追いかけっこ(2)
しかし、返事するより先にクーちゃんがひょいっとあたしを抱き上げた。
ララアルノ、の名乗った少女から遠ざけるようにして。
「ダメだよ、りー姉! 知らない人に話しかけられても答えちゃダメ! 危ないんだから!」
「共和国の東の交易のほとんどを仕切ってるダン商会の娘が、何の用だっつーんですか」
ルースも、いつもの不機嫌そうな顔で割り込んできた。
でも、ララアルノという少女は不機嫌なルースを目の前にしても、全く引かなかった。
「いやー、お兄さん、おっとこまえやなあ! ダン商会の商品ポスターに出えへん?」
ぽんぽん、とルースの肩を叩く。
「その可愛らしいお嬢さんのツレ? 恋人? それとも恋人はそっちの不健康そうなお兄さんの方? まあ、どっちでもええんやけど。その〈カメラ〉とかいう製品を見せて欲しいんよ。見たことない製品のやから、もしかして西の新製品かと思てなぁ」
「駄目に決まってんだろ」
「なんでや!」
あ、もしかして、このカメラも違法製品? そういえば、このカメラを使うときに光術でのロック解除なんてやった覚えがない。
きっと、異世界からきて全く光術の使い方を知らないあたしのために、ルースが気を回してくれたんだ。
それか、ロックかけるのが面倒だっただけかも。
ルースはその少女を無視して歩き出した。あたしを抱え上げた弟も後に続いて歩き出す。
「ねえねえ、それってその子が作ったん?」
それでも少女はコンパスの違いを埋めるように早足でついてきた。
「うるせーな。ついてくんな」
「せやけどさあ、職業柄、知らん製品があると気になるんよ」
しつこく追い纏う少女にしびれを切らしたのか、ルースはぴたりと足を止めた。
そして、相棒であるクーちゃんに向かって一言。
「クォント、後で合流な」
「はーい。じゃ、りー姉、掴まっててね」
クーちゃんはあたしを両手で抱えた。あたしもおとなしく肩に手を回した。
「行くよー!」
走るのかな?
そう思った瞬間、あたしの体は宙に浮いた。
街の景色が途切れ、オレンジがかった空が周囲に広がる。
クーちゃんは、軽く跳びあがっただけなのに2階分くらいの屋根を軽々凌駕したのだ。
「……!」
嘘でしょ! 運動が得意とか、そんなレベルじゃないよ?!
もしかして光術、と思ったけれど、クーちゃんは全く光術が使えないんだった。
ぎゅっと詰まった街並みが足元に広がる。トタンやブリキの屋根が多いのは、乾燥した気候だからだろう。あちらこちらに煙突が立ち、もくもくと煙を吐いていて、どこからかごとんごとん、と重い機械の動く音がする。太いパイプが縦横無尽に走っていて、それが動脈のようにも見えた。
街が生きているみたいだ――あたしはその光景に息を止めた。
クーちゃんはそのままトタンの屋根に軽い音で着地し、そのまま屋根を駆け出した。
下を見ると、ルースも少女を振り切るべく、メインストリートを駆け出していた。
女の子は一瞬迷ったみたいだけど、屋根の上のクーちゃんは諦めて、ルースの方を追いかけた。
「あの女の子は、ルースが撒いてくれるから、オレたちは真っ直ぐ向かうね」
「どこに?」
そう問うと、白髪赤目、不健康そうだと少女に称された弟は、切れ長の目の端をへにゃんと下げながら笑った。
「国営ギルドだよ」
そうやって屋根の上を飛ぶように駆けて、最後に着地したのは丸いドーム型の屋根を持つ建物の前だった。
鉄骨を組んで作った四本の足。その上に、ブリキで作られた建物だ。ビスが飛び出た丸い壁、トタンを曲げて張ったような丸い屋根が可愛らしい。最上階は、まるで天体観測をする部屋のようにガラス張りだった。
ブリキ製の扉を押して中に入ると、中はとても涼しかった。
少し広めの空間にソファがいくつも置かれていて、まるで待合室のようだ。
「もしかして、クーラー入ってる?」
「うん。クーラーに似た光術製品があるんだ。とはいっても、すごーく高価だからこの町だとここにしかないだろうね」
並んだソファには、胸元をパタパタはたいているおじちゃんとか、騒ぐ子供たちが座っている。どうやら涼みに来ているヒトたちも多そうだ。あちこちで井戸端会議の輪が出来ているから、交流も兼ねているのだと思う。
まるで地方の公民館みたい。
「涼しいから、ここでちょっと待とうか。すぐにルースも来ると思うよ」
「はーい」
座る場所を探してきょろきょろとすると、一番入口に近いソファが開いていた。
たっと駆けて座り、弟を呼ぶ。
隣の席をポンポン叩いて促すと、弟はおとなしく腰掛けた。
「そういえばクーちゃん、さっきすごかったね! あんなに身軽にだなんて知らなかった。まるで〈ヤシチ〉みたいだったよ!」
ルースが〈コーモンさま〉なら、弟は〈ヤシチ〉だ。そうするとあたしは、役立たずの〈ハチベエ〉あたりだろうか。
「うん。オレさあ、光術が使えない分、こっちではすごく体が軽いんだよね。身体能力がすっごい上がってるみたい」
「あたしは全然変わってないよ?」
「だってりー姉は光術が使えるみたいだもん。どっちも使えたら、不公平だよ!」
でも、あたしも光術使えなくていいから、運動ができるようになりたかったなあ。そうすれば、手の届かないところにある化石をとったり、高い崖の調査をしたりできたのになあ。
そもそも、あたしに光術が使えるって言っても、使い方は全然わからないよ。
「ねえ、クーちゃん。光術ってどうやって使うの?」
「オレはわかんないよ。だって使えないもん……ルースに聞いて」
少し不満そうなクーちゃん。
ごめんね、と頭を撫でてあげたところで、入口の扉が開けられた。
ルースかな、と思って視線を向けると、立っていたのは先ほどのポニーテールの女の子だった。
「何者や、あの兄ちゃん……いくら慣れてへん街でも、うちが撒かれるはずないんに……」
一番入口の近くに座っていたあたしとクーちゃんは、隠れることも出来ずにばっちり見つかってしまった。
クーちゃんがあたしをかばうように手を伸ばしたけれど、遅い。
「あーっ! 〈カメラ〉のお嬢ちゃんや! お願い! 話だけでも聞いてくれへん?」
「ダメだよ!」
間髪入れず、弟は再びあたしを抱え上げ、座っていたソファをひょいっと飛び越した。
そして、待合室の一番奥にある扉に駆け込んだ。
扉の向こうには、待合室と同じくらいの広さの空間が広がっていた。真ん中にすすけた木のカウンターがあり、その向こうではシャツにベストのかっちりした服装の人たちが数人、慌ただしく働いているところだった。
「何か御用ですか?」
職員の一人と思われる女性が声をかけてくれる。
「えーっと、中央監査のクォント・ベイです。もうすぐ相棒のルースがくるので、ここで待たせてもらっていいですか?」
思いっきり扉に体重をかけながら。
扉の向こうから少女が叩いているようだったけれど、クーちゃんは頑として動かなかった。
職員の女性も気づいていたようだけれど、面倒だと思ったのか、そこには触れなかった。
と、その時。
扉の向こうで、再び少女の声が響いた。
そしてそれを追いかけるように響く、聞き覚えのある声。
「あー……ルース、来ちゃったみたい」
「撒いたのに、鉢合わせしたね」
「めちゃめちゃ怒ってるなあ」
弟は体重をかけていた扉を、細く開いた。
案の定、待合室はルースと少女の睨み合いで騒然となっていた。涼んでいた子供もおじちゃんもおばあちゃんも、みんなが二人に注目している。
「なるほどな。国営ギルドに来るっちゅーことは、あんたの正体、分かったわ。うちの情報網を舐めたらあかんで!」
その言葉で、ルースはぴくりと眉を上げた。
「ここんとこ、西の治安を平定して回ってる中央の人間がいるっちゅう話なんよ。ほんでもって、その中央の人間がえらい男前やゆうて、おばちゃんたちが噂しててん。せやから、あんたは――」
その言葉が終わる前に、ルースはその少女の首根っこを摑まえた。
そのままこちらに向かって飛び込んでくる。
弟がかばってくれなかったら、顔面で思い切り扉を受けるところだった。
勢いよく飛び込んできたルースに、働いていた職員が全員、手を止めてこちらを見ている。
「……お連れ様ですか?」
最初に応対してくれた女性が、ひきつった笑顔で再び声をかけてくれた。
仕方ない。だってルースは少女を後ろから抱え、口を塞いだままなのだ。明らかにおかしいだろう。
が、一番奥に座っていた男性が、不意に口を開いた。
「何だ、ダン商会の針鼠娘じゃねえか。どうせまた面倒事を起こしてんだろ。おい、中央監査サマのために、奥の会議室を一つ開けてやれ」
疲れ切った顔をした初老の男性。髪は白かったが、声の調子に張りがあり、口調や雰囲気は若々しかった。座っている位置からして、この中で一番偉い人なんだろう。ぼさぼさに伸びた白髪の向こうに、エメラルドと同じ色の瞳がのぞいた。
机の上には大量の書類が積まれていて、その処理を楽しく思っていないのはその表情から明らかだった。
「……お気遣いどーも」
ルースが苦々しい表情で受け、あたしたちは奥の会議室へ通された。




