新鉱山(3)
次の日、夕方近くなった頃に、あたしたちはグーリュネンの山に向かっていた。
案外と軽快な足取りでついていくあたしに、ルースは驚いているようだ。
ふふん、この程度の山、師匠と一緒にいくらでも登ってるんだからね!
夕日を背に、急峻な山道を登っていく。しかし、あちらこちらに花崗岩の露頭が見られ、その度に足を止めて露頭写真を撮りつつ位置をプロットしていくので、いかんせん歩みが遅い。
苛々としながらも、いちいち待ってくれているので、安心して調査に精を出せる。
「思った通り、結晶がかなり大きい……これは、間違いなく巨晶花崗岩だと思っていいよね、師匠!」
隣にいない師匠に話しかけて、目の前の岩石に視線を落とした。
ああ、なんて美しい色の長石だろう。ここだけ削って持って帰りたい。そんな結晶があたり一面に露出しているのだ。なんて場所だろう。
ますます、師匠と一緒に来たかった!
「いいから行くぞ。崖崩れがあった場所はすぐそこだからな」
ルースに猫のように首筋をつままれ、登山道に戻される。
雨があまり降らないのだろう、日本のように生い茂る植生のないこの場所は本当に調査に適していた。何しろ、温暖湿潤な日本ときたら、いくらでも植物が繁茂して地面を覆い尽くしてしまって、ほとんど地下の岩盤が露出している事なんてないのだから。
こんなにも条件のいい、広範囲に及ぶ露頭が観察できるなんて……!
異世界万歳!
再び登山道から外れようとしたあたしを、弟がひょいっと抱え上げた。
「行くよ、姉さん。どうせ10日以上はここにいる予定なんだから、何度でも来られるよ」
「でもさ、次に来たときは崩れて流れちゃってるかもしれないじゃん……」
この露頭が見られるのが、今日で最後だったらどうするのだ。
「我慢しろ、リーネット。こっちは明日の祭りまでに何とかしなきゃなんねーんだからな」
「あうう……」
「そもそもお前、発光体の正体が分かったとかなんとか言いやがって、本当だろうな?」
「あ、うん。それはたぶんだけど、これだけの巨晶花崗岩ならほとんど間違いないと思う」
と、目の前が急に開けた。
少し先で道が分断されていて、崖になっているようだ。
「さあ、ここだ」
ルースが指さした先。
半分沈んでしまった太陽の灯りを辛うじて反射する、大きな露頭が姿を現した。その切り口はかなり新しく、少し前の崖崩れで露出したってのはすぐに分かった。
そして何より、規模はどうあれ、見覚えのある形状をしている事に、あたしは安堵した。
花崗岩の中にレンズ状に入り込んだ鉱床――うん、正解だ。
「『ペグマタイト鉱床』」
あたしの言葉で、ルースが首を傾げた。
「岩石には3種類あるの。一つ目が、マグマが固まって出来た『火成岩』、二つ目は、泥や砂が降り積もって固まった『堆積岩』、それから、火成岩や堆積岩が熱や化学的な変成作用を受けた『変成岩』」
ルースは何か言いたげに眉を寄せた。
この大地は、神が作り、与えたもうたモノだというこの世界において、確かに地質学は異端だろう。そもそも、マグマどころか、プレートテクトニクスの概念や、下手をすれば大地が丸く、太陽の周囲を回っているという考え方さえあるかどうかわからないのだ。
月は3つだしね。太陽が1つでよかったよ。
「これは『ペグマタイト鉱床』とも呼ばれる火成岩の一種だよ。マグマが冷えて、『火成岩』が出来るときに、ゆっくりと冷え固まったマグマの中から、融点の低い、つまりは結晶化しづらい成分だけが取り残されていく事があるの。それを結晶分化作用って呼ぶんだけど……結晶化しづらい成分だけが残って行った結果、最後に純度の高い大きな結晶が析出してレンズ状に岩の間に挟まる事があるんだ。それを『ペグマタイト鉱床』って呼んでる」
「つまり、どういうことだ?」
「希少な宝石がここにはたくさん詰まってる可能性があるってことだよ。もしこの町がこれまで採掘に力を入れていなかったとしたら、この山は手つかずの鉱脈がいっぱい眠ってるはず」
あたしは、慎重にその崖を降りて行った。
そしてすぐに、目当ての鉱物を発見した。腰の岩石ハンマーを抜いて、軽く割る。もろいその鉱物はぽろりと崩れてあたしの手の中に納まった。
「これは何だ?」
ルースと弟に、一粒ずつ渡した。
半透明な色に、淡い紫が入っている。そして、周囲が暗くなり始めた今、その鉱物は淡い光を放っていた。
「これは蛍石って呼ばれてる鉱物だよ」
その言葉で、クーちゃんは分かったようだ。
「なるほど、昼間の太陽の光を今、放出してるわけか」
「うん、そうだよ。この鉱物はね、太陽の光……正確には紫外線のエネルギーを吸収して、貯めて、放出する性質があるの。これだけ大きな鉱床は初めて見たけど、この場所に集まってる蛍石が一斉に発光してたんだね」
徐々に周囲が暗くなるにつれ、足元の鉱石が光り出す。
とんでもなく大きな鉱床だ。ほとんどが蛍石だなんて、日本じゃまずありえない。足元から照らしだす光に、あたしは目を細めた。
山のふもとでも見えるほどの発光なんて、見たことない。
「それから――この蛍石の結晶系は、〈等軸晶系〉。たしか、この世界にはない、七番目の結晶系だよ」
「……だから、俺には分からなかったのか」
ルースはぽつり、と呟いた。
そもそも、等軸晶系が存在しないと思っているのだ。
それでは蛍石を発見できるはずはない。ただの石にしか見えないだろう。
「だがリーネット。お前はこの産状を見ることも、鉱物を見ることもなく言い当てた。それは何故だ?」
ルースの真剣な青い瞳があたしを射抜いた。
「それは、あたしが〈地質学者〉だからだよ」
あたしはその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「師匠から、どうやってこの大地が出来たのかを教えてもらった。もしかするとこの世界では、大地は神様が作ったものかもしれないけど、あたしにとっては自然が作り出したものだし、その成り立ちを地質学の手法に沿って解析することもできる。そうすれば、宝石がどこで産出するかだって予想できる」
光術を使わずに、鉱脈を発見する事が出来る。
下手をしたら、あたしが言っている事の方が『魔法』かもしれない。現実的でない、実現不可能に思えるという点では。
それでも、異端だろうと、蔑まれようと、信じてもらえなかろうと、あたしは師匠の教えを捨てるつもりはない。
これはあたしが唯一持っている力だ。
もしかすると、誰かの役に立てるかもしれない唯一の力だ。
「光術の6つの系統に当てはまらないんだったら、蛍石は光術には使えないのかもしれない。でも、『ペグマタイト鉱床』は、他にもたくさんの宝石を産出するんだよ? 例えば――藍鉄鋼、とか」
その言葉で、弟がはっと顔を上げた。
「ここに藍鉱石が眠ってる可能性もあるの?! ルース、検索できる?」
「ああ、任せとけ」
ルースが腰のポーチに手を伸ばした時だった。
淡く輝いていた蛍石が、一斉に光を失った。
「何だ……?!」
唐突に起きた現象に、クーちゃんはあたしをかばうように隣に立ち、ルースは警戒するように全身を赤の光素で包み込んだ。
あたしはオデコのヘアピンを触り、ルースのくれた守りを確かめる。
「りー姉、守りを展開しておいて」
「あ、うん、わかった」
あたしはヘアピンに手を当てて、静かにつぶやいた。
「……〈エス〉」
その途端、あたしの周囲を淡い青色の光素が膜のように覆うのが分かった。これが光術の守り。まるで、シャボン玉に包まれてるみたいだ。
「〈エルル〉!」
同時に、鋭い声でルースの光術が展開され、周囲を照らし出す火球がいくつも浮かびあがった。
その炎に照らし出された人影。
ルースは警戒を強めた。
その人影は、すっとんきょうな声を上げた。
「おやおやおやおや、どなたかいらっしゃるようですね。この鉱石の有用性に気付いているのは我々だけだと思っていましたが?」
甲高い男性の声が響き渡った。
はっと見ると、そこに立っていたのは、でっぷり太って紡錘形をしたおじさんだった。サスペンダーがはちきれそうだ。顔もパンパンで、かけているメガネが小さく見える。
その男性は、ぱつんぱつんのズボンから懐中時計のようなものを取り出した。
あれは、もしかして……
「おやおやおやおや、おやおやおやおや! これはこれは、とんでもない人々と遭遇してしまったようですね!」
その懐中時計をかざして、興奮した様子の太った男性。
「なるほど、貴方がかの『災厄児』ルース・カタストロフ! そしてそちらの彼は『異海の玩具』クォント・ベイ、とそう言うことですね! このような場所で出会えるとは、非常に光栄です」




