誘拐(2)
もともと王族の住む城であった中央議会の本拠地は、濃い色の大理石で出来たお城だった。純白の大理石で出来た教会とは異なり、重厚で落ち着いた雰囲気の建物。
中央議会の会議室が集まる中央棟を中心に、あたしのようなお客様がやってきた時にお迎えする迎賓館や宿泊施設、小さいながらも城内に教会があり、衛兵たちの詰所などもそろっている。ここだけで一つの町のようだ。
キャンさんの先導で迎賓館の一室に通された。
過度な調度品のない落ち着いた部屋に通され、アンティーク調のふかふかの椅子に座って、隣の椅子にカゴから出したオンちゃんを座らせる。窮屈だったのか、オンちゃんはぶるる、と体を震わせた。手櫛で毛並みを整えてあげると、嬉しそうに目を細めた。
「申し訳ありません、歌姫様。キルヴェス将軍は会議中ですので、少々お時間いただきます」
キャンさんは給仕の女性にコーヒーを頼み、ついでにお砂糖とミルクも持ってくるように言ってくれた……あたしがそうやって飲んでいたのを覚えていてくれたみたい。
あたしとリーダーの事を共和国に黙ってくれているし、思ったより面倒見がいいし、案外と優しい人ではあるのです。
キャンさんとお茶を飲みながらオンちゃんについて話した。
彼にはここまで知られたら、いっそ味方につけた方がいいと判断したからだ。
光化種の生態や行動学が専門だという彼は、おそらくオンちゃんとクーちゃんに起きている現象を解明するのに一番近い場所にいる。二人がまだつながっている以上、お互いの感情の流れでどんな影響が起きるのか分からないのだ。
何か起きてからでは遅い。
オンちゃんはきっと、とんでもなく大きな力を持っている。光化種である事を加味すると『災厄児』と呼ばれたリーダーより危険度は高いかもしれない。
異海から落ちてきたあたしたちに対抗策はない。例えば最初にこの世界にオンちゃんが落ちてきた時のように、我を忘れて暴走してしまった時に、強力な光術により討伐以外で暴走を防ぐ術がないという事態は避けたいのだ。
「オンさんは基本的に〈断〉の光素を主軸とし、断の神獣と同じハイリタの形を借りた光化種です。しかしながら、現在までに六属性の光術を使用できることを確認しています。現存するハイリタと同じですね。目の色の数と同じ光術の素養があります」
キャンさんはオンちゃんの目を無理やり一個ずつ開けさせて、全色あるのを確認した。オンちゃんが嫌がって威嚇したけれど気にしていない。
「さらにその上、『透明色』になるというお話がありましたが……実は19種以外の光素の存在は、確かに以前から示唆されていました。ただ現状、視覚に頼って光素の観測を行ってきた我々には存在を明確に認められないのです。感覚的なものとして捕えられる方はいらっしゃるのですが、光術学的にそれでは存在を確認したことにはなりません」
「観測できそうなあてはあるんですか?」
そう問うと、キャンさんはにっこり笑った。
「そちらは光術学の先端研究所の管轄になりますので、オウルの総合研究所ではなく、首都ヘルシンガの北東にあります放棄の町〈ユーカ〉の隣、研究都市〈トゥルク〉の先端研究所で行われている観測機器での光素探知が可能となれば、状況は劇的に変化するでしょう。そうなれば、現在〈個体検知〉の通用しないオンさんに対する分析も可能になるでしょうし、もしかすると本体であるクォントさんとの関係も明らかになるかもしれません」
なるほど、研究が進歩すれば透明な光素の事も分かるようになるかもしれないんだね。
「クーちゃんもちゃんと、聞いておいてね」
きっと近くにいるはずのもう一人の弟にも声をかけておいた。
首を傾げたキャンさんにはへらりと笑って誤魔化し、続きを促した。
「透明光素については、諸説あります。例えば、異海。今のところ、地下に存在する〈クラデールン境界面〉はエーテル空間において光素の存在する空間と存在しない空間の教会とされていますが、もしかするとそうではなく、透明光素の割合が急激に増加するポイントであり、異海自体が透明光素に満たされているのではないかという説もあります」
「異海が透明光素で満たされてる?」
「ええ。そういった説もあるという事ですよ。もし、クォントさんが……というよりも、クォントさんとオンさんの体と魂が異海を渡ってきたとしたら、透明光素に侵食されていてもおかしくないかもしれませんね……まあ、これは何の根拠もない、これから証明するつもりの私の仮説ですが」
クーちゃんの魂が、透明光素に置換されているというのだろうか。
まるで脊椎動物の骨構造が石に置換されて、化石になるように。
「他にも神学分野では、ユマラノッラ教の経典の最初に出てくる始原の存在が第七番目の属性の神なのでないかという突拍子のない説までありますよ。遊戯人という集団の話を聞いた時から、心当たりがありました。無論、この説はハーヴァンレヘティ共和国においてかなり異端ですから、ほとんどの方はご存じないでしょうね」
七番目の属性の神。19種以外の透明光素。異海を渡って出来た『玩具』。
あたしの中にバラバラと跳び散らかっていた知識が少しずつ繋がっていく。あたしの中で断片的だったものが一つのラインで結ばれていく。
まるで地質調査によって少しずつ明らかになった事実が結ばれ、事実を指し示すように。
心臓がドキドキと大きな音で鳴り響いている。
「しかし、その遊戯人という集団は、もしかすると我々、国立光術学研究所のものよりもずっと進んでいるのかもしれません。だとすれば、ぜひとも会ってみたいですね。特に、その遊戯人のボスという人物には並々ならぬものを感じます。そう、まるで往年の鬼才ギオン・メラルティンのような……」
キャンさんはそこでうっとりと目を閉じた。
「その……ギオンさんという方は、今はどちらにいらっしゃるんですか?」
あたしの言葉で、キャンさんが顔色を悪くした。
「……現在は行方不明です。十数年前、彼は王立研究所という、現在の国立光術研究所の前身となった研究所の若き所長に就任しました。研究所で数年かけて現在の文明を覆すような研究成果と新たな光術製品を開発した後、不意に姿を消しました。おそらく研究事故だろう、というのが共通見解です。と言うのも――彼が最後に手掛けていたのが、異海を渡る技術の開発であったためです」
「異海を渡る技術?!」
あたしは思わず大きな声を上げていた。
異海を渡る技術に覚えがあったから。
あたしとクーちゃんがこの世界に落ちる事になった原因。あの日、向こうの世界に現れた『誰か』。この世界の先代の歌姫であるあたしたちの母親を探しに来たというあの人――クーちゃんの話が本当なら、歌姫であるあたしを狙う遊戯人のボスと同一人物。
でも、ギオンという人が異海を渡る技術を研究していたって事は……異海を渡ってあたしの母親を迎えに来た人は誰? もし、ギオンという人が開発した数々の光術製品が向こうの世界の者だとしたら、じゃあ、その人はずっと異海を渡る術を探していたの?
そして、あたしたちを巻き込んで異海を渡ったの?
急激な情報の交錯に、あたしは混乱した。
いや、まだ分からない。ギオンって言う人が単純に遊戯人に所属しているだけでそのボスとは別人かも知れないし。
動揺したあたしを、オンちゃんがじっと見上げている。
その視線でようやく落ち着いた。弟に動揺を見せちゃダメだ。あたしの中の姉のプライドが何とか平静を保たせる。
うん、大丈夫だよ。
大丈夫。
オンちゃんを膝に乗せて撫でていたら落ち着いてきた。
「ともあれ、我々にとっても透明光素というのは最先端の技術なのですよ。光術製品にしても光化種の生態学としても、神学にしても、最もホットな分野と言えるでしょう。私がオンさんに興味を持つのはそのためです」
「よかったね、オンちゃん。最先端だって」
「嬉しくないよ……研究材料にされるのは好きじゃない」
「でも、分かったら元の姿に戻れるかもよ?」
そう言うと、オンちゃんはちょっと黙った。そりゃ、誰だって人間に戻りたいよねえ。
子犬の姿は可愛いけど、そのまま一生過ごすのは大変だ。
その時、部屋のドアをノックする音がした。
軽く耳元を押さえたキャンさんが立ち上がって扉に向かった。
扉に手をかけ、開く前にこちらに向かってにっこりと笑った。
「歌姫様、オンさん。キルヴェス将軍がいらっしゃったようです。大丈夫、堅苦しい方ではありませんので、緊張なさらずありのままで接してあげてください」




