小指の約束(2)
あっという間に視界が暗転した。
気絶したわけでなく、大量の岩に覆われてしまったせいだ。
耳を裂くような破壊音と上から降ってくる岩のぶつかり合う音が響き渡った後、静寂が訪れた。
呼吸は出来ている。体も、どこも怪我していない。リーダーの手を離れ、狭い空間に座り込むようにしてあたしは息を整えた。
「無事か……リーネットっ……」
少し上からリーダーの声が降ってくる。背後の壁に手をついてあたしを閉じ込めるようにして頭上に防御を展開している。
暗くて見えないけれど。耳元に彼の息遣いを感じた。でも、その呼吸は酷く荒い。絶対、あたしの代わりに怪我をしたに決まっている。
「平気。あたしはどこも痛くないよ。リーダーは?」
「俺も、平気だ」
周囲の岩がこすれ合う、不穏な音がする。ぎしぎしと上から押しつぶしてくる圧力を感じる。
それを辛うじて留めているのは、リーダーの防御光術だ。それも、岩石の重さに耐えきれず悲鳴を上げ、今にも崩れてしまいそうだ。
「閉じ込められたな……破壊、すんぞ」
ぽた、とあたしの頬に生暖かいものが落ちた。
さぁっと血の気が引いた。
「待って、リーダー。怪我、治すから」
返事はなかったが、あたしは勝手に歌いだした。
怪我のひどさは分からないけど、リーダーはいつも自分の怪我に無頓着だから、放っておくわけにいかない。
「〈長く詩歌は冷えきって 久しく暗闇の中にあった 寒さから詩歌を取り出だそうか 霜から歌を用いだそうか〉」
それなのに、〈紡〉の光素がうまく集まらない。もしかして、光化種が〈断〉の光素ばかりを集めている所為で周囲に〈紡〉の光素が少ないのだろうか。
「〈さて 見事詩歌を歌ってみよう 美しくも響かせてみよう〉!」
それでも歌い切った時には、頭がクラクラした。まだ、本調子じゃないみたい。
ささやかな癒しの光がリーダーを包み込んで、完治とは言わないまでも少し呼吸の音が楽になったのが分かった。
「助かる」
短く言ったリーダーは、小さく防御光術の言霊を唱えた。またミシミシ、と押しつぶしてくる音が大きくなっている。
でもおかしい。
いつものリーダーなら、とうに岩盤を光術で吹き飛ばしているはずだ。
それが出来ないってことは……
「リーダー、もしかして……主記憶不足……?」
今、岩盤を支えるために大量の防御光術を展開している。それも、これまでのようにいったん解除する事は出来ない。防御を解いた瞬間、押しつぶされてしまうからだ。
そのせいでおそらく、岩盤を吹き飛ばすような大きな攻撃光術が使えない。
つまりは、主記憶不足。
ザイオンさんがどうなったかわからないし、彼女の助けを待つわけにもいかない。この崩れた岩盤の向こうに光化種がいるのだ。
「大丈夫だ。お前だけは、必ず助けてやる」
静かな彼の決意の声が、事態の切迫性を示している。いつも余裕のある彼の声に、焦りを感じた。
このままでは二人とも押しつぶされてしまうんだ。
あたしは決意した。
「リーダー、約束しよう」
「約束? こんな時に何言ってやがんですか」
「小指の、約束」
おそらくリーダーの体がある辺りに小指を押し付けながら。
「あたしの名前を教えてあげる。あたしの主記憶を使って」
「何言ってんだ。ふざけんじゃねーですよ。」
「でもこのままじゃ死んじゃう。リーダーも怪我してるのに、クーちゃんも光化種に乗っ取られちゃってるのに。ザイオンさんも一人で……」
「うるせぇっ」
リーダーの一喝。
でも、あたしは引かなかった。
「リーダーはいつもあたしの事、守ってくれてる。それはすごく嬉しいんだ。大事にされてるし、本当にあたしを心配してくれてるのも知ってる。でも……それはあたしだって同じだもん!」
岩盤は、今にも崩れそう。
きっとこんな言い合いをしている暇なんて、本当はどこにもない。
「あたしだってリーダーを助けたいの。クーちゃんみたいに戦うのは無理でも、少しでもリーダーの役に立ちたいの。だってリーダー、何も知らない世界に来てからあたしの事ずっと助けてくれたじゃん。〈カメラ〉も〈岩石レーザー〉も、何の報酬もなくくれてさ。あたしの我儘に付き合って調査の間、待ってくれてるしさ」
それでも止まらなかった。
ずっと抱えてきた思いが溢れ出してしまった。
「たまには、あたしにも手伝わせてよ……! あたしには何にも出来ないけど、それでももし何か力があるんならさ、使わせてよ!」
ずっと嫌だった。
リーダーやクーちゃんがスマートに事件を解決したり、誰かの役に立ったり、あたしを助けてくれたりするたびに、自分だけが無力である事を感じるのが。
「お願い、リーダー。あたし……まだリーダーたちと一緒にいたいの」
貴方が一人で怪我をするのを見ているのも、辛そうな顔をしているのを見るのも、嫌なんです。
お願いです。あたしに、この人を助けるだけの力をください。
「……もう、十分だ」
ぽつり、とリーダーは呟いた。
「十分なんだ。お前は、いつも俺の事を受け入れてくれた。お前は、光素の動きで感情がダダ漏れだったからな。俺に対して全く敵意を持っていない事は分かっていた。それが、敵しかいない世界で育ってきた俺にとっては、酷く新鮮だったんだ」
淡々と告げたリーダー。光術を行使しすぎている為にその鼓動は早く、息も荒かった。
「お前とクォントの為に命を懸ける理由なんて、それで十分なんだ」
災厄児と呼ばれて、最強の傀儡師として王国の敵を焼き払ってきたというリーダー。
あたしはそんな過去を全く知らないから、今、この暗闇でリーダーがどんな顔をしているかわからない。どんな感情でいるのかもわからない。
クーちゃんなら、分かるのかな。
ただ分かるのは、いつもあたしに辛辣なセリフを吐くリーダーが素直になるくらい、今の状況が切羽詰まってるって事だけだ。
「あたしたちの世界ではね、小指を絡めて歌を歌うと、それはとっても大事な約束になるの。『無事に帰ってくる』『無理しない』『いつかまた会いましょう』……大切な大切な言葉を、大切な人と共有する行為なんだよ」
クーちゃんがこの世界では小指に約束とは違う意味があるって言ってた。でも、リーダーの言葉からすると、そう大きく外れた行為ではないはずだ。
「あたしだけは何があってもリーダーの味方でいるから。そう、約束しよう」
とん、と胸の中央に小指を置いて。
彼の呼吸と鼓動を感じる。
真っ暗な中で、表情も分からなくて、どれだけ怪我をしているのかもわからなくて。
あたしにできる事なんて、ほとんどない。
それでも、何かしたかった。
「……約束、か」
リーダーはぽつりと呟いた。何かを思い出しているのか、何かを忘れたがっているのか。
その声音だけではわからない。
でも、リーダーはあたしの耳元で静かに呟いた。
「わかった。リーネット、力を貸してくれ」
くすぐったくて、あたしは笑う。
「お前がいるなら、俺は絶対に負けないから」
リーダーは長い指でするりとあたしの小指をからめとると、静かに問う。
「お前の本当の名前を教えてくれ」
「……あたしの名前は、〈莉音〉だよ。〈戸部 莉音〉」
「トベ・リオン」
リーダーが復唱するようにしてその名を呼ぶと、胸の中にとても暖かく優しい『何か』が生まれたような気がした。
その優しい『何か』は、絡めた小指を伝ってリーダーに渡されていった。
そして代わりに、リーダーは彼の本当の名を差し出した。
流れるように告げられたその名を、あたしは復唱する。
「アヴァルース・コトカ・エルル・ユハンヌス=ルース」




