異世界と再会(2)
弟はインドア派だった。本を読むのが好きで、人間よりPCとコミュニケーションをとっている事の方が多く、色白で華奢で思慮深くて真面目だったのだ。
いつも師匠と共に山に籠って化石だの宝石だのを探して、年中日焼けしていたあたしとは正反対。
それなのに今の弟ときたら、まるで脱色したような白色の髪、赤茶けてしまった瞳の色はまるで柘榴石のようだ。肌は健康そうに焼け、声は落ち着いた男性のものだった。
はたから見れば、あたしが何の迷いもなく弟だと断定したのが不思議なくらい。
「とりあえず宿に行こう、姉さん。風邪ひいちゃうよ」
「えっ? あの生き物は……」
「あれは光化種だよ。ちょっと危ない生き物だけど……山でクマに遭うよりは高い頻度で出てくるから、あんまり気にしないで」
「コーカシュ?」
振り向いたが、炎に包まれていたはずのあの虹色の生き物は、地面を少し焦がしただけで姿を消していた。あれはいったい、何だったんだろう?
弟は、あたしを腕に座らせるようにして軽々と抱き上げていた。
かなり頼れる感じになっている弟に、あたしは困惑していた。
これは本当に、夢?
あまりにもリアルな感触に、何だか恥ずかしくなる。
相手が弟とはいえ、男性に抱き上げられるなんて人生初めてなのだ。
「クーちゃん、下ろして。恥ずかしいよ」
「大丈夫、りー姉は軽いしちっちゃいから、全然疲れないよ」
あたしの話なんて聞いちゃいない!
このマイペースな返答。ああもう、5年たったか何だか知らないけど、会話のポイントがずれてるあたり、確かにこの子はあたしの弟です!
「それに、オレたちの事なんて誰も見ないって」
「もうー……」
あたしは観念して、落ちないように弟の肩に手を回した。
いっそ、普段なら絶対に見られない高さからの景色を堪能しようと、辺りを見渡していると、ふと一人の青年の姿が目に入った。
大きくなった弟と同じくらいの身長。光源は月明りしかないこの夜に、目の覚めるような金色の髪が目立っている。眉間に皺が寄っているが、そんな事、いっさい気にならないくらいの――美形、だった。
「クーちゃん! 誰も見ないって言ったじゃない! いるよ、人!」
「いないなんて言ってないよ」
そうだけど!
じたばたと両手を振り回すが、弟は全く意に介していない。
悔しい。弱っちかった弟が、頼れる感じになっているのがとっても悔しい。
「落ち着いて、りー姉。この人は『ルース』って言って、今のオレの相棒だよ」
「相棒? 何の?」
『相棒』という単語であたしが思い浮かべたのは、警視庁の窓際部署だったけれど。
この世界の警察がどういうモノかは知らないが、少なくとも二人とも警察らしくはないように見える。
「オレとルースは、うーん……悪者を退治するヒーローなんだ! ルースが魔法使いで、オレが武闘家。さっきみたいな光化種を退治するのは、オレたちの仕事の一つなんだ」
「クーちゃん、何言ってるの?」
「へへへ」
困ったなあ。
普段から、人の話をあんまり聞かない子ではあったけど、さらにそれが加速している気がする。
ルースという人は、弟と同じくらいの年ごろだった。弟が羽織っているセピア色のフードケープと対になるような、白いケープ。軍服をモチーフにしたような意匠の服も白基調だ。
同じような身長、年齢。それから、見た目だけなら物静かな弟と、華やかな雰囲気のルース。対になるように誂えたような二人だった。
「ルースさんは、王子様だねぇ」
ぱっと見の印象から、思わずあたしがそう言うと、ルースは途端に物騒な空気をまとった。
えっ、なんで?!
暗い中で、左手に光が灯った気がする――その光は、攻撃的な赤い色。まるで、魔法の力が集まってくるかのように。
しかし、その物騒な雰囲気を意に介さず、弟はマイペースに返した。
「違うよ、ルース。りー姉はルースの事を知ってるわけじゃないんだ。ただ、オレたちの世界で、『王子様』って言うとルースみたいな容姿なわけ」
「……どういう意味だよ」
剣呑とした声。
「えっとね、金髪で、碧眼で、すらっと背が高くて、〈イケメン〉で、白い服を着てたら、それは王子なんだよ。つまり、ルースは見た目だけで十分、王子だってこと」
「何言ってやがんですか」
まさに目の前の彼の事を言い当てたような弟の言葉に、ますます眉間の皺を深くした。
「第一、クォント。そいつも異海から落ちてきたらしいが、全く動じてねーじゃねーですか。こっちに気づきもしないで、意味もなく地面掘り返すくらいに図太い神経があれば、別にお前が保護しなくても大丈夫だろ」
見た目は王子だけど、口は悪いし、眉間に皺が寄ってるし、その点では王子からほど遠い。
あたしはむっとして言い返した。
「無意味に地面掘り返してたんじゃなくて、化石を探してたの! 地質調査!」
あたしの言葉に、その人はふん、と鼻で笑ったまま、返事をしなかった。
いかにあたしが一介の地学部員でしかなく、地質屋としては半人前でも、調査をしていたのは本当なのに!
唇を尖らせて空を見上げると、日本に比べると乾燥していて埃っぽい風の向こうに、大きさの違う満月が、合わせて3つ浮かんでいた。
舗装されていない土の道をしばらく歩いたところで、少しだけ建物の集まっている場所があった。薄い板の壁で作られた家々が並び、窓からは温かそうな灯りが漏れている。
とても田舎っぽい。
隙間の多い木の扉を押して建物の中に入ると、一回は食堂も兼ねているのか、西部劇に出てくる酒場のような雰囲気だった。薄汚れた木のカウンター、テーブル席には何人か座っていたようだけれど、弟と、その相棒のルースという人は軽く会釈しただけで奥に入ろうとした。
お客さんは、日本人らしくない容姿の人が多い。彫りが深めでどこかエキゾチックな顔だちだ。
まるで外国の映画に迷い込んだみたい。
「お客さん、待ちなよ。誰だいそれは。部屋に連れ込むなら、料金上乗せだよ」
カウンターの中にいたおかみさんらしき人が厳しい声をかけてくる。
「クォント、先に行ってろ」
足を止めようとした弟を制し、ルースがそちらに向かった。
クーちゃんはそのまま奥の階段を上がる。上階が宿になっているようだ。どこもかしこもレトロな雰囲気。それだけで、ここは日本ではないのだという実感がわいてくる。
薄暗いのも相まって、まるで映画の中にでも入り込んでしまったようだ。
それよりずっと、クーちゃんに抱き上げられたままなんだけど……いくらあたしが小柄だといっても、そろそろ重くないんだろうか。
クーちゃん、と声をかけようとして、不意に気付いた。
「そういえば、クーちゃんさっきから『クォント』って呼ばれてた? どうして?」
「うん、そう。あっ、そうだ!」
はっとした彼は、あたしの耳元に顔を寄せてひそひそとつぶやいた。
「この世界では、本当の名前がすっごく大切らしいんだ。光術師っていう魔法使いみたいな人たちに本当の名前を知られると、魂を取られちゃったりするらしいんだよ!」
低くなり、大人になってしまった声がくすぐったい。
何より、こんな風に顔を近づけて内緒話をするのが久しぶりだったから嬉しい。
「だから、絶対に本当の名前を名乗っちゃだめだよ? オレの名前も、『クォント・ベイ』だからね。クーちゃんって呼んでる間は大丈夫だけど」
なるほどね。
本当に、映画の世界に迷いこんで弟と二人でゲームにでも参加してるみたい。
「どうしたらいい?」
「うーん……」
階段の途中で名前を考えていると、後ろから不機嫌そうな声が追ってきた。
「ンなとこで何やってやがんだよ。とっとと部屋に戻りやがれですよ」
「ルース、今、りー姉の名前を考えてるんだ。この世界じゃ本当の名前、名乗っちゃいけないんでしょ? 一緒に考えてよ」
「……本当にお前ら、真名を当たり前に公開する世界からきたんだな。つくづく不思議でしょうがねーですよ」
ルースは眉根を寄せた。この人も顔だちが整いすぎて、映画の俳優さんにしか見えなかった。
「そいつは『リーネ』っつーんじゃねーのか? さっきからずっとそう呼んでんじゃねーですか」
「違うよ、リーネじゃなくて『りー姉』。りーねえ! お姉さん!」
些末な違いを主張して、弟はうーん、と顎に手を当てた。
「そうだね。でもいいかも。リーネ……ト、ベ。リーネット・ベイ。うん、そうしよう」
弟はにっこり笑った。
「りー姉は『リーネット』。これから、リーネットを名乗るんだよ」
リーネット。
あたしの名前は、これからリーネット・ベイ。
間違わないよう、何度か口の中で繰り返した。
あたしはここが夢だと思ったことも忘れ、自然に受け入れ始めていた――ああでも、きっと夢じゃないんだろうなあ。
でも、この意味の分からない状況の中で、あたしが平静を保てたのは、弟がいたからだろう。
生まれてからずっと一緒だった弟。俗にいう『問題のある家庭』で育ったあたしたちにとって、お互いが何より大切な家族だったから。
弟がいるなら大丈夫。
こうやって楽観的なあたしは、あからさまに見えていたいろんな問題に蓋をした。
いつかそのツケが廻ってくるのなんて、分かりすぎるくらい分かっていたのに。




