新鉱山(4)
『災厄児』ルース・カタストロフ。
『異海の玩具』クォント・ベイ。
その単語を聞いた瞬間、二人の空気が変わった。
クーちゃんは一瞬で抜刀して、でぶりんとしたオジさんに飛びかかっていった。
つい今まであたしの隣にいたはずなのに、比喩でなく、瞬く間に距離を詰めて〈ライトセイバー〉で切りかかっていた。
が、赤紫色の刃は、でぶオジさんに届く直前に弾かれる。
まるで光化種の鳴き声のような甲高い音波が響きわたり、あたしは思わず耳を塞いだ。
「〈エルル〉!」
少し距離を置いて、いくつもの光術を展開したルースがでぶオジさんに指を突きつける。
これまで見たこともないような光素の奔流がルースの右腕を取り巻いた。
「〈いと巨いなる空の鳥 一羽の鷲は天翔けり〉!」
まるで、大気が焼けるかのよう。
周囲に炎をまき散らしながら、一羽の鳥が空を裂いた。鋭い嘴と逞しい体躯――あれは、鷲だ。
「おやおやおやおや! いったい何をするのです!」
でぶオジさんは、見た目以上に俊敏な動作で両手を前につきだした。
間一髪、ルースが放った炎の鷲は霧散する。
けれどもそこへ、弟の攻撃が迫っていた。
「いやいやいやいや! 落ち着きましょう! 落ち着いて、お話をいたしましょう! 私共〈遊戯人〉は、この鉱石が欲しいだけなのです!」
「問答無用」
きっぱりと言い切ったルースは、先ほどよりさらに大きな光術を展開させる。上空へ立ち上る竜巻のように、ルースを中心に炎が渦巻いた。
ヘアピンのお守りがなければあたしも炎に舐められ、火傷ではすまなかったかもしれない。
その証拠に、ルースの足下ではじくじくと溶けるように蛍石の角が丸みを帯びていっていた。融点の低い鉱物とはいえ、蛍石の融点は1000度以上だ。とんでもない熱が彼を包み込んでいることが分かる。
そして、ルースは情け容赦なくその熱をサスペンダーのオジさんに向かって打ち出した。
人の頭ほどもある炎弾が数え切れぬほど着弾し、オジさんの姿は爆炎の中に消え去ってしまう。
あたしはぞっとした。
二人とも、あの人を殺す気だ。
それに気づいた瞬間、足下が崩れ落ちそうな恐怖に襲われた。心臓の音が耳元に鳴り響き、暑いはずなのに全身が冷え、総毛立つ。
ダメだ。
それは、ダメ。
しかし、煙が晴れると、思ったより元気そうなでぶりんオジさんが顔を出した。あたしは、その姿にほっとしてしまう。
「けほけほけほけほ。乱暴ですねえ。浴びたのが私でなければとうに消し炭ですよ? 流石は傾国の災厄児と異海から落ちてきた玩具ですねえ」
「……っ?!」
怒涛の攻撃を受けてもノーダメージだったオジさんの様子に、ルースは目を見張った。
「ですから、私共は貴方と争う気はないのです。ただ、この石が欲しいだけなのです」
「この石って、蛍石? でもこれ、6つの結晶系に属してないから、光術には使えないんじゃ……」
思わずあたしが口を挟むと、でぶりんオジさんはうれしそうに笑った。頬の肉がたるんで、揺れる。
あ、意外とカワイイ。こういうゆるキャラみたい。
「おやおやおやおや、カワイイお嬢さん! それがですね、私共のボスにとっては必要なのです! 第七番目の結晶系に属する鉱物が!」
その言葉であたしは息を飲んだ。
ルースが知らなかった第七番目の結晶系を、この人は知っている?
「えっ、そのボスってもしかして……」
直感的に元の世界への手がかりを感じ、あたしが口を開こうとしたとき、再び周囲を凄まじい炎が包み込んだ。
「ルース!」
「ぐだぐだ話してんじゃねーですよ」
天空さえも照らし出すような炎に、あたしは思わず手をかざした。
けれど、それは一瞬で。
びゅうっと大きな風が吹いた瞬間、でぶりんオジさんは炎の中から高く飛び上がっていた。
「もうもうもうもう! ぷんぷんですよ! お話を聞かない子供にはお返しです!」
はげ上がった頭から湯気でもでそうな勢いで、サスペンダーのでぶオジさんは空中で地団太を踏んだ。
「空中闊歩……風の光術師か!」
「オシオキです!」
その瞬間、大気が膨れ上がった気がした。
ルースは苦々しげに上空を見上げた後、あたしに向かって駆けた。
抵抗する間もなく、その腕の中に捕獲される。
一瞬、頭が真っ白になった。
視界を塞ぐように肩に顔を押しつけられ、背に回された手に力が入る。
炎の光術を使っていたせいだろうか。
ルースの手は、燃えるように熱かった。
次の瞬間、メキメキ、と凄まじい音がした。
あたしを抱くルースの手にも力が入り、その口からは小さくうめき声が漏れた。
「ルース、だいじょう……」
「黙ってろ」
短くあたしを黙らせたルースは、そのままあたしをかばうようにして、耐えた。
渦巻いていた光素が落ち着き、周囲に静寂が戻ってくる。
知らず、息を止めていたあたしは、ルースの肩から顔を離して、思い切り息を吸い込んだ。
肩で息をするあたしに、ルースはいつもの仏頂面のまま声をかける。
「無事か、リーネット」
「あたしは大丈夫」
と、その時、ルースの頬を赤い筋が伝った。
「ルースが怪我してる! 大変! すぐに止血……!」
「あ? この程度なら平気だっつの。大げさな」
あたしを地面におろし、頬の血を無造作に手の甲で拭ったルースは、あたしの周囲を防壁のような光素で包みこむと、空を見上げた。
そこには、まるで飛んでいる風船のようなでぶオジさん。
しかし彼は、ゆっくりと地面に向かって降りてきた。
「やれやれやれやれ、この技でこの程度のダメージですか。ボスの意見を全面的に肯定するわけではありませんが、敵には回したくありませんね。出来れば関わりたくありません」
肩をすくめたオジさん。
その反動で、サスペンダーがバチン、とはじけてズボンが半分ずり下がった。
ルースは油断なくそちらを睨み付けている。
そして、ヒヤリとするような声が響く。
「アンタ、何者?」
気がつけば、クーちゃんは担いでいたメッセンジャーバッグとライトセイバーを捨てて、でぶオジさんの背後に回っていた。
その手に握られているのは、見間違いでなければ、刃渡りがあたしの顔ほどもあるナイフだった。
が、喉元にナイフを突きつけられながらも、でぶオジさんは慌てなかった。
「おお、そうでした。クォント・ベイ。貴方には光術が全く効かないのでした。光術の壁も、貴方には全く無意味なのですね」
「オレは何者か聞いてるんだ。さっさと答えて」
冷たい声音。いつもと同じクーちゃんの声には聞こえなくて、あたしは愕然とした。
あたしの知らない、弟の顔。
大人になってしまって、この世界に染まってしまって。
ダメだ。こんなの、ダメ。
あたしは、『あたし』に変換する。こんな時、『あたし』ならどうする?
答え。気づかない振りをして、でも……止める。
「やめなさーい!」
それでも、叫んだ声は、爆炎にかき消されて消えるはずだった。
しかし、この世界では、あたしの感情に呼応した光素が凝集して全身を包み込み、刹那、炸裂するように目映い光を放った。
すべてを薙ぎ払う光素の波動が駆け抜けていく。〈エーテル空間〉を満たす光素が水面の波紋のように揺れを伝えていく。
直後、しぃんとした静寂が支配した。
「ダメ。クーちゃん、そんな悪い子みたいなことしちゃ、ダメ!」
あたしは、弟に向かって指を突き付ける。
震えそうになる声は、強い意志で留めた。
「それにルース! 炎を使いすぎ! 足元見て! 地面が溶けてるじゃない! 今、貴重な鉱物を溶かしちゃってるんだよ? 自覚あるの?」
ルースにもそうしてお説教すると、ぽかんと口を開けてこちらを見た。
でぶりんオジさんも、こっちを見て驚いている。
そして、不意に懐中時計を取り出してあたしにむけ、ぎょっとした顔をした。
「なっ……主記憶のメーターが振り切った……?! そんな、ボスはそんな情報、教えてくれませんでしたよ! ああでも、先ほどの光素の波動は、確かに……」
急におたおたしだしたオジさん。
どうやら予想できない展開に弱いらしい。
うろたえるゆるキャラにあたしはほんの少し、ほころぶ。
「あたしはクーちゃんの、クォント・ベイの姉のリーネットです。オジさんだって、クーちゃんをいじめるなら許さないんだから」
姉らしいところを見せなくちゃ。
あたしは精一杯に胸を張り、指を突き付けた。
「いやいやいやいや、そんな事ありえません。だってそれでは、私共の計算が……いえいえいえいえ、何でもありませんよ。私共『遊戯人』はその程度では動揺しませんとも」
「遊戯人、というのはお前らの事か? お前は、共和国の追手じゃねーんですか?」
「いえいえいえいえ、違いますとも。私共はボスの名のもとに集まった、第七番目の神を信仰する『遊戯人』。共和国などと一緒にされては困ります」
ぽーん、とゴムまりのように跳びあがったオジさんは、空中でぐるぐると回転し始めた。
周囲の風が渦巻いて、まるで竜巻のようになった。
ルースは再びあたしを腕の中にかばって、上空を見上げる。
オジさんがくるくる回り、その回転で風が起きる。その風で、なんと蛍石の結晶が巻き上げられていった。
思わずルースの腕の中から手を伸ばす。
「あっ、あたしの蛍石!」
「お前のじゃねーですよ。飛ばされるから大人しくしてやがれ!」
思い切りホールドされて、今度こそ動けなかった。
「さてさてさてさて、可愛らしいお嬢さん! またどこかでお会いしましょう!」
広大な露頭にいっぱい敷き詰められていた蛍石を根こそぎ奪いさり、そのでぶりんオジさんは去って行った。




