傀儡師(2)
再び覚醒したのは、周囲の光素の動きが慌ただしくなったからだ。
でも、瞼が重い。全く目を開けられる気がしない。レンミッキさんに飲まされた薬のせいだ。
しかし、微かな声は聞こえてきた。聴覚は奪われていないみたい。
「これが歌姫様? まるで幼子のようですわね」
「ええ。ですが、その力は本物です。時代の終わりと始まりを見届ける為に神から使わされる使徒に違いありません。グーリュネンでは紡ぎ歌により、周囲10キロ以上にわたる範囲に祝福を与えたと言います」
「レンミッキ。それは真なのですか?」
驚きをあらわにする少女の声と、落ち着いたレンミッキさんの声。
「本当ですよ。先ほども、光化種が現れた際、怪我人を数十人単位で癒したと言います。また、ルース様のお怪我をたった一度の祝福で治されたのも歌姫様ですよ。ユアン様がおっしゃっていたでしょう?」
むむむ、と少女の考え込む声がした。
「私も歌姫様と直にお話しさせていただきましたが、歌姫様は大変にお優しいお方です。メリィ王女にも必ずや祝福をお与えくださるでしょう。さあ、メリィ王女。歌姫様に祈りを」
レンミッキさんの言葉で、不意に周囲の光素の流れが変わった。
首筋に冷たい手が当てられ、青く冷たい、水の光素が流れ込んできた。リーダーがいつもやってくれるような優しい祝福じゃない。体の芯から冷えるようだ。
ずぶずぶと体が地面に沈み込んでいきそうな感覚におそわれる。
その祝福を見て、部屋の中にどよめきが籠もった。王女の行動を賞賛するようなざわめきが遠くに聞こえる。
どうやら、二人の他にも結構な人数がこの場所にいるらしい。
冷たい手がすぅっと離れていった時、すでにあたしの体は冷えきっていた。雷の光素を流し込まれた時と同じだ。体の中の光素のバランスが完全に崩れてしまっている。
薬で弱った実体以上に、魂が弱っていく。
「こうして何度もメリィ王女の祝福を受ければ、きっと歌姫様も目をお覚ましになり、祈りを捧げたメリィ様を讃えてくださる事でしょう」
冗談じゃない。
こんな事を何度もされたら、狂ってしまう。冷たい水の光素に染まって、もう二度と目覚めなくなってしまう。
このまま光素を流し込まれ続けたら、あたしの意識が壊れてしまう。そんな確信があった。
あたしはこのままここで狂ってしまうのだろうか。
でも、薬に蝕まれたあたしの体はぴくりとも動かず、声も出ず、ただベッドに転がっている事しか出来なかった。
「……本当にそうでありましょうか」
ぽつりと少女が呟いた言葉は、あたしにしか聞こえなかったのだろうか。
絞り出すようにこぼされた本音に、誰も気づいていないのだろうか。
それとも、メリィ王女が気づかせないようにしているのだろうか。
「ところで、光化種はどうなったのでしょうか? まだ討伐されたという連絡は受け取っておりませぬし、ユアンとロワンも帰って来ておりません」
「大丈夫ですよ、メリィ王女。彼らの強さをご存じでしょう? 必ずや、光化種を討伐し、再び王国の騎士の名を知らしめていらっしゃる事でしょう。そうすれば、ますますメリィ王女は王位に近づくことが出来ます」
力強く断言するレンミッキさん。
そうですよ、そうですとも、というはやし立てる声が部屋の方々から響いてきた。
もしかして、リーダーたちが討伐に向かったのって、あんまりよくなかったんだろうか。すでに滅びた王国の将軍たちが集まって、町の危機に立ち向かうなんて、共和国が設立して間もないこの時期にはあまり歓迎されない事態なんじゃないだろうか。
もしこれでまた、共和国に追われるようになってしまったら――
ぐるぐるとした思考がさらに光素の巡りを悪くする。
屋敷に連れ込まれた時より、さらに意識は混濁している。
祈りと称して流し込まれた水の光素のせいで体調は最悪だ。全身は痺れるように重いのに、体の中の光素がぐるぐると巡り、眠れない。
王女の悲痛な叫びを聞いたせいで、心が落ち着かない。
どうしてあたしには、何もできないのだろう。
歌姫なんて名前をもらっても、悲痛な叫びをあげる彼女に手を差し伸べる事だって出来ない。
せっかく少し、誰かの役に立てると思ったのにな。怪我した人たちを癒して、少しだけ自信がつきそうだったのに。もしかしたら、リーダーやクーちゃんと一緒にいても大丈夫なくらいに成長できたんじゃないかって。
でもやっぱり、相変わらずあたしはあたしのままで、すぐに捕まるし、閉じこめられるし、挙げ句に光素を乱されてこのザマだ。
と、人気のなかった部屋で、不意に人の気配を感じた。
重い瞼は開きそうにないけれど、静かな水の光素には覚えがある。
たぶん、メリィ王女だ。
光素の気配で人を判別できたことにあたしは心の中で軽く驚く。本当にあたし、この世界に馴染んできている。恐ろしい速度で感覚が鋭敏になっていく。
まさか、再び光素を流し込まれてしまうのだろうか。そんなことされたら、あたしは本当に狂ってしまう。
恐怖を覚えるあたしの耳に王女の声が届く。
「歌姫様。私の声は届いておりますか」
祈るような、小さな声。悲痛な声音。
届いてるよ。
あたしは心の中で返事をする。
震えるような声で、彼女は呟いた。
「歌姫様は光術を行使しすぎたため、自ら眠りについておられるなんて、レンミッキの嘘なのでしょう? 歌姫様が私に興味を持たれてこの場にいらしたのもきっと、嘘なのでしょう? きっとキーリンダ家の皆が歌姫様をルースお兄様のもとから奪い取ってきたのでありましょう。本当にごめんなさい」
ああ、この子は賢い子だ。
何が起きていて、自分に何が求められているのかをきちんと理解している。
ユアンさんとロワンさんは、王女が自ら王位に立つことを求めたような話しぶりだったけれど、きっと違う。彼女は、周囲の期待に答えるためにそう言わざるを得なかったのだ。
「ごめんなさい、歌姫様。苦しいでしょう? ごめんなさい……」
あの二人の騎士は、忠誠を誓ったというあの双駒は、このことに気づいているのだろうか……?
きっとユアンさんとロワンさんならわかってくれるはずだ。王女がこんな思いをしてまで、この場所に留まる理由はないって。
まるで、あたしと同じだ。
周りの求める像を結んで、自分の心を押し込めて。怖いのも辛いのも全部、自分の中に抱え込んで。明るい女の子を演じている。周囲が望んでいる姿をはっきりと感じ取ってしまうが故の悲劇だ。
助けてあげたい。
どうにかして彼女をこの場所から救ってあげたい。
お願いです――誰か、彼女を助けてあげて。
大丈夫、祈りは届くよ。
だって彼らはヒーローだから。弱きを助け、悪を挫く、昔からずっと語り継がれてきた物語の中の英雄なんだから――
遠くから近づいてくる気配。
聞き慣れた怒鳴り声。
熱い、炎の光素をその身に纏って、彼はやってくる。
「リーネット!」
バタン、と部屋の扉が開いた。
その光景はあたしには見えないが、きっと王女は見ただろう。白いケープを翻して飛び込んできた王子の姿を。
「……ルースお兄様」
「メリィ?! お前はオウルにいた筈じゃねーんですか?」
「歌姫様の元へ呼ばれたのです。その祝福を受けるようにと言われて……」
リーダーの気配がずんずん近づいてくる。
「……何をした?」
低い、冷たい声。リーダーの声の温度が極限まで低下している。
それが、ぴくりとも動かないあたしに向けられたものだとすぐに分かった。
確かに全く体は動かないけれど、大丈夫、聞こえてるよ。手足も、顔も麻痺して表情も作れないけど、まだ生きてるよ。
お願い、この王女様を責めないで。助けてあげて。
彼女は今、とても心を痛めているんだから。
「祝福を得るために、私の光素を流したのです。水の光素を出来る限り歌姫様に込めました。そうすることが、祝福に繋がるとレンミッキが」
「馬鹿か。動けない人間にそんな事を……廃人にする気か!」
吐き捨てるように言ったリーダーは、すぐあたしの首筋に手を当てた。
ほとんど感覚がないのに、リーダーが触れたところだけは感じられた。彼の手は、いつも熱いのだ。きっと、炎の光素のせいで。
「光素だけじゃねーな……薬か?」
リーダー、正解。
あたしにもよくわかんない薬のせいで、体が動かないし感覚がほとんどないのだ。リーダーが触れているところを除いて。
「この匂いだと、リスクータの実から精製した麻痺毒だな。確か、解毒剤が残ってたと思うが……」
リーダーの手が後頭部に当てられ、抱き起すように体が傾いだ。
そして、弛緩した唇に割り入るようにして何かが流し込まれた。
リーダーが触れているところは熱いのに、喉の奥を通って行った液体はひんやりと冷たくて、麻痺した喉を潤していった。




