異海の歌姫(1)
感情で光素が凝集するのをコントロール出来ないおかげで、あたしは夕暮れの道を、少しばかり発光しながら駆け抜けた。すれ違う人たちがみんなあたしの方を見ている。
祭りの夜、発光しながら道をかけていく女の子――七不思議とかになりそうだね!
向かう先は、グーリュネンの山道だ。
山に入りたい。岩と石に囲まれて、火成岩の産状を見ながら心を落ち着けたい、なんていう年頃の乙女からかけ離れた思想でもって、あたしは山へと駆けだした。
リーダーの声が後ろから追いかけてくる。
追いかけるなら、運動の得意なクーちゃんの方が速そうだけど、おそらくリーダーに譲って一人で追いかけさせたんだろう。
よけいなお世話だよ!
それでも、彼が本気で走ったらすぐに追いつかれるはずだから、かなり手加減して走っているはずだ。きっと、あたしにかける言葉も問う言葉も思いつかなくて。
つかず離れず、リーダーの気配がついてくる。
日が沈んでも視界に困ることはなかった。怒っている限りは発光しているから、あたしの周囲は割と明るい。
でも、やっぱり途中で疲れてしまって、だんだんと足は遅くなり、上り坂に負けそうになり、へとへとになりながらなんとか前に進んで。疲れのために怒りも少しずつ落ち着いて、光は徐々に消えて行って。
あたしは、道がなくなる場所までやってきた。
ここは、蛍石を見つけた場所だ。
遊戯人という組織を名乗る謎のでぶりんオジさんに会ったところ。
何もなくなってしまった崖を見て、ため息。蛍石、欲しかったな。あんな大きな結晶、向こうの世界ではなかなかお目にかかれるものじゃないのに。
あたしは、根こそぎ取り去られた蛍石の残り香に腰を下ろした。ほんの薄く発光する蛍石の欠片を見ていたら、少しだけ落ち着いてきた。
「ひどいこと言っちゃったかな?」
確かにリーダーの言うとおり、試合中はずっとあたしをかばってくれていたし、守ってくれていた。スオラさんの攻撃だけでなく、光素の波動が柔らかくなるよう干渉してくれていたのも何となく知っている。
口は悪いし、子供みたいだけれど、何しろリーダーは優しいのだ。
クーちゃんの姉でしかないあたしを気にかけてくれるほど。
体育座りをして、地面に転がる小さな蛍石を指先で弄んだ。淡い緑色をしたソレは、かすかに熱を持っている気がした。
光術には使わない、って言ってたけど、たぶんそれは間違いだ。等軸晶系に合う光素だってきっとあるはず。いま、この瞬間にもきっと、ここにある。
たぶん、あたしには見えないだけで。
「七番目の神様……」
大地は神が作ったものだというユマラノッラ教の教え。
太古の生物を模した『神獣』。
隠された七番目の結晶系。
――何かがおかしい。
この世界は、どこかで何かをかけ違えている気がする。
ふと、あたしの手元に影が下りた。
リーダーかな、と思いふと見上げると、そこに立っていたのは、知らない女性だった。
誰だろう。向こうの世界では見慣れない、美しい青の髪を結い上げたその女性は、にっこりと微笑んだ。細身のワンピースに包まれた大人の女性のボディライン。目元のほくろがセクシーだ。
あたしもつられてにこりと笑い返した。
「貴方が異海の歌姫さん?」
「うーん、はい」
妙齢の女性に問われ、少し迷ったけれど、頷いた。
「そう」
その女性は、にこにこと笑ったまま不意に胸元から何かを取り出した。
そして。
その手をすぅっとあたしに突き出した。
「……え?」
その『何か』が銀色に光ったな、とか。
思った以上に近くまで手がめり込んだな、とか。
考えている暇はなかった。
「さよなら、新しい歌姫さん」
その女性が再び手を引いたとき。
呼吸が止まるかのような痛みが胸を突き刺し、あたしは思わず胸元を押さえて倒れ込んだ。
掌にぬるりとした感触。
生温かいこれは……血?
自分の息の音が、ひどく近くに聞こえた。
何が起きたかわからない。
たぶん、刃物で刺されたんだと思う。
「……〈エス〉」
最後の思考と最後の力を振り絞って、あたしはヘアピンのお守りを発動した。
同時に女性が弾かれるように吹き飛んだ。それでも彼女は、すぐに起き上がり、手にした刃物をあたしに向けた。
にこにこと微笑んだまま。
「往生際が悪いのね。早く死んで欲しいのに。今すぐ、私の目の前から消えて欲しいのに。ご主人様が貴方に気付く前に」
冷たい言葉を浴びせられた。
「何……? 誰、なの? ご主人様って、誰……?」
絞り出した声に、答えはなかった。
代わりに、鳥の形をした炎が横から飛んできて、炎がその女性を覆い尽くした。
「リーネット!」
聞き慣れてきたよく通る声が響き、あたしの目の前を白い影が横切った。
ああ、リーダーだ。
あたしを覗き込んだ彼は、さっと青ざめた。
そしてすぐにあたしの首筋に手を当て、治癒光術の文言を詠唱すると、すぐに光素を流し込み始めた。
しかし、どくりどくりと血を吐き出す胸の傷は深く、とてもすぐには治りそうにない。
「どういう事だ……何故、リーネットを……!」
リーダーの姿を見て、その女性は苦々しげにつぶやいた。
「『災厄児』ルース・カタストロフ……邪魔をしないでいただける?」
痛い。
苦しい。
胸に当てた手はもはや感覚がなく、今にも息が止まりそうだった。
「その名を知るっつーことは、共和国の追手……じゃ、ねーな。この場所を考えると、遊戯人とかいう一団か?」
遊戯人という単語で、女性はぴくりと眉を動かした。
彼女はでぶりんオジさんと同じ組織のヒトらしい。
異世界への、手がかりだ。
「リーダー……待って……その人のボスって……」
首筋から流し込んでくれた光素が、少しずつ、痛みを押さえてくれている。
苦しい息の下から必死に訴えた。
「向こうの世界の……手がかり、かも、しれないの……」
「何?」
リーダーがあたしの方に気をとられた、一瞬。
その女性はリーダーからあっという間に距離をとった。
結い上げていた青い髪が解け、夜空に映えた。
「ご主人様は歌姫が好きなの。とっても好きなの。一世代前の歌姫がいた頃には、彼女を追いかけて|異海を渡ろうとするくらい《、、、、、、、、、、、、》」
異海を渡る。彼女は確かにそう言った。それに歌姫は異海から来るかのような話しぶりだ。
懸命に意識を保とうとするが、胸の痛みがひどくてそれどころではない。
「20年ぶりに歌姫が現れたんですもの。貴方に気付いたらご主人様は貴方に夢中になってしまうわ。その前に、私はご主人様の心を乱す歌姫を排除します」
蕾が綻ぶように笑った女性は、心からそう思っているようだった。
痛みよりなにより、自分に向けられた純粋な殺意に、精神が大きく傷つけられる。
この世界は、怖い。
とても身近に命の危険があるくらい。平和な世界に育ったあたしに、その耐性はない。
最初に押し込めたはずの感情が再び膨れ上がり、全身が震えた。
クーちゃん。たすけて。
知らず、目の端にじわりと涙が滲んだ。
「そんな事、させるわけねーですよ。コイツは、俺とクォントがすべてをかけても、元の世界に返すんだからな」
元の世界に帰る。
当たり前のことだ。そのために、あたしは二人の旅に同行している。
それなのに、はっきりと言葉にされるととても悲しいのは何故だろう。
怖い世界から逃げたいはずなのに。
胸の傷を埋めるようにゆるく流れ込んでくる温かい光素があたしの体を温める。それと裏腹に、あたしの心は冷えていて、少し触れるとバラバラに砕けて壊れてしまいそうだった。
視界が薄れて、見えなくなっていく。
リーダーが、青い髪の女性と対峙しているのは分かったが、とても遠い世界のようだった。
遠ざかる意識の中で、クーちゃんの声を聞いたような気がした。
波の合間に浮かび、微睡んでいるような感覚に包まれた。
あたしは、〈エーテル空間〉を満たす光素の中に浮かんでいるのだ。光素が互いにぶつかり合い、はじけ、鈴のような音を鳴らす。
光素に包まれて、この世界の仕組みを肌で理解した。
ここは、これまで住んでいた世界と違うのだ。
自然に唇から歌が零れ落ちた。
それと共に、幼い頃の記憶がほんの少しだけ、よみがえる。
優しく歌う母親。その歌はやはり、こちらの世界に存在する歌だった。
もしかすると、母もこの世界を知っているのだろうか。
だって、あたしが母から教わった歌が歌姫のものだとしたら、もしかすると、母もこちらの世界に来たことがあったのだろうか。
もしそうだとしたら、あたしとクーちゃんがこの世界へ来たのは、偶然ではないのだろうか。




