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眠れる異界のウネクシア  作者: 早村友裕
第一章 異海の歌姫
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異海の歌姫(2)

 ずきん、と胸が痛んだ。

 ゆっくりとしか動かない手を胸元に当てると、すでに誰かの手があたしの胸の上に置かれていた。

「……クーちゃん?」

 ぼんやりとその名を呟いたが、返事はない。

 優しいその手は、あたしを傷つけるものではなかった。

 あたしは胸元に添えられた手を握りしめ、目を開けた。

 最初に見えたのは金色。柔らかい糸のような髪があたしの頬にかかっていた。髪の感触がくすぐったく、思わず頬をゆるめた。

 が、すぐに気づいた。

 これはクーちゃんじゃない。

 驚きに息を吸い込んだ瞬間、胸の中心が刺すように痛んだ。

「……っ」

 痛みに耐えるように、胸元に置かれていたリーダーの手を握りしめた。

 そして、思い出す。

 あたしは、突然現れた知らない女のヒトに、刺されたんだった。闇夜に映える青い髪が瞼の裏に焼き付いている。

 底冷えするような殺意が今も肌を浸食しているかのようだ。


 ご主人様は、歌姫が好きだから。

 歌姫を追って、異海を渡ろうとするくらい。


 彼女の声が耳に残っている。

 昼間、町のステージで歌ったあたしを見て、きっと追いかけてきていたんだろう。ぜんぜん気づかなかった。

 心臓の鼓動が速い。

 脈にあわせて、痛みも寄せては引いていく。

 ああ、歌姫って何なんだろう。

 あの女性の言葉から察すると、異海の向こうからやってくるようだけど。

 リーダーは、珍しいがいない訳じゃない、って言ってた。そして、これまでの歌姫は例外なく人々の為に力を使った、って。

 まるで、いろんなファンタジー小説に記される、異世界から召喚された女の子のように。

「……歌姫なんて、望んだわけじゃないのに」

 この世界が怖かった。

 当たり前に死が隣にあるような、当たり前に命の危険があるような、こんな世界。

 実際に自分に殺意を向けられ、武器を向けられ、傷つけられて。

 クーちゃんは、この世界を受け入れたの? それとも、受け入れられなかったの? だからずっと、今も、泣き続けているの……?

 暗い考えが心の中で重石となって、感情を沈めていく。理解不能な、あまりに理不尽な出来事に心が折られてしまいそうだ。

 頑張って演じるって決めたのに。

 すぅっと涙が伝う。

 ああ、泣くのなんて何年ぶりだろう。

 あたしの家が、普通じゃないって気づいたあの時以来だろうか。

 あのときは、絶対にクーちゃんにだけは見られないよう、近くの河原で一人、泣いたのだ。橋の下に座って、膝に顔を埋めて、ただ涙を流した。

 あの時も、泣いた後に決めた。

 クーちゃんのためにあたしは、明るいお姉ちゃんを演じ続けるって。

 弟に見つかる前に泣きやまないと。

 そう思ったけれど、涙はそう簡単に止まりそうもなかった。


 そしてその時、リーダーもうっすらと目を開けた。

「ああ、リーネット。起きたのか。大丈夫か?」

 と、そこでリーダーは、あたしが彼の手を握りしめたまま泣いている事に気づいたようだ。

 とても優しい瞳で笑って、あたしの頭をなでた。

「怖かったんだな。すまなかった。俺がもっと早くにお前の元に着いていたら、こんな目に遭わせなかったのに」

 違うよ。

 あたしが悪いの。

 勝手に勘違いして、勝手に駆け出して、あげく、危険な場所に自ら飛び込んで、リーダーにこんな心配かけて。

 だめだよ、リーダー。

 そんな風に優しくされると、あたしはきっといつか我慢できなくなってしまう。

「……ごめんね、リーダー」

 声はかすれていた。

 息を吸う度に胸は痛いし、声を出すだけで苦しい。

「……でも、そんな風に優しく心配されたら、あたし勘違いしちゃうよ?」

「それの何が悪いっつーんだ。弱ってるときくらい、甘えとけ」

 そうやって、リーダーもクーちゃんもあたしを甘やかすのだ。

 あたしがもう後戻りできなくなっちゃったらどうするの?

 儚げな母親を一人、向こうの世界に残してしまう決断をしちゃったらどうするの?

「まだ治りきってねーですよ。もうちょっと、我慢してろ」

 リーダーは再び治癒光術の言霊を唱える。

 いつも光術を使ってもケロリとしているのに、今は珍しく疲労しているように見えた。あたしを治すために、無理をしているのだ。そのまま少し、眠ってしまうくらいに。

 温かい光素がゆるゆるとリーダーの手から流れ込んできて、全身を巡っていく。

 優しさに包まれて、涙も少しずつ乾いていった。

 どうしてこの人はこんなにも優しくしてくれるのだろう。

「……リーダーは優しいね。優しすぎるくらい、優しい」

「お前が泣いてると、クォントが悲しむからな」

 そうだよね、クーちゃんのためだよね。

 リーダーがあたしにやさしいのは、大事な相棒の家族だからだ。

「あいつは今、国営ギルドに報告にいった。俺がお前の治療から離れるわけにいかねーからな。起きたら呼べって言ってたが、このままじゃ呼べねーんですよ。あいつ、ブチ切れてあの女を半殺しにしてたからな」

 リーダーが淡々と告げる。


 予感がする。

 もしあたしがいつか迷うとしたら、それはきっとこの人が原因になるという予感。

 この人はきっといつかクーちゃんよりも大きな理由になる。

 いつかあたしが世界に迷ったとき、この人は同じように迷ったりするんだろうか、と思う。

 きっと迷わないだろう。

 見た目だけ王子で、中身は子供のこのヒトが、あたしと同じように思ってくれるとは思わない。

 それでもリーダーは当たり前のようにあたしの目元の涙を指で拭う。

 他の女の子にも、そういうことするのかなあ?

 しそうだなあ。

 全然、何も考えてなさそうだもん。

 芽生え始めたこの感情を、優しいこの人に気づかせたくない。

 そう思ったら、ちくりと胸は痛んだが、悩んでいた心に蓋をする覚悟はできた。

「もう、大丈夫か? そろそろクォントに知らせるぞ」

「平気だよ」

 軽く笑うと、リーダーもほっとしたように笑い返してくれた。

 リリン、と鈴が鳴って――リーダーの両手はあたしに当てられていたままだったから、きっと光術を使ったのだろう――すぐに部屋の扉がばたん、とあけられた。

「りー姉!」

 駆け込んできたのは、あたしの大事な弟だ。

「りー姉、りー姉……よかった、生きてる」

 あたしの傍にひざまずいて、顔をくしゃくしゃにゆがめた。

「クーちゃん、あの女のヒトにひどい怪我させたんだって? ダメだよ、むやみに人を傷つけちゃ」

「でも、あの女はりー姉を殺そうとしてた」

 ヒヤリとした空気をはらむ声。

 一度だけ聞いた、あの声だ。クーちゃんと同じとは思えないくらいに冷たい声。

 あたしの心をすぅっと冷やす声。

「もしりー姉が死んでたら、こんなもんじゃすまなかったよ。あいつも、その後ろの組織も、それから原因になったこの町も、この国も、この世界も。全部ぶっこわしてやったのに」

 淡々と告げる弟の言葉に、あたしは悲しくなる。

「そんな事、言っちゃダメだよ」

 ふるえる手を伸ばして、クーちゃんの頭をゆっくりと撫でる。

「びっくりさせてごめんね。今度はお姉ちゃん、簡単に刺されたりしないからね」

 そう言うと、クーちゃんはだだっ子のように首を横にぶんぶんと振った。

「いいんだ。りー姉はオレが守るんだから」

 この世界に着いた時と同じ台詞。

 クーちゃんだって、いっぱい傷ついてるはずなのに。きっとあたしと同じように、この世界に住むたくさんの人たちと同じように、ずっと危険にさらされてきたはずなのに。


――でも、クーちゃんはこの世界を選ぶつもりでいるんだろうな


「ねえ、リーダー」

「何だ?」

「少しだけ、クーちゃんと話がしたいの。二人だけで」

「ああ、構わねーですよ」

 でも、治療が終わってないからすぐに戻るかなら、と言ってリーダーは部屋を出て行った。



「りー姉、痛い?」

「もう平気だよ。リーダーが治してくれたもん。すごいね、光術って」

 うそだ。

 今も、息を吸うたびに胸の傷は刺すように痛む。

 それでもあたしは弟に笑いかける。

「それより、クーちゃんの方が危ないよ。だって、治癒光術も効かないんでしょう? もし怪我したら、あたしみたいにこんなに簡単に治らないんだよ」

「りー姉が怪我するくらいならオレが傷ついた方がいい」

「クーちゃん、そういうのはやめなさい。お姉ちゃん、悲しいよ」

 ずっと寄り添って生きてきた。

 ずっと一緒に暮らしてきた。

 でも、もしかすると、あたしたちは道を違えるかもしれない。

「ねえ、クーちゃん。何か隠してるでしょう?」

 あたしは不意に切り出した。

「あのステージで歌った紡ぎ歌を、お母さんから教えてもらった、って言った時、クーちゃん、ちょっと変だった。それに、あたしを刺した女の人がね、歌姫の話をしたの」

 クーちゃんは、普段あまり動かさない表情を少しだけ変えた。

 それだけで、姉であるあたしにはクーちゃんの動揺が伝わってくる。

「クーちゃんは何を知っているの?」


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