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用語解説A

年表とか作戦とか。


日ソ戦争(第2次日露戦争とも)

欧州戦争も終わりを迎えた1945年4月7日(史実の大和戦没日)に発生したソ連邦による北海道侵攻に伴う戦争。北海道戦争や第2次日露戦争とも言われている。


北海道の戦い

ソ連軍の圧倒的兵力に日本国防陸海軍は大きく苦戦するも、敗戦下のドイツ軍から転属した義勇兵などの参加もあって、何とかこれを退けることに成功している。


岩手沖海戦

日ソ戦争の2大海戦の一つ。帝国とソ連の大艦隊が最初に衝突した海戦。

非公式名称は遂1号作戦であり指揮を執った西村中将の精神をすり減らしたと1960年代に発表された西村祥冶元連合艦隊司令長官の手記に書かれていた。


天一号迎撃作戦

東シナ海で実施されたバルチック艦隊殲滅作戦のこと。

当時、旗艦であった戦艦大和には非理法権天とZ旗が掲げられていたと言う。

連合艦隊と陸海軍航空隊大きな被害をこうむるも、襲来するソ連バルチック艦隊を海の藻屑へ変え、1945年のクリスマスにルーズベルト死去に伴い就任した新大統領は反ソ派だったので、故にドイツ戦とは協力するが対日戦は協力しないと言う後ろ盾を失ったソ連を講和せざるを得ない様にするなど大きな効果を見せた。


来号作戦、海軍の霹靂事件

日ソ戦争中に実施された国民救出作戦。詳しくはくらま先生の作品を参照。

海軍の霹靂事件も同様で、この事件についても来号作戦で語らえている。


大島・小島奇襲作戦

日ソ戦争中盤に水上機母艦及び魚雷艇で実施されたソ連潜水艦基地奇襲作戦。

詳細はゆうき先生の作品でその顛末が語られている。


欧州戦争

独ソ間で発生し、米英がソに肩入れした、1945年まで続いた戦争。

なお、帝国は中立国スペインと共に英独両陣営の技術を吸収している。

(故に日西軍事装備転移協定が結ばれ、最上型重巡や蒼龍型空母が輸出されている)


満州戦争

日ソ戦争中にソ連と中華民国の間で発生した国境紛争。

この戦争に際して帝国は中華民国に対して援軍を送り、ソ連軍と交戦している。

ケーニヒス・ティーガーさんの作品でその戦場が描かれている。


朝鮮半島動乱

日ソ戦争復興のために1947年に自治を行い始めた朝鮮半島で発生した動乱。

日本は米国と共同で、38度線まで国境を戻し、韓国軍を支援した。


太平洋防衛条約(PDTO)

シドニーで帝国が当時の同盟国タイに加え、台湾での独立を確約した南東中華共和国、広東へ臨時政府を移設した中華民国、豪州、英州各国、米国と締結した国防条約。相互武器提供などがあり、ソ連を太平洋で抑える上で大きな意義があった。


矢村理論

1954年に帝国海軍の造船技官である矢村健二大佐が発表した軍艦の大きさに関する理論で、タンカーなどの民用船舶と違って軍艦は12万tが限界だとした理論。

当時は10万tが限界とされていたので支持されたが、ハボクック氷山空母の事例を考えればこの理論が荒唐無稽であるともされており、真相は歴史の闇である。


東南アジア大戦

1950年代から1975年まで続くベトナム、タイの間で発生した紛争。

カンボジアやベトナム、タイ東部にラオスなどが主戦場で、この戦争が原因で帝国で無能な左派政権が誕生するなど大きな問題が起きたのである。

当然、海軍を中心に日本もベトナム戦争に参加している。


福岡講和条約

1974年に北ベトナムと独自に交渉を進めて国交樹立に成功した日本が主導したベトナム戦争の停戦条約。1975年9月のサイゴン脱出作戦であるフロー作戦直前に発効され、それ以後の日米豪の南への支援、ソ連や北東中華人民国による北への援護が禁止され、2か月後には北主導の統一がなされたのである。

(1976年以後は90年代までの米越関係は史実と同じ。日本は史実通り医療援助などを行っている)


湾岸戦争

史実と異なり8隻にもなる戦艦の艦砲射撃と空母機による空襲でイラク政府軍の戦意を削ぐことが出来たので損失者数は少ない。


モスクワ軍縮条約

1995年にモスクワで行われ以後、東京、ワシントン、ロンドン、パリなど議場を変えて行われた世界的な軍備縮小計画で、具体的には戦艦保有数や戦略爆撃機の保有に関する制限が行われている。国防空軍ではこの条約を盾に運用費が激しく嵩む富嶽を一時的に退役させることにしていた。

モスクワ条約による弾道弾の通常弾頭弾所有数が各国ともに制限がなされた。

(米露は最大4000発まで、英仏日と中華3国は1000発、その他500発まで)


人民党

日本人民党とも。史実社民党相当の政党。

1945年の東京駅で発生した連続殺傷事件の主犯が所属していた組織。

日ソ戦争後半に山辺法務次官(後の首相)が事件解決に全力を尽くし、壊滅させたが残党が70年代のベトナム反戦に乗って台頭。裏人民党とも言われるほど関係の良い政平党が一時期、政権を握り国防費などを削ったりしたが、ソ連のアフガン侵攻時も抗議する事無く傍観を決め込むなどし、国民の信頼を喪失し、政権から転げ落ちた。その後も少数人数で国会内に議員を残し、2006年の日韓戦争時には池島水子議員がテロリストのリーダーと発覚、首都防衛近衛師団や首都警によって壊滅状態にさせられた。一応、史実通りに共産党も存在する。

2006年以後は完全に解体されている。


残党は現在もテロリストに指定されており、最近第14代党首が逮捕されている。


日韓戦争

2006年に勃発した九州戦争のことを指す。九州動乱の舞台です。

対日強硬派であった金武軍大統領が画策し、賠償金を掠め取る為に行った半月の戦争ではあったが被害は北海道紛争に匹敵。日本経済に与えた被害は計り知れない。

なお、この戦争の停戦交渉はシンガポールやホー・チ・ミン、モスクワなどの各国で行われ、最終的にシドニーで停戦が決定し、翌日には締結されたのである。


シドニー停戦条約

日韓両国の間で締結された停戦条約。

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