったか、光術の講義をしてくれた時のように寝台に並んで座って。

 でも、あの時より少しだけ距離が近くなっている。間に置くサイドボードがないからだ。

「どうしたの、リーダー。クーちゃんと一緒に開発の続きしてたんじゃないの?」

「いや、別に」

 そして彼は、あたしを見て何かを言いかけて、やめた。

 歯切れの悪い物言い。彼らしくないその様子には、さすがのあたしも気づく。

「何か変だよ、リーダー。何があったの?」

 問いかけると、視線を明後日の方向に向け、うろうろと彷徨わせた。

 ……嘘のつけない人なんだな。

 リーダーはたぶん、頭はいいと思うんだ。中央監査だってくらいだからいろんな事が出来るのだろう。書類仕事も得意そうだったし、光術は言うまでもなく、おそらく身体能力も高い。

 けど……前々から思っていたけど、ものすごーく正直者なんだよなあ。見た目は王子のくせに、中身は子供だし好き嫌い多いし、光術製品の開発が好きで開発関係の事を話題に出されるとすぐ釣られるし、おねだりするとすぐ落ちるし。

 以前、弟がリーダーの事を『何でも出来るけど、ちょっとバカ』と称していた気もするけれど、うん、あたしもその意見に異存はありません。

 リーダーは、じぃっと見つめるあたしの視線から逃れるように額に手を当てて俯くと、ぽつりと零した。

「クォントから聞いたんだ、元の世界で、お前たちがどうやって暮らしてたか」

 どきりとした。

 クーちゃん、リーダーに話しちゃったんだな。あたしたちの家庭がちょっとだけ普通じゃなかった事――というか、長い間一緒にいて、今まで話してなかった方が変だったのかな。

「元の世界に帰る話になると、たまにお前が悩んでる理由は何となく分かった気はする。お前、いつもその話を避けてるような気がしてたからな」

 心臓の音が大きい。

 あたし、動揺してる。光素が胸のあたりでぐるぐると渦を巻く。

 出来れば知られたくなかったな。

 優しいリーダーはきっと、同情するから。

「それでもクォントは、お前を返したがっているよ。頼むから幸せになって欲しいと心の底から願ってんだ」

「……知ってるよ」

 クーちゃんが精一杯であたしを愛してくれている事も、誰よりあたしの幸せを願ってくれている事も、それから――家の中で自分が異物なんだと思っていた事も。

 ここがクーちゃんの故郷だとは思わないけれど、弟がこの世界に残るのに異論はない。だって、元の世界ではとっても窮屈そうだった弟が、この世界では楽しそうにしているのだ。

 止められるはず、ない。

「もしかして、リーダー、慰めてくれるの?」

 くすくす笑いながら言うと、彼は額に手を当てたままため息をついた。

 きっとクーちゃんに、何とかしてよ、なんて言われて来たんだろうなあ。

「大丈夫だよ、リーダー。あたしは一人でも大丈夫」

 いろんな感情を押し込めてそう笑うと、リーダーの指が伸びてきて、あたしの頬をするりと撫でた。

 優しい指の感触。

 びっくりして目を見開くと、リーダーは苦々し気に言った。

「馬鹿か、お前は」

 えっ? 突然、馬鹿と言われた気がするけど、聞き違いかな?

 予期していなかった言葉と、呆れを通り越して怒りすらも含んでいるようなリーダーの声音に、あたしは言葉を失った。

「リーネット」

 真っ直ぐに見つめてくる青風信子鉱(ブルージルコン)の瞳に吸い込まれそうになる。

 視線から、逃げられない。

「お前は自分を殺そうとしすぎだ。全部、分かんだよ。お前の感情なんて手に取るように分かるんだ。今更、俺に対して何を隠そうっつーんだよ」

「……何の事?」

 誤魔化そうとしたけれど、駄目だろうな。

 目の前にいるのは、幼い頃から迫害されて、幽閉されて育ったはずなのに、恐ろしく真っ直ぐな気性を持つヒト。誤魔化せるような相手じゃない事は分かってる。

 何より彼は光素の動きを追えるから、感情に沿って周囲の光素を動かしてしまうあたしは、彼の前で何も隠せない。自分の体内に渦巻く光素はめちゃくちゃだ。耳元で轟々と音を立てるのが血流なのか光素の流れなのかが分からないほどに。

「クォントの気持ちが痛いほど分かるな……お前、本当にそれで隠してるつもりなのか? クォントがそんな強がりを見抜けねーような薄情な弟だと思ってるのか?」

 思って、ないよ。

 でも、あたしは姉だから弟であるクーちゃんには絶対にそれを見せるわけにはいかないのだ。

 あたし、今、どんな顔してる? ちゃんと今も、笑ってるの?

 顔が引きつってる気がする。

「大丈夫なんかじゃねーだろ。ふざけんじゃねーですよ」

「……リーダー、何で怒ってるの?」

 でも、それ以上に彼がこうして怒りをあらわにしている理由が、全く分からなかった。

 あたし何かが悲しんでようと辛かろうと、放っておけばいいのに。どうせもうすぐ、お別れして、別々の世界に行って、もう二度と会わずに……

 再び唇を噛みしめ、笑う。

「あたしは大丈夫だから――『心配しないで』」

 母親に何度も何度も告げてきた言葉。庇護をすべて拒絶する言葉。

 きっとリーダーもこれで引いてくれると思っていた。

 それなのに。

 リーダーは大きくため息をついた。

「クォントの言う通りだな……そんだけ動揺して、感情で光素をかき混ぜといて、言うに事欠いて『大丈夫』だと? お前、本当に馬鹿なのか?」

 青い瞳が近い。奥底まで覗き込まれそうなくらいの距離で、それでもあたしは挑むように見つめ返す。

「心配しねーとでも思ってんですか。お前はいったい、クォントの事も、俺の事も、何だと思ってやがんですか。お前も他の人間と同じように、血も涙もねー災厄児だとでも思ってんですか」

「そんな事……」

 ない、と言う前に、リーダーの顔を見上げ、はっとした。

 何でこの人は、あたしよりずっとつらそうな顔をしてるんだろう?

「お前は確かに、元の世界へ帰るかもしれない。だが――この世界へ来たことは事実なんだ。何一つ変わらずに戻ったって仕方ないだろう。少しくらい、お前はこの世界に来た証を自分の中に刻んでもいいはずだ」

 徐々に近づいてくる青風信子鉱(ブルージルコン)の瞳から目を離せない。

「お前、甘えるのが下手くそすぎんだよ。嫌な事は嫌だと言え、辛かったら辛いから慰めろと言え、もっと心配かけろ」

 危ないからダメだ、一人で出歩くな、と何度も繰り返した時と同じ調子で、リーダーは言った。

「言ってるよ? あたし、結構ワガママだよ?」

「そうじゃねーんですよ」

 ああ、うまく言えねーな、とがりがり頭をかく。

 その仕草、美形なリーダーには似合わないよ。

「少しくらい、人に甘える事を覚えてから帰れっつってんだ」

 その言葉で、あたしはぎゅぅっと胸を捕まれた。

 この世界に来てから、あたしを甘やかして、甘やかして、ずぅっと一緒にいてくれるクーちゃん。お頭が、そうまでして元の世界へ戻るあたしに残したかったものが分かった気がしたからだ。

 もっとオレを頼ってよ――クーちゃんは何度もそう、繰り返した。

 表情を強張らせたあたしを見て、リーダーはため息をついた。

「せっかく世界を越えて会えたんだから、少しはお前を助けてーんですよ」


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