[閑話]マリル・エルザベル
私はマリル・エルザベル。
僭越ながら、ハーヴァンレヘティ共和国の正雷駒をつとめさせていただいております。
齢70を越え、体力的にはもう引退を考えたいのですが、元首であるキルヴェスが許してくれません。いわく、『正雷駒にふさわしい若者を見つけるまではもう少し頑張ってくれ』だそうです。
親子ほど年の違うキルヴェスにお願いされたら、無碍にするわけにいきません。
仕方がありませんので、老体に鞭打って後進の育成に励んでいます。
さて、今から3年ほど前の事、大きな時代の境目が御座いました。
今は亡きユハンヌス=ルース王国の軍部がクーデターを起こしたのです。
隣国との戦争に負け、国庫も底をつき、疲弊したユハンヌス=ルース王国に、キルヴェスを筆頭とした軍部を止める力はありません。
革命は最小限の犠牲で成るはずでした。
しかし――
追いつめられた王国は、せめてもの仕返しとばかり、最後の戦いでルース王子を戦場へ導き、超広域〈具象級〉炎光術を放ったのです。〈災厄児〉と呼ばれるほどの中央処理を有した王子は、数百の光術師を犠牲に数万の軍を焼きました。
大地は一瞬にして燃え上がり、簡単には消すことのできない光術の炎に包まれました。爆心地では生物が一瞬で蒸発するほどの熱となり、周辺では全身に火傷を負い逃げ惑う人々が追尾する炎にまかれました。城の外壁を融解させるのではないかと思うほどの熱が吹き荒れ、見ていた者たちの皮膚をも焼いたと言います。
それは具現化された地獄でした。
災厄児の名を世に知らしめるに十分すぎました。
当時、国王陛下の年老いた母君の側仕えをさせていただいていた私は、その戦場を城から見ておりましたが、とても筆舌に尽くせるものではありませんでした。
すぐに、城内にいた軍サイドの光術師にルース王子の捕縛命令が出されました。
あれだけの凄まじい光術を放った直後であれば脳疲労で動けないはず、今ならば簡単にとらえられるはずだというのが本部の見解でした。
城内にいた光術師は残らずルース王子の元へ向かいました。
ルース王子は王位継承権をはく奪され、離宮に住まうはずです。おそらくは今もその場所にいるはずでした。
しかし――
老体で足の遅い私が遅れて到着した時には、ルース王子が捕えられていたはずの離宮への道は血に染まり、光術師たちが折り重なって倒れておりました。
血の量から、皆絶命してしまっているのは一目瞭然です。
「いったい何が」
あまりの光景に口元を押さえた時、気配を全く感じなかった背後から、刃渡りの長いナイフがすっと差し出されました。
「静かにして。抵抗しなければ殺さない」
変声期を終えた少年の声でした。
私は静かに両手を上げ、戦う意思のないことを示しました。
「動かないでね。あなたが光術を発動するより、ボクが斬る方が早い」
そこでようやく、ルース王子には光術の全く効かない友人がいらっしゃったと言う事を思い出しました。王子と同い年の彼は、エーテル空間に魂を持たない〈玩具〉と呼ばれる存在で、〈最後の王国兵〉と呼ばれたジンミスカの弟子だと聞いています。
きっとこの子がそうなのでしょう。
おそらく、友人であるルースを守るつもりなのだ。私はそう直感しました。
保護するにせよ殲滅するにせよ、ひとまず、ルース王子に会わせてもらわなくてはいけません。
私はあえておっとりした口調で告げました。
「外の炎から逃れようと必死で走っていたら、ここへ迷い込んでしまったの。ここは何処かしら。私、困っているのよ」
「……おばあちゃん、この死体の山を見てその台詞、どう聞いてもおかしすぎるよ」
「あらあら、ごめんなさいね。年を取るといろんなことに鈍くなってしまうのよ」
「『鈍い』の方向、間違ってるよ」
少年はふふふ、と笑いました。
この惨劇を作り出したにしては、朗らかすぎる声でした。
その落差に、恐怖を通り越して憐れみを覚えたくらいです。この子はいったい、どんな人格形成を行ったのでしょうか。
「振り向いてもいいかしら」
「はい、どうぞ」
ナイフは降ろされ、私は振り向くことを許されました。
背後に立っていたのは、白髪赤目の少年でした。切れ長の目には理知的な光が灯っています。健康そうに焼けた肌はジンミスカの弟子らしく、羽織ったセピア色のケープも上等なものでした。
「貴方は王子を守る騎士なのかしら」
「そんな高尚なもんじゃないよ。アイツ、お人好しですぐ騙されて利用されるから、ボクがついててやってるだけ。今回も、大変な目に遭って今、倒れちゃったんだ。アイツを連れて逃げようと思うんだけど、おばあちゃん、手伝ってくれない?」
それが、クォントとの出会いでした。
クォントの話によるとルースは光術を放った反動で意識を失っているとのことでした。詳細は分かりませんが、その巨大な力を王国にうまく利用されたようです。
もちろん、居合わせたわけではない私にその真偽を問う事はできません。
が、ルースは悪くないと告げるクォントの言葉は素直でまっすぐで、私に信じてもいいと思わせる力がありました。
私は革命軍の思惑に背き、ルースを連れたクォントを手引きし、王都ヘルシンガからユマラコティ山脈を越え、西の穀倉地帯へ抜けるルートを指示しました。
「ありがとう、マリルおばあちゃん。この恩は絶対に忘れないよ」
ぐったりとしたルース王子を担いで消えていくクォントの背を見送り、ほんのりと心が温かくなったのを覚えています。
王国に翻弄された二人の少年が無事逃げおおせますように、と祈りながら。
しかし、結果的に私はこの選択を後悔しました。
戦争後、共和国からは〈災厄児〉を捉えるために追っ手が出されました。相手は一撃で数万の兵を屠った恐ろしい光術師です。当時の将軍一人を筆頭に、多くの兵士たちが彼らの潜むユマラコティ山脈へと派遣されました。
ですが、帰ってきたのは、部隊全滅の知らせでした。
彼らは、数千もいたはずの兵士すべてを屠って見せたのです。
血の気が引きました。
ユマラコティ山脈は最終的に尾根が二つ吹き飛び、追っ手は全滅。将軍含め高名な光術師が何人もいたはずですが、そのすべてが帰らぬ人となりました。
なんという事でしょう。
世間的には災厄児の仕業とされていますが、あの惨状を見た私の推測では、数千の兵士を屠ったのはクォントの方です――おそらく、友人であるルース王子のために。
私があの二人を逃したために数千の兵士が犠牲になってしまったのでしょうか。私のような、もう寿命もほとんど残されていないおばあちゃんのせいで、前途ある兵士たちが殺されてしまったのでしょうか。
私は、誤った選択をしてしまったのでしょうか。
六晶系の神に尋ねましたが、無機質な神印は何も返してはくれませんでした。
その後、私がキルヴェスから聞き及んだ話によりますと、共和国に対し圧倒的な力を示したため、共和国側から彼らに停戦協定を持ち出したそうです。
彼らはそれを承諾し、共和国の東側に立ち入らないことを条件に、中央監査としての地位を手に入れました。
もちろん、表向き、彼らが〈災厄児〉で〈玩具〉であることは伏せたまま。
それから何年たったでしょうか。
共和国が国として落ち着くころには、中央監査として働く二人の活躍を耳にすることも多くなりました。ユマラコティ山脈での虐殺以来、二人はめっきりおとなしくしているようです――いえ、最初からこちらが手を出さなければ、彼らがその鋭い牙を見せる事もないのです。
そんな中、隔世の歌姫が現れた、という噂が流れてきました。
西地域で、豊饒の大地に祝福を行った、光化種に襲われた人々を癒す歌を歌ったなど、まるで先代〈黄昏の歌姫〉様の再来のように語られました。
人々は歓喜しました。
比較的すんなり共和国に移行したとはいえ、傷つき、疲弊した人々は歌姫様の到来に期待を抱きました。これからの安定の時代を見出しました。
教会はすぐに歌姫様を首都ヘルシンガに招き、『半月揃いの夜』の儀式に参加していただくことになりました。
首都へいらした折、私も歌姫様にお会いさせていただきましたが、非常にかわいらしい女の子で、思わず応援したくなるような空気をまとっていました。光素の制御がうまくできず、まるで幼子のように感情は筒抜けでした。
淑女としては、もう少し感情を隠せるようになった方がよいですよ。
儀式のため歌姫様がいらした首都ヘルシンガは大変な盛り上がりでした。
半月揃いの夜には教会近辺に見渡す限り、人が集まったそうです。
私自身は参加できなかったのですが、皆が見守る中、歌姫様であるリーネットは祝福を行い、その光はヘルシンガを美しく照らし出したと言います。
しかし、その儀式でとんでもない事件が起きました。
半月揃いの夜には、集まった信者たちの祈りで教会の尖塔に埋め込まれた宝石がすべて光素で満たされます。何千人もの力を結集したそれは凄まじいエネルギーを持つ光術媒体となります。本来なら、その輝きを数か月間とどめ、儀式の夜を思い出すのですが……
あろうことか、その宝石を、尖塔ごと切り取って奪う輩が現れたのです。
あまりに大胆な犯行に、反応が遅れました。
実行犯は二人。
風の光術師らしい男と、聖司教様に化けて潜入していた断の光術師らしい男。
自警団が追ったものの、実行犯二人はどこかへ姿をくらましてしまったのです。
私たち、共和国の駒が駆け付けた時には、荘厳な姿を破壊された教会の大聖堂が残るばかりでした。
首都ヘルシンガの教会への攻撃は、国教であるユマラノッラ教の冒涜です。つまりは、共和国全体に対する犯行と言ってもいいでしょう。
文字通り、神をも恐れぬ所業です。
急きょ、キルヴェス将軍も首都ヘルシンガへと戻り、対策を練る事となりました。
私とキルヴェス、そしてちょうど歌姫様の護衛で首都へ帰還していた正断駒キャン・ユルキスタ将軍は執務室で額を突き合わせていました。
しかし、犯人の素性も分からず、犯人がどこへ逃げたのかも分からない。犯行は本当に一瞬で、全く痕跡が残っていないのです。そのうえ、本物の聖司教様の行方も分からない状態でした。
全くのお手上げです。
と、その時でした。
地下から、とんでもない量の〈断〉の光素が飛び出し、地下空洞の存在が露呈したのは。
間違いなく、実行犯はこの地下道を通って逃げたに違いありません。
兵士から報告を受けるまでもなく、私たちは発見された地下空間へと足を踏み入れていたのです。
そこで待っていたのは、これまで存在を知られていなかった古代兵器でした。
見たことのない鈍色の金属で作られた『吟遊詩人の方舟』――それは、吟遊詩人と歌姫にのみ起動可能な異海を渡る光術装置です。
荘厳な姿に、キルヴェスも私もユルキスタ将軍も、言葉を失いました。
こんなものが首都の地下に眠っていたとは。
しかし、それ以上に驚かされたのは、〈断〉の光素で地上まで貫いた本人と、それと対峙している者たちでした。
キルヴェスも困り果てたような声で、顔なじみに告げました。
「これは何の事態だ、ギオン?」
〈鬼才〉ギオン・メラルティン。王国時代の正断駒にして、キルヴェス将軍とは古い友人だと聞いています。この地下道を露呈させたのはギオンだと思って間違いないでしょう。
そして、ギオンと敵対する位置を取っていたのは。
金髪碧眼の青年と白髪赤目の青年。それは、ルースとクォントの成長した姿でした。
とても大きくなったのね、とほっとする心と裏腹に、理性は警鐘を鳴らしました。
ルースの腕の中にすっぽりとおさまっている小さな少女は、先日お会いしたばかりの歌姫様です。そして、目の前にあるのは『吟遊詩人の方舟』。これが何を示しているかはユルキスタ将軍が口にせずとも明らかでした。
なんという事でしょう。
国中が切望した歌姫様は、そのすべてを捨てて故郷へ帰られるおつもりなのです。
そしてなぜ、ルースがここにいるのか……歌姫様を抱きしめるルースの表情を見れば、こちらもユルキスタ将軍が口にせずとも、二人の関係は明らかでした。
明らかなのですが――念のため、キルヴェスは尋ねます。
「ルース・コトカ。他意はない、正直に答えてくれ」
「何だ?」
「リーネットと真名を交わしたのか?」
「ああ、そうだ」
ルースの言葉で、キルヴェスがあきらめの色を帯びました。
災厄児と呼ばれたルース王子。その中央処理性能は、主記憶さえ許せば世界をも破壊しかねない力です。それは、あの戦争の時に一瞬で数万の兵を屠ったことからも分かっています。
王子と歌姫様が結ばれるというのは、そう言う事です。
ルースは王国に騙されたんだというクォントの言葉を信じた私でさえ、あの日の炎の熱さを思い出して震えあがりそうになるほどです。市井の人々がこれを知れば、世界が消滅する恐怖にさらされる事でしょう。
「別に俺はこの世界を破壊したりしねーですよ」
ルースはそう言いますが、おそらく、キルヴェスはその言葉を本気でとらえることなどしないでしょう。
もちろん、真名を交わしたのが歌姫様の主記憶目当てでないことは一目見ればわかります。わかるからこそ、辛いのです。
キルヴェスも迷っていました。
先代国王ヴァル・ユハンヌス=ルース、先代歌姫イルタ・ペルホネン。二人とも、ギオンと共にキルヴェスとは旧知の仲です。その二人の息子と娘が結ばれる。本来ならば心から祝福したい事でしょう。キルヴェスが誰よりも望んだ平和な治世、その象徴のように思えたでしょう。
しかし、共和国を預かるキルヴェスは私情よりも優先すべきものを多く抱えていました。
私ごときが口を出すことは出来ませんでした。
それを解決したのは、歌姫様の意思でした。
歌姫様もまた、ルースの事を心から愛していました。
ですから、彼女は最も簡単な選択肢を選びました――人々を捨て、王子を災厄児たらしめん為だけに自らの存在をこの世界から消すこと。国民全員の期待と愛する人の安寧を天秤にかけ、ルースを選んだのです。
ルースから離れて古代兵器の元へ駆け寄ると、古代兵器を起動するための歌を歌いだしたのです。
「リーネット!」
追おうとした王子を止めたのは、クォントでした。
しかし彼もまた、泣きそうな顔で歌姫様を見送りました。
キルヴェスもルースも私も、皆が動けない中、歌姫様はまばゆい光に包まれ、古代兵器『吟遊詩人の方舟』へと吸い込まれていきました。
ただ、ルースの悲痛な叫びだけが残されていました。
愛する歌姫様の存在と引き換えに本物の災厄児になることを免れたルースに、キルヴェスは恩赦を出しました。
ただし、ギオンが共和国に属することと、そのギオンがルースとクォントの目付け役となる事を条件に。
ギオンはすぐに承諾しました。もともと、異海に関する研究さえできれば自分の身の振り方には興味のない男です。教会から盗んだ宝石群をあっさりと取り返し――ギオンを慕う組織が勝手にやった事だったらしいですが――共和国の研究所に収まりました。
ギオンに対していい感情を抱いていないらしいクォントは、庇護下に入る事にかなり抵抗しました。
しかし、承諾しなければルースとクォントがまた共和国に追われる生活に戻る、とキルヴェスに言われれば、しぶしぶ首を縦に振らざるを得ませんでした。歌姫様が存在を賭してまで残そうとしたルースの身の安全を、自分のわがままでつぶしたくはなかったのでしょう。
私が、クォントが歌姫様の異父弟でありその父親がギオンであると知ったのはそれからしばらくたっての事です。
〈異海の玩具〉と呼ばれたクォントは、その実、先代歌姫イルタ・ペルホネンと〈鬼才〉ギオン・メラルティンの血を継いだ純血のサラブレッドだったのです。もちろん、その事は一握りの人間しか知らない極秘事項です。
こうして、歌姫様はこの世界から消え、共和国には再び平穏が訪れました。
でも、本当にこれでよかったのでしょうか。
マリルおばあちゃん、と私を慕ってくれるクォントが無理して笑うのを見ながら、いつも胸にちくりとしたものが刺さるのを感じます。
お願いです。
老い先短い私が、まだ祈ることを許されるなら。
どうか、彼らの未来が幸福で安定したものでありますよう、心から願っています。
どうか、どうか。




