[閑話]ルース・コトカ
俺はルース・コトカ。
現在は、ハーヴァンレヘティ共和国の中央議会に属する役人で、国の穀物庫とも呼ばれるような穀倉地帯、西のド田舎を旅しながら、治安を平定して回るのが主な仕事だ。
中央監査の仕事についてから1年以上、ずっと相棒のクォント・ベイとの二人旅を続けている。
クォントは、異海から来たという不思議なヤツで、王国時代からの付き合いだ。
いろいろあって、俺はコイツの事だけは誰よりも信頼している。
コイツは光術が一切使えない代わりに、光術が治癒含め、一切効かないという特異体質。実は〈エーテル空間〉に光素体である魂がない。魂を持たないコイツが、いったいどうやって生きているのか正直分からないが、生きて、動いているのだから仕方ない。そういうものだと受け入れるしかない。
そして、〈エーテル空間〉に光素体を持たないせいか、身体能力が尋常ではない。
そのため、クォントが師匠と仰ぐ男から継承したゲリラ戦術、格闘術、そして暗殺術。そのどれもが通常の人間と一線を画している。
普段はぼんやりしているように見えて、怒ると武力ですべてを屈服させるようなとんでもない破壊魔になるし、にこにこ笑いながら人の喉を掻っ切るようなヤツだ。
敵にはしたくないが、味方である限りは本当に頼りになる相棒だった。
そして、二人旅だった俺達に、最近、ツレが出来た。
クォントが、5年前に生き別れたと言っていた姉のリーネットだ。
見た目だけなら、愛らしいといってもいいだろう。背はかなり低く、何しろ小さい。一度、手を引いて立たせようとしたらその軽さに愕然としたほどだ。ちょこまかと走り回る姿は小動物のようだし、いつもクォントに抱き上げられているため幼く見える。大きな目とバランスの取れた顔だちも素直に愛らしいと思う。
が、正直言ってあいつは変だ。
感情表現が酷く豊かで、放っておくとすぐに怒ったり、泣いたり、すねたり、笑ったり、こちらを置き去りに一人で楽しそうに感情世界を繰り広げている。
光素のコントロールが出来ていないせいで、感情がダダ漏れ。あいつはきっと気づいていないが、何を考えているかほとんど筒抜けなのだ。
鼻歌を歌いながら、発光しながら宿の廊下を歩いていたこともある。どこのホラーだ。
しかし、ある日、あいつが『歌姫』であることが判明し、謎の半分は解けた。
が、それを差し引いてもやはり変だ。
向こうの世界で〈地質学〉と呼ばれる学問を修めているらしいのだが、それが厄介で、神が与えたもうたはずの大地を『自然発生したもの』として扱う。
正直言うと、その考え方は個人的にはかなり興味深い。俺自身、神が大地を作ったという説を信じている訳ではないからだ。
しかし、〈ユマラノッラ教〉が蔓延るこの世界で、あいつの考え方そのものが禁忌に抵触する。いつか教会にその考えが知られて追われる身となるのではないかとひやひやしている。
姉が傷つけられる事には敏感なクォントも、そのあたりだけはやたら鈍感だ。宗教感覚が薄いのはやはり、この世界の生まれではないからなのか。
それぞれの意味でマイペースな姉弟と旅を続けるのは、それなりに楽しかったと言えない事もない。
何より、リーネットが来てからというもの、クォントが明るい。これまでに見たこともないほどよく笑い、楽しそうに過ごしている。
相棒のそんな姿を見ているだけで、リーネットがこの世界へ来たことに感謝したのだ。
もちろん、それ以上に苦労も多いのだが。
先日、〈遊戯人〉などというふざけた名前の集団が、リーネットを狙ってきた。正確に言えば、そのうちの一人が個人的な恨みだが。
女に刺され、目の前でリーネットが崩れ落ちた。
あの瞬間の感情を表せる言葉を俺は知らない。少しでも形にするならば、絶望と後悔と焦燥と、それらをないまぜにして再編した怒りが一気に全身を巡った。
子供の頃から死ぬほど繰り返してきた感情の制御を、一瞬失うほどに――あれだけリーネットに感情を制御しろと言っておきながら。
リーネットは重傷だった。
右胸を深く刺されており、放っておけば致死量に達するだろう血が止めどなく流れ出していた。
ほとんど反射的に治癒を開始。祈るように光素を流し込んでいった。
俺のせいだ。
救えなかったら、俺が殺したも同然だ。
あの時、リーネットにかける言葉を探せず、少し距離を置いていた。それが、結果的にリーネットを傷つけることになってしまったのだ。
重傷を負ったリーネットを見たクォントはブチ切れて、その女を半殺しにした。あの女があれほどの使い手でなかったら、または仲間らしき男が現れなかったら、完全に殺していただろう。
治癒光術を少しでも中断していたら、彼女は死んだだろう。そのくらいの傷だった。
深い傷を負うと、肉体と光素体の乖離が激しく、フィードバックが簡単に起こらない。光素体を修復と肉体の傷のフィードバックがせめぎ合い、かなりの時間がかかるのだ。
何とか助かったのは、その場に俺がいたからだ。そのままでは麓までは持たなかっただろうと断言できる。
止血を終えてからクォントがリーネットを宿まで運び、その後も治療を継続した。
必死だった。
自分の焦燥がおかしくなるほどに必死だった。
その焦燥の奥に潜む、小さな感情には気づかない振りをした。
リーネットの容体が落ち着いた頃、さすがに疲労した俺はベッドの横でうたた寝をしてしまった。
そして、リーネットの目覚める気配で目を覚ました。
彼女は、起きてすぐに弟の名を呼んでいたと思う。
起きたのか、と声をかけた時、リーネットの大きな黒曜石の瞳がうるんでいるのに気付いた。そこから目の端を伝い、涙が零れ落ちている。
どきりとした。
小動物のように楽しそうに笑う彼女が、こんな風に泣くとは思わなかった。
動揺を隠すべく、そして安心させるべく、微笑んだ。
いつもクォントがしているように、頭を撫でながら謝った。
「怖かったんだな。すまなかった。俺がもっと早くにお前の元に着いていたら、こんな目に遭わせなかったのに」
言いながら、思った以上に動揺している自分に気付いた。
しばらく共に旅をしたリーネットは、俺の中でも大きな位置を占めるようになっていた。クォントを悲しませたくないという以上に、自分自身がリーネットを失いたくはなかった。
しかし、リーネットは眉を下げ、かすれる声を絞り出した。
「……ごめんね、リーダー」
泣き声だった。
その声で、胸の内をえぐり取られるような感覚を覚えた。
「……でも、そんな風に優しく心配されたら、あたし勘違いしちゃうよ?」
「それの何が悪いっつーんだ。弱ってるときくらい、甘えとけ」
彼女の光素の動きを、感情をずっと見ていた俺は知っていた。
リーネットは甘えるのが下手だ。
表面上、クォントにひどく甘えているように見えるが、絶対に弱みは見せていない。怯えるときも、悩むときも、絶対に自分の中で完結させている。
おそらくずっと、そうやって生きてきたのだろう。
「……まだ治りきってねーですよ。もうちょっと、我慢してろ」
自分の中で溢れそうになった感覚を抑えて、再び治癒光術の言霊を唱えた。
これ以上は駄目だ。
俺はリーネットの心に踏み入る事を躊躇した。
何しろ彼女は、大事な相棒の愛する姉であるし、そうでなくとも、幾ばくもなく元の世界へ帰るのだ。
俺と彼女の間に、何かが生まれるとは思わない。
しかし、もし万一、何かを共有してしまったら、もう戻れない気がした。
勘違いしちゃうよ、と言ったリーネットもきっと、気づいている。
だから、いつか我慢がきかなくなる前に、頼むから俺の前から消えてほしい。そして淡く消え行く想いを、いつかクォントと二人で笑いたい。
彼女の胸に手を当てて治療しながら、その鼓動を掌に感じつつも平静を保ちながら。
俺は心に蓋をした。
この時はまだ、予感だった。
彼女が元の世界へ帰ろうとした時に、行くなと言ってしまうのが、弟のクォントではなく、俺になるかもしれない、と。
結論から言うと、予感は現実になる。
忘れた振りをするだけではあまりに儚い抵抗だと痛感するまで、ほとんど時間はいらなかったのだ。




