首都ヘルシンガ(2)
聖司教様はあたしたちを連れて教会を案内してくださった。
「歌姫様、ご一緒に参りましょう」
水色の髪をした少女が嬉しそうにあたしの手を取って教会の中を歩き出した。弾むような足取り、その様子がとても微笑ましくて、あたしは思わず綻んだ。
最初に足を止めたのは、正面の大祭壇だ。
「こちらは中央祭壇です。それぞれの神印と神獣のタペストリーを奉っています。お祈りにいらした人々は、神獣の欠片である宝石を奉納し、それぞれの神に祈るのです」
そう言われて見てみると、祭壇の床は色とりどりの宝石がぎっしりと敷き詰められていた。
きっとお賽銭のように宝石が投げ込まれていくに違いない。
ふっと見ると、両手を組んで跪く、信者の姿があった。その横顔は真剣で、一心に神に祈りを捧げているのが遠くからでも分かった。
「このタペストリーを奉納したのは、今から200年前のユハンヌス=ルース国王です。当時の技術のすべてを詰め込み、多くの宝石を縫い込み、完成したのがこのタペストリーです。素晴らしい芸術作品でしょう?」
神獣のタペストリーをよく見ると、神獣の目や爪には大きな宝石が使われている。目の細かい鮮やかな織物。この一枚でどれだけの価値があるというのだろう。
芸術に疎いあたしでも、このタペストリーの素晴らしさが分かる。
「本来なら、共和国が成立した時点でユハンヌス=ルース国王から奉納されたこのタペストリーは撤去されるはずでした。しかし、芸術に罪はないとキルヴェス・タルヴェラ将軍がおっしゃってくださったお陰で、今も私たちはこのタペストリーを見ることが出来るのですよ」
少し頬を染めながら言う聖司教様はとても可愛いらしかった。きっと、キルヴェス・タルヴェラという人を尊敬しているんだろうな。
あたしは――どうだろう。
クーちゃんが将軍の事をあまりよく思っていない事や、リーダーやメリィを処刑しようとしている事を考えると、あまり前向きな感情は持てないかもしれない。
それでも、素敵でしょう、とキラキラした金色の瞳で笑いかけてくる少女には、そうだね、と答えた。
いつしか聖司教様はあたしに腕を絡め、もたれかかるようにして歩いていた。
警戒心のない子だな。聖司教様って偉い人だと思うけど、大丈夫なのかな?
でも、小さな妹が出来たみたいであたしも悪い気はしない。
弟も可愛いんだけど、女の子も可愛いよねえ、なんてにまにまと相好を崩していたら、オンちゃんが冷めた目でじぃっとこっちを見ていた。
あれ、もしかして嫉妬かな?
幸せなあたしは幸せな勘違いをしながら幸せに浸っていた。
聖司教様に一通り教会の中を案内してもらい、夕刻にはお別れした。
聖司教様はあたしたちと一緒がいいみたいだったけど、おつきのシスターさんが冷ややかな言葉と共に問答無用で回収していった。
私たちはそのまま教会に宿泊することになった。教会の一部が神職者たちの寝泊まりする場所になっているので、『半月揃いの夜』の儀式が行われる3日後までそこにお邪魔することになったのだ。
総大理石の建物の宿泊施設という事で冷たい印象を持っていたけれど、全くそんなことはなく、民族柄のタペストリーやカーペットが敷き詰められた色彩鮮やかな部屋が当てられた。
「ずいぶん豪華なんだな」
オンちゃんがきょろきょろと部屋を見渡しながらそう言うと、荷物運びをしていたカイくんが答えた。
「ユマラノッラ教の総本山だからな。黙っててもお布施が集まるんだろうよ」
いつもの調子で答えたカイくんに、隣にいたオウルのシスター、キヴァさんがぺしんと後頭部を叩いた。
「歌姫様に対して失礼な言葉遣いをやめなさい、カイ・コウル。貴方、そんな子じゃなかったでしょう?」
いや、たぶんこっちがカイくんの素だと思うよ……。
あたしはその言葉を飲み込んだ。
カイくんも、ぐっと言葉を飲み込んで、愛想笑いしていた。
「それよりも歌姫様。明日からは大変ですよ。早朝の礼拝で皆にご挨拶、その後は朝食、朝食が終われば昼までは3日後の儀式の準備です。歌姫様は儀式用の服をお持ちでないですから、体格の似た者の儀式服を借りてお直しをすることになります。午後からは聖司教様とお茶会、夕方からは中央聖堂の主な出資者へのご挨拶と、夜は晩餐会となります」
途中から聞いてなかったけど、明日はなんだか忙しそうだという事だけわかった。
あたしは言われるがまま動くだけだ。
「明後日も早朝の礼拝から、午後には共和国の中央議会へ出向くことになります。もちろん、歌姫様は正式に中央聖堂の所属と決まったわけではありませんので、挨拶は略式となりますが、おそらく将軍もいらっしゃるでしょうからしっかりとご挨拶なさってくださいね」
「はぁ……」
明日だけじゃなく、明後日も忙しいらしい。
あれ、せっかく首都まで来たのに、観光とかないのかな? 町の中を見て回ったり、周辺の地質を調べたり、いろいろしたいんだけど。
キヴァさんはてきぱきと予定を述べていく。
「3日目は、今回の主目的である半月揃いの日のお祈りです。本番は夜ですが、昼間に綿密に練習を行います。歌姫様は、その儀式を以て中央聖堂への所属が認められることとなります」
あれ、あたし、中央聖堂に所属したいなんて言ったっけ? いつの間にそんな話になってるの?
分からないことだらけだけれど、キヴァさんの口調から察するに、当たり前の事のようだ。もしかしたら、来る前に誰かが教えてくれてたのかなあ。それとも、当たり前すぎて教えてもらえなかったのかな。
中央聖堂に招かれるという事自体が、中央聖堂への所属を促すのかも。
でも、タイミングを失ってしまって、聞き返すことが出来なかった。
キヴァさんは話しながらもてきぱきとベッドメイクを行い、ぽん、と枕を叩いた。
「さあ、明日に備えて歌姫様も早めにお休みください」
にっこりと笑われると返す言葉もない。
あたしは、ただ頷く事しかできなかった。
キヴァさんとカイくんが部屋を出ていってから、お行儀悪く靴を履いたままベッドに倒れ込む。
「……何だかあの人、押しの強い人だね。ボク、ちょっと苦手だ」
オンちゃんがキヴァさんの出て行った扉を見て、ぽつりとつぶやく。
「でも頼りになりそうだよ。あたし、スケジュール管理とかぜんぜんダメだもん」
数学という科目自体ははそこそこ得意なのだけど、時間の勘定とお金の勘定だけは何故だかとっても苦手だった。
オンちゃんは、ふん、と鼻を鳴らすとあたしの顔の横に伏せをして丸まった。
「第一、何、あの聖司教とかいうヤツ。ちょっとりー姉に慣れ慣れしすぎない? チビのくせにさぁ」
「聖司教様?」
確かに、教会を案内してくれるときに手を繋いだり、腕を組んだり。祝福の時にとっても近かったり、挙げ句に別れ際、額にキスしてくれたりしたけど。
まだ10歳くらいの幼い女の子なのだ。とっても可愛いと思う。
中央聖堂の聖司教様、ルミ・ヴィルヴァ。おっとりと穏やかで、水色の髪がさらさらで、笑顔の愛らしい少女だった。身長があたしと同じくらいだっていうのも親近感の湧いた理由の一つだ。
「妹がいたらこんな感じかなあって思ったよ」
「妹?」
オンちゃんはそこでぴんと尻尾を立てた。
「違うだろ。あいつ、男だぞ? それも、子供って年齢じゃない」
「え?」
びっくりして目を見開くと、オンちゃんはため息をついて布団に沈んだ。
「どうしてりー姉ってさ、光素に対する感受性は高いのにそんなにすぐ騙されるわけ? あいつ、『鏡』みたいに水の光素を凝集させて、あの姿を映してたんだよ。あの姿、っていうのも変か。おそらく、ボクとりー姉が見てるものは違うから」
「え、嘘、じゃあ聖司教様は……?」
「クォントより年上の男だよ。りー姉にばっかりニヤニヤしやがってあのロリコン……次に会ったら集中して見てみるといい。すぐ本来の姿が見えるから」
 




