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眠れる異界のウネクシア  作者: 早村友裕
第二章 異海の玩具
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[閑話]戸部 久遠

 ボクは〈戸部トベ 久遠クオン〉。

 ついこの間まで、ボクは普通の中学2年生だった――少なくともボクはそう思っていた。

 もしかするとボクに対して冷たい態度を取り、時に手が出る父親は普通じゃなかったかもしれないし、その父親に服従する母親も普通じゃなかったかもしれない。

 理由は分かっている。

 ボクは父さんと似ていない。

 それが何を意味するのか、小学生くらいの時には気づいていたし、諦めてもいた。ボクの居場所は、この家にはないんだろうな、って。

 でも、ボクは優しい姉さんがいる限り、問題ないと思っていた。

 もう少し大きくなったら姉さんを連れて家を出よう。呑気にそう考えていた。

 なんなら、母親も違えばいいのに、そうしたら結婚できるのに、なんて思っていた。


 その前提条件が崩れたのは、夏休み初日の午後だった。

 共働きの両親が働きに出るのを確認してから、階下に降りて昼食を勝手にとり、リビングのソファでごろごろしながら携帯端末をイジっていたときのことだった。


 ふっと見ると、目の前に見知らぬ男が立っていた。


 背筋がぞっと冷えた。

 ここは家の中だし、エアコンの為に窓も全部閉めてあるし、玄関の鍵だってかかっているはず。

 それなのにその男は、不意にボクの目の前に佇んだのだ。

「迎えに来たよ、イルタ!」

 そして謎の言葉を叫んだ。

 人知を越えた何かじゃないかと直感が告げた――もちろんボクはそんなもの信じていたわけじゃないし、オカルト板にも興味はないけど、それでも。

 レトロなセピア色のケープと、丈夫な革靴。とても現代社会に生きてる人間の格好じゃない。年は30代だと思うけど、まるでスチームパンクな映画の中から飛び出してきたかのようだに見えた。

 手触りのよさそうな白髪に、すっきりとした切れ長の目、すらりと背の高いその男は、ボクの姿を見て首を傾げた。

「イルタは何処に行ったんだ?」

「は?」

「お前は誰なんだ、あれから何年たっているんだ?」

 なんか、ヤバそうだ。

 ちょうど携帯端末で開いていたSNSに実況しながら、ボクはそいつから距離をとった。

 拭えない違和感がボクの心臓を苛んでいた。突然現れた驚き以上に、この男の姿を見た自分が動揺している。

 もしかしてボクは、この男を知っている……?

 男は、土の付いた革靴のままリビングを横断し、カレンダーを見た。

「14年……ずいぶんと時間が経ってしまったんだな。必ず迎えに来ると言ったのに、イルタを待たせてしまった」

「イルタ? ってヒトは、ここにいないよ。人違いじゃない?」

 ボクはソファを盾にしながらずりずりと移動する。部屋の入り口はあの男の向こう側だ。よりによって、遠すぎるだろう。

 ボク自身、頭を使うのは得意でも戦闘力は皆無だ。得体の知れないこの男が何らかの物理的アクションを起こした場合、なにも出来ない可能性が高い。

 自分のピンチをSNSに流し続けた。送信先は以前、いろいろとお世話になったコミュニティだ。何かあれば、おそらく通報くらいはしてもらえるだろう。

 案の定、コミュニティで一番仲がよかった『コトリ』からは既に返信がいくつか来ていた。


――それって強盗? 武器は持ってる? 逃げられる?


 男から目を離さず、コトリに返信する。


――武器は持ってないように見える。今、出口に向かってるところ。


 男は、カレンダーから視線を外してボクの方をじっと見た。

「お前はあの時のイルタの子なのか?」

「違う、と思う。イルタって誰のこと?」

「歌姫だよ」

 男が何を言っているのか、全く理解できない。電波だ。変質者だ。

 とにかく逃げなくては――


 そう思った時、玄関の開く音がした。

「ただいまー!」

 姉が帰ってきた。最悪のタイミングだ。

 男はふっと声の方向を見た。

「……イルタの声だ」

 姉さんの声が、この男の探している相手なのか?!

 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 だめだ、こいつに姉さんを渡しちゃだめだ。

 ボクは無茶を承知で男の側を突っ切ろうとした――が、男に手を捕まれた。反動で、握っていた携帯端末が床を滑るように転がっていく。

 切れ長の目の奥の真っ赤な瞳がボクを見下ろしていた。

「やはりお前があの時の子供か。俺以外の男との子供など、今度こそ……殺してやる」

 男の爪がボクの手首にぎりりと食い込んだ。

 こいつ、本気で、いったい何を言ってるんだ。殺してやるとか、意味が分からない。しかもそれが本気だってボクにさえ分かるのが始末に負えない。


 男はケープの内側から何かを取り出した。

 手のひらサイズの黒い機械のようなソレは、取り出された瞬間に光を発した。見たこともないような光の本流が部屋の中に溢れ出す。まるで部屋全体にスクリーンが降りたかのように、周囲の景色が一変し、発光する光の粒がリビング中に広がって、光の渦を作り出した。

「クーちゃん、いるの?」

 姉さんの声が近づいている。

「りー姉、来ちゃだめだ!」

「クーちゃん、どうしたの? 何があったの?」

 がちゃり、とリビングの扉が開いて、ボクの叫びも空しく、りー姉が光の中に飛び込んできてしまった。

 男が光の渦の向こうに霞むりー姉に向かって手を差し伸べた。

「さあ帰ろう、イルタ。遅くなってすまなかったね」

 ぼそぼそとした男の呟きは、ボクにしか聞こえなかっただろうけど。

「クーちゃん!」

 ボクは姉さんに向かって、姉さんはボクに向かって、一生懸命に手を伸ばした。

 でも、その手が触れることはなく、ボクは頭に重い一撃を食らって、意識が途切れてしまったのだった。きっと、男に殴られたんだと思う。



 それでもボクは叫んだ。

 ずっと、姉さんの名を呼んでいた。

 光の渦に向かって、暗闇に向かって、何度も何度も呼んだ。

 悪夢に苛まれながらも、漆黒の闇に向かって戦いを挑むように叫んでいた。



 だから、姉さんの声が聞こえたとき、泣きそうになってしまった。

 全身が温かいのは、りー姉が抱きしめてくれているからだってすぐに分かった。小さいころから、ボクが泣いていると、いつもそうやって慰めてくれるのはりー姉だったから。

「……りー姉」

「ああ、よかった。クーちゃんずっと泣いてたよ。寂しかったんでしょう? 一人にしてごめんね。もう大丈夫だよ」

 見上げたりー姉は、そう言いながら優しいボクの頭を撫でていた。

 ああ、よかった。姉さんは泣いてない。

 人に弱みを見せようとしない姉は、人前でほとんど泣かないんだ。特に、ボクの事は『守らなくちゃいけない弟』だと思ってるらしくて、絶対にボクには涙を見せてくれない。ボクにはそれがとても不満だった。

「……泣いてないよ、りー姉。いつまでもボクの事を子供だって思ってるんだろ」



 目覚めたボクは、自分が『魂』と『体』に分離してしまったこと、『体』の方は先に5年分も年を取ってしまったこと、ボクが人間ではなく犬の形をしていることを知った。

 どういうことだよ。

 神様がいるのなら恨み言の一つでも言ってやりたかった。

 しかも、先にこの世界へやってきていたボクの体は大きく成長してしまっていて、なんだかとても頼れる感じになっていて、ボクの劣等感を刺激した。

 〈タイムマシン〉に乗って未来へ行った少年が未来の自分を見たときって、こんな風に思うんだろうか。もはや、自分というより突然、兄でも出来たみたいだった。

 こんな風に成長したら、りー姉だって頼っちゃうよなあ。ボクみたいに犬の姿で、2つも年下の弟じゃ、また可愛がられて守られて。涙なんて絶対に見せてくれないだろう。

 その上、5年後のボクだという男の姿をよく見て、違和感を覚えた。違和感と言うよりは、既視感だろうか。

 その正体に気づいたとき、ボクは声を失った。

「……気づいた?」

 ぽつり、とソイツは言う。

 『クォント・ベイ』なんていう、元の名前と似てるような似てないような変な名前を名乗るソイツは、確かに鏡の中で見慣れているボクを大人にしたような顔だ。

 でも、それ以上にその容姿には見覚えがあった。

 黒髪から白髪になったせいなのか、年を取ったせいなのか。ほんの少し変化しただけで、人の印象ってこんなに変わるんだろうか。

「後で話そう。りー姉には知られたくないんだ」

 ソイツの言葉で、ボクは口をつぐんだ。

 りー姉のため。

 きっとそれだけが、今のボクと5年後のボクをつなぐたった一本の鎖だろうから。


 光術とやらを行使して疲れ果てていたりー姉を寝かしつけた後、ソイツはボクを連れて外に出た。

 ブリキでできた変な建物の屋上。丸いドームのようなその場所に、ソイツは助走もつけずに軽く飛び上がった。ほとんど足音も立てず、忍者のように着地する。

 なんて身体能力だ。これは本当にボクの体なのか?

「たぶんここなら誰も来ないよ」

 見上げると、赤みがかっていた空は、濃い赤を混ぜた紺色の夜空に変わっていた。

 そこには、大きさの違う月が2つ、浮いている。そのうち一つは糸のような細目の月で、まるであの時現れた男の笑った目のようだった。

 屋根の上から見下ろした町は小さく瞬く光をチカチカと光らせていた。都会の夜景を見慣れたボクには満足できる光の量ではないけれど、小さな宝石をちりばめたみたいで綺麗だった。

「さて、何から話そうか」

 屋根に腰を下ろし、抱いていたボクを下ろしながら、困ったようにソイツは笑う。

 困ってんのはこっちだよ。

「……最初に聞きたい。あの、ボクらをこの世界に連れてきたあの男の事だ。あれは、何者だ?」

 ずばり問うと、ソイツは切れ長の目を細めて遠くを見た。

 自分の顔のはずなのに、その横顔に写る感情は理解できなかった。

「わかってるんでしょ。アイツはオレたちの父親だよ。たぶん、本当の、ね」

 ボクはソレを聞いて黙り込んだ。

 大人になったボクは、顔の造形が、体の作りが、あの男によく似た形になっていた。表情をあまり映さない目も、すらりと延びてしまった身長も。コイツにとって5年前だけど、ボクにとってはついさっきの話なのだ。あまりにも覚えすぎている。

 それより何より、あの男と最初に会った時の違和感がぬぐえなかったせいもある。

「あいつが何て言ったか、オレよりお前の方が覚えてるんじゃない? あいつ、14年前にもあっちの世界に来てる、って言ったよ」

 ボクもそれは聞いた。

 あの時の子供。迎えに来る。遅くなった。

 そして、イルタの子供って言葉。

「これはオレの推測だけど、姉さんは向こうの世界の父さんの子だけど、オレたちは違うんじゃないかな」

「そんな事、あるのかよ……」

 たとえば、16年前に姉が生まれて。

 その2年後に、父さんじゃない男との間に子供が出来たら。そこに母の同意があったのか、無理矢理だったのか、それは分からないけど。

 いずれにせよ父さんは、どう思うだろう。どう思っただろう。

「だって、そうでないと、父さんが狂った理由が分かんないもん」

 自分が生まれてからずっと疎まれていた事実が、父親から受けてきた仕打ちの理由が分かる気がした。

「何となく、分かってた気はするんだ。オレは、あの世界に弾かれたんだよ。そもそもあの世界に、オレの居場所なんてなかったんだ」

 どことなく寂しそうに、ソイツは笑った。

「まあ、元々ちょっと素養はあったと思うよ? 元の世界で、ちょっと違和感あったでしょ。少し他の人間とズレてるような、変な感じ」

 コイツはボクで、ボクはコイツだ。

 隠し立てする意味はない。

 ボクはこくりと頷いた。


 ボクの姉は、あの容姿であのスタイルだから、かなりいろんな需要を呼んだ。小さな時から誘拐の類にはよく遭遇したし、知らない人に声をかけられる事なんてしょっちゅうだ。

 そして、りー姉本人が、ぜんぜん気にしてないのが問題だった。

 ちゃんと、対策をとっていなかったのが徒になった。

 幼くて巨乳の女の子が好きな変態は星の数ほどいる事に気づいてたのに。

 全身に汚いものと血をたくさんつけて、服もボロボロになって、顔も腫れ上がったりー姉が帰ってきた時、中学生のボクにさえ、何が起きたかすぐにわかった。

 りー姉は何も言わなかったし、見つけたボクにも何も言うなって言った。全身についた血と汚いものを全部、洗い流した後、ボクをぎゅーっと抱きしめてそう言った。

 姉さんの体は震えていた。

 全身の血が沸騰した。

 その相手を見つけ出し、最終的に社会的に抹殺にしてやったのだが、それはりー姉に内緒だ。何をしたかも言えない。りー姉が悲しむからだ。

 その縁で、あるコミュニティに入ってコトリと出会ったり、いろいろあったんだけど、それはまた別の話。

 その時、ボクは何となく自分の感性が人と少し違う事を感じていた。嗜虐趣味があるわけじゃないけど、りー姉を傷つけたヤツを痛めつける事に全く何の感慨も沸かなかった。当たり前だと思っていた。

 ボクがまだ中学生だという事を知ったコトリが初めてチャットで停止した瞬間は、今でも覚えている。

 そしてアイツはこういった――お前、ちょっとおかしいよ。容赦なさすぎる。どういう育ち方したんだ?


「こっちだと、まあ割と普通だよ、お前の感覚。普通でもないかな? まあでも、多少は生きやすいと思う」

「お前は余裕だな」

「まあ、5年もあればね」

 ボクは白髪になった自分の姿を見上げた。赤茶けた瞳がボクを見下ろしていた。

 5年間なんて、ボクには想像もできない。コイツがいったい何を思っているのか、何があったのか、ボクに知る術はないのだ。

「……もっといろいろ教えろよ。ボクだって、りー姉の為に強くなりたいんだ」

「うん、分かってる。お前にはオレが学んできたすべてをあげるよ。何しろ、お前はオレなんだから」

 そう言って、ソイツは笑った。

「まずはさ、名前を分けよう。オレは『クー』をもらうから、お前に『オン』をやるよ」

「何で半分しか返さないんだよ。普通に考えたらボクが『クオン』だろ。お前は『クォント』なんだから」

「ああ、それ? ここに最初に着た時にさあ、ガイジンさんだと思って『クオン トベ』って名乗ったんだよ。ちょっと外人ぽい発音で。そしたら、『クォント・ベイ』と聞き違われちゃって」

「は?」

「この世界では本当の名前を人に教えちゃいけないらしかったから、結果的にはよかったんだけどさぁ」

 からからと楽しそうに笑う自分の頬に、張り手を入れてやった。

 でも、肉球がぷにっとなっただけだったけど。爪立ててやればよかった。


 表情をあまり外に出さないクォント。

 でも、その中身がボクと同一だとしたら、その中に眠っているのは姉に対する過剰な愛情だ。


 ボクとそいつは同志だった。

 りー姉の心を守るという意味で。


 大丈夫。

 りー姉だけは、元の世界に返してあげる。ボクとクォントが知る事は何も知らせないまま、返してあげる。

 きっとボクさえいなければ、父さんも母さんももっと普通に戻るはずなんだ。

 だから姉さん。

 元の世界で、ボクたちの事を忘れて幸せになってください。

 お願いだから――


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