風雷の双駒(3)
場は静まり返っていた。
ユアンさんとロワンさんは動けず、クーちゃんを横目で睨みつけている。
ぽたり、ぽたり。
指先に溜まった血が地面に落ちる音がする。
「リーダー、怪我が……」
ざっくりとえぐられてしまった左腕。あたしをロワンさんの攻撃から庇ったせいだ。
あたしは、静かに息を吸い込んだ。
「〈長く詩歌は冷えきって 久しく暗闇の中にあった 寒さから詩歌を取り出だそうか 霜から歌を用いだそうか〉」
ゆっくりとゆっくりと、歌を紡ぐ。静かな路地裏にあたしの声が響く。この世界では、歌が光素に反射してよく外なのに綺麗な反響が起こる。
先ほどまで路地を満たしていた攻撃的な光素はなくなり、温かな紡の光素が集積してくる。あたしの声に反応して、あたしの感情に反応して。
「〈玉の端を解き放とうか 糸玉の結び目をほどこうか〉」
歌に反応して動くのは、あたしの中にある知らない光術だ。グーリュネンのお祭りで豊穣の歌を捧げた時と同じ。あたしの魂に記憶されていたプロセスが勝手に動き出す。
漂うように、流れるように何処からともなく集まってきた光素は、あたしの意志に反応してリーダーの怪我を癒していった。
「〈さて 見事詩歌を歌ってみよう 美しくも響かせてみよう〉!」
最後の音が消える頃、路地を満たしていた肌に刺さる攻撃的な気配の一切が消え去っていた。
ふと見上げると、リーダーが優しく微笑んでいた。
レンミッキさんやユアンさんに見せていた、キラキラの笑顔だ。
「ありがとう、リーネット」
聞いたこともないくらいの優しい声音で、そっと囁く。
その瞬間、あたしの心臓はどきんと跳ね上がる。
卑怯だよ! 急にそんな優しい顔して笑われたら、どうしていいかわかんないじゃん。
いつしか、クーちゃんも刃を納め、リーダーを守るように、あたしを守るように。二人との間に佇んでいる。
「歌姫の意志を尊重して、この場ではお前たちを裁かない」
凛としたリーダーの声。
二人もクーちゃんが刃を引いたことに気づいたのか、苦しげな表情で武器を納めた。
「今日は見逃してやる。俺もお前たちと敵対したいわけじゃない。平和的に解散できるならその方がいい。だから、明日でいい。俺をキーリンダ当主の元へ連れていけ」
「ですが、ルース様」
「黙れ」
冷たい言葉。
リーダーはにっこりと笑っているのに、声は背筋がぞくりとするほど凍えていた。
「明日、教会で待っている。まあ、来なかったとしても場所は検討がついてるから、穏便にすまなくなるだけだがな」
現れたときと同じように、闇に溶けるように消えていった二人の背中を見送った。
彼らは、メリィ王女を再び王位につけるため、あたしの祝福が欲しいのだという。
「……ねえ、クーちゃん。歌姫って何なの?」
同じ世界にいたクーちゃんなら、あたしの感覚で答えてくれそうな気がした。
「うーん、難しいね。神様とは少し違うけど、神話に出てくる人種の一つ、かな? そうだね、元の世界でいうと、天使みたいなものだよ。だから、ユマラノッラ教の教会は、歌姫が現れる度にその記録を残すし、情報を共有する。必ず保護する」
「天使?」
「教会が歌姫を聖なるものとしているから、教徒たちもありがたがる。それは、相手がどんな人間か、何をしたかに関わらずね。そういう存在なんだよ、歌姫って」
なるほど、ほんの少しだけ分かった。
「どうせルースは、研究上の事実だけ説明したんでしょ。それじゃ、分かんないよ。ユマラノッラ教徒なら、ほぼ無条件でみんな歌姫が好きで、会いたくて、崇拝したいって思ってる事を教えないと」
クーちゃんが軽く非難すると、リーダーは眉間にしわを寄せた。
「だからね、りー姉。安心していいよ。オレやルースがりー姉の事を歌姫だって振れまわるのは、りー姉を守るためなんだ。歌姫だって知れたら、そう簡単に傷つけられたりしないからね」
ルースの腕の中からあたしを強奪し、クーちゃんはにこにこと笑った。
「……でもあたし、本当になんにも出来ないよ?」
「出来るてるよ? いつもにこにこ笑って、明るくして、楽しく歌って、たくさんの人に会えばいいんだ」
ザイオンさんが同じ事を言ってたな。
――リーネットちゃんが笑うと、周りのみんなが幸せになるの。それってとっても大切な事よ?
ああ、そうか。
ようやく、彼女の言葉がすとん、と心に落ちた。
「ありがとう、クーちゃん」
弟の首に抱きついて、頬をすり寄せる。くすぐったそうにしたけれど、それでもやめない。
うん、大丈夫。
明るく笑ってるのは、とっても得意なのだ。
国営ギルドに戻ると、レンミッキさんがすっかり部屋を掃除してくれていた。シーツも新しいものに取り替えてある。
明日、レンミッキさんがきたらお礼を言おう。
「リーネット、お前は明日、どうする?」
リーダーに聞かれて、首を傾げた。
あたしは、一緒にいかなくていいんだろうか。ユアンさんとロワンさんは、あたしをメリィさんに会わせたがってたみたいだけど。
「それこそあいつらの思うツボじゃねーですか。クォントを護衛につけるから、どっか遊びに行ってこい」
「え、いいよ。あたし、一人で大丈夫」
「大丈夫じゃねーですよ」
「大丈夫じゃないのはリーダーの方だよ」
あたしは、流れ出した血で真っ赤に染まってしまったリーダーの腕にそっと触れた。練習したばかりの治癒光術で傷は癒えたはずだけど。
「あたしは歌姫だから、誰かに傷つけられたりしないんでしょう? だったら、クーちゃんはリーダーと一緒にいて」
「阿呆か」
リーダーがぺしん、とあたしの額を叩く。
「お前は今、この瞬間もキーリンダ領主側に狙われてんだ。もっと自覚を持て。死ぬことはないだろうが、乱暴に捕縛される事くらいはあるはずだ」
「でもさ、あたしはリーダーが危険なのもやだよ……」
上目遣いにそう言うと、リーダーはうっ、と詰まった。
どうやら、この角度でのおねだりに弱いらしい。
困るリーダーを見て、クーちゃんが楽しそうに笑う。
「本当にルースってば、りー姉に弱くなったよね」
「うるせーですよ」
頭をがりがり、とかいたリーダーは、大きくため息をつく。
「だが、これとそれは話が別だ。クォントはお前の護衛。キーリンダ陣営には俺が一人で話をつけてくる」
不満に唇をとがらせたが、リーダーは撤回しなかった。
「うーん、でも、確かにオレもルースが心配なんだよねえ。一人ならそんな簡単にやられないとは思うけど、何しろ王国の将軍が二人いるからなあ」
クーちゃんの言葉に、リーダーは眉根を寄せる。どうや自覚はあったようだ。
「オレがいれば、絶対大丈夫なんだけど」
「まあ、お前は光術師の天敵だからな」
「対将軍戦なら、師匠が出てこない限り、負ける気ないよ」
さらりと言ったクーちゃんだけど、それってもしかして、ものすごい事じゃないだろうか。
一国の将軍を、それも最強を関する光術師たちをすべて一人で落とせると宣言したも同然だ――あたしは、ユアンさんとロワンさんがクーちゃんを恐れ、忌避した理由を少し知った気がした。
「だからと言ってりー姉を一人にするわけにはいかないんだよなあ」
オレがもう一人欲しい、とぶつぶつ言ったクーちゃん。
ごめんね、あたしが何もできないばっかりに……足手まといになってばっかりでさ。
と、その時だった。
国営ギルド側につながる扉が開いて、ルノさんがひょこりと顔を出した。
「夜分にすみません。中央監査の方々」
「何でしょう?」
リーダーが見上げる。
その腕にべったり血が付いているのを見て息を飲んだルノさん。が、すぐにはっとしてぱたぱたと手を振りながら叫んだ。
「お客さんがいらしてます。今、会議室でお待ちいただいているのですが、お会いになりますか?」
「客? どなたですか?」
首を傾げるリーダーに、ルノさんは告げた。
「ダン商会の方です。ララアルノ・ダンとおっしゃっていましたが、どうなさいますか?」




