前編に登場する帝国海軍の装備
海軍の装備です
日本海軍
特殊艦
鳳翔
連合艦隊司令長官時代の山本五十六の提案で指揮統制艦に改修された。
長10㎝砲4基と搭載機に6式垂直離着陸機2機を搭載している。
各種レーダーや通信装置がギッシリ詰まっているので浮かぶ司令部と呼ばれた。
平時は練習艦としても運用可能。
龍驤(対潜水艦ヘリ母艦)
練習空母から改修された対潜水艦用のヘリ母艦。
くらまさんの作品である来号作戦で登場します。
千歳(ドック型揚陸艦)
龍驤と同じで、ヘリ母艦的な改修を実施している。
のちにドック型揚陸艦となる。
空母
赤城・加賀
概ね史実通り。ただし20㎝砲を撤去し、高角砲を長10へ変更している
蒼龍型空母
蒼龍と飛龍が建造されている。ただし飛龍は左に艦橋がある。
理想的な中型空母と言われる反面、防御力に泣き所があったので40㎜の装甲板を下層格納庫と上層格納庫の間に設置し、防御力向上を務め、弾薬積載量を減らした。
後に戦争中に雲龍型空母が多数建造されている。
尚、葛城以降(葛城級とも言う)はアングルドデッキと舷側昇降機を採用するなど新機軸を盛り込んでおり、戦後の帝国空母の基本形となっていく。
射出機搭載によりジェット機対応こそ出来たものの、搭載機はA-4やF-8と言った戦力になりにくい機体のみであり1970年代には退役し、時の国防相であった艦長経験者であった加来止男帝国議員の提案で練習空母への改修がなされていた蒼龍及び飛龍を残して全て売却もしくは解体されている。なお、スペイン空母デダロは六甲の、タイ海軍空母クルンテープは天城の後身で、アルゼンチン空母ラ・プラタが葛城の後進であり、ラ・プラタはアルゼンチンが敗戦したとはいえ、フォークランド紛争でエグゾゼ搭載のミラージュF-1戦闘攻撃機及びA-4攻撃機による決死の攻撃でシェフィールド級3隻とフリゲート4隻撃沈の戦果を挙げている。
なお、ラプラタ自身はその帰途に英軍の敷設した機雷で沈没している。
(雲龍型は雲龍、天城、瑞龍、葛城、黒龍、六甲、鳳凰など)
翔鶴型空母
史実通り。ただし長10を高角砲として搭載している所が史実と違う。
同型艦として神鶴、大鶴の2隻も建造中であり、今後の海軍の主力を担う空母だと言われている。一応60年代には対潜空母へ改修されたが、F-4の運用は大鳳共々困難とされ、琉球型と違い82年には同名級艦に名を譲り現役を退いた。
大鳳型空母
史実通り。ただし2番艦神鳳が建造され、3番艦以降の計画もある。
やはり母体が蒼龍拡大型であるので、琉球と違いF-4は運用できなかった。
琉球型空母
山口多聞中将の強い要請で大和の船体を元に建造した装甲空母。
装甲が甲板などに施され、開放式格納庫を持ち、舷側昇降機を有するなど米国からの技術提供を多く受けた設計が大きな特徴だが、同型艦は日ソ戦争終結後に就役し、間に合わなかったと多くの方面から批判を買った。
因みに後期型は戦時中に喪失した尾張と紀伊を復活させることで帝国の戦後対ソ政策を極端に示していた。飛騨以降はジェット化された震電22型を搭載した。
冷戦中にその存在は大和級戦艦共々日本海でソ連艦隊を大きく怯えさせた。
また、その大きな船体ゆえに1970年代にはF-4EJ戦闘機やF-14も搭載するなど国産の巨大空母2号、翔鶴(Ⅲ)登場後も巨大空母として君臨し続けた。
(同型艦 琉球、飛騨、尾張、紀伊)
戦艦
大和型戦艦
武装や速度に排水量などといったスペックは史実通りだが、搭載機は零観から強風水上戦闘機及び6式垂直離着陸機に変更されている。
同型艦は大和、武蔵、信濃、紀伊、尾張、伊豆で、紀伊と尾張は戦時中に喪失。
3番艦信濃以降は副砲を廃止、高性能多用途砲である長10㎝砲14基に変更する予定だったが、信濃と異なり紀伊尾張は長10が間に合わず12.7㎝14基となり、伊豆に至っては長10を8基に減らし、5式対空誘導弾を2基搭載している。
また冷戦末期にはVLS搭載改修を施し、大和、武蔵、信濃、伊豆の4隻の存在は米国からはソ連艦隊を日本海に押し込める抑止力として機能したことが高く評価され、ソ連からは東シナ海の悪夢の再来を避けるべくキーロフ級巡洋戦艦を多数建造しなければならないほどのトラウマの元となったのである。
7,8番艦は米国に経済援助の引き換えとして売却、モンタナ、フロリダとして米海軍の象徴的存在として朝鮮・ベトナム両戦域で獅子奮迅の活躍を見せた。
長門型戦艦
八八艦隊計画の最初の戦艦。史実通り同計画は破産している。
1939年に欧州情勢が緊迫すると最悪の事態に備え、防御力強化と同時に機関出力を8万馬力から12万馬力へ向上させ、武装や外見は史実通りながら、速度に関しては29.5ktの高速戦艦へ生まれ変わっている。
また、主砲は条約後を見据えて設計した89式45口径40㎝砲へ変更し、装甲についてもインターナルアーマー形式に変更し、305㎜でありながら410㎜クラスの耐弾性能を持たすなど攻防性能も向上している。
陸奥は1943年6月8日に発生した左舷14㎝副砲弾薬庫小火事故(※1)後、同砲塔を撤去、従来の40口径12.7㎝砲を4基から長10㎝高角砲8基に変更し、戦艦全体で最も高い防空能力を得た。
(※犯人は鳩島史夫の息子と交友があったと海軍省から協力要請された司法省の山部司法次官の調査で判明している)
2隻とも1963年まで砲艦外交用に練習艦として在籍していた。
金剛型戦艦
帝国海軍最初の超弩級戦艦。概ね改修は史実通りで、比叡は大和の試験艦。
史実では日本戦艦の中で最も火力が弱いと言われたが、本作中では36㎝45口径毘式砲を98式36㎝50口径砲に換装し攻撃力を高めている。
1952年に霧島は後部砲塔を6式ミサイルの後継である51式対空ミサイルの発射機に交換し、実験艦として1957年まで在籍した以外は1951年に退役。
扶桑型戦艦
史実通り最の問題はいまだに抱えているが、主砲を金剛と同じく98式36㎝砲に換装し、攻撃力は大幅に強化している等、打撃力としての存在は大きい。
戦争で2隻とも喪失。
伊勢型航空戦艦
1939年に日向で事故が発生し、その修復時に当時の松田艦長が提案した水上機戦力を投射可能な多目的戦艦に改修するプランが採用され、改修された。
ついでにこの艦も98式36㎝砲を備えている。
座礁や触雷などがあったとは言え1959年まで一応、練習艦として在籍。
大雪型巡洋戦艦
帝国唯一の条約後型戦艦。金剛を凌駕する性能を持つが、長門よりは低い。
微妙な存在とも言われているが、大和らが動けない時には活躍を見せた。
重巡洋艦
古鷹型重巡洋艦
老朽化が著しいので北方防衛艦隊へ組み込まれているが、戦争序盤に喪失。
青葉型重巡洋艦
古鷹型よりは老朽化が遅れていたので近代化改修で4基の12㎝単装高角砲を長8㎝連装砲に換装し、能力向上を図った。誘爆防止の為に魚雷次発装填機構は廃止。
石狩市砲撃作戦などに参加し、ソ連巡洋艦相手に善戦したが、青葉は撃沈した。
妙高型重巡洋艦
史実通りに建造されている。改修も概ね史実通りに行われている。
那智以外全て喪失するが、その活躍ぶりは見て取れた。
唯一喪失を免れた那智は練習艦に改修されている。
高雄型重巡洋艦
史実通りかと思われるが、自動化と長砲身化を図った3号20.3㎝連装砲(55口径)を搭載し、射程及び攻撃力の向上を図っている。戦後は砲艦外交の旗手として東南アジアなどに長きにわたり展開している。
昭和21年2月1日には愛宕艦上で降伏調印式典が行われている。
戦後はターター対空ミサイルを旧後部高角砲の代わりに装備し、76㎜連装砲を前部高角砲に代わって装備し、飛行作業甲板はヘリ甲板へ変わったものの、往年の対地及び水上火力は維持されている。
最上型重巡洋艦
史実通り。ただし演習中に三隈と最上が衝突し、航空巡洋艦へ改修された。
最上及び三隈は伊勢型航空戦艦と後述の利根型航空巡洋艦とともに第4航空戦隊を形成し、戦時中は主に上陸支援などに就いた。
鈴谷、熊野は青葉、衣笠と戦隊を組んだが、青葉の戦没に伴い練習艦へ変更。
戦後すぐに鈴谷、熊野も退役。最上、三隈はスペインに輸出されている。
(スペイン時代は活躍は無く、1974年まで現役を続けている)
利根型航空巡洋艦
実験艦的な任務があり、先進的なレーダーやソナーを搭載している。
55口径20.3㎝砲4型(全自動装填方式)と長10㎝搭載以外史実通りだが、それ以外にも強風水上戦闘機と瑞雲水上爆撃機を合計9機搭載し、水上機母艦的な任務も可能。
戦争後半に筑摩が損傷修復の際に簡易格納庫を増設。6式哨戒機を搭載し、戦後のヘリ搭載型艦艇の先駆け的な存在となった。
戦後は20㌢砲を1基に減らした代わりに米国製の76㎜連装砲4基(後にオ式76㎜速射砲へ換装)に対空誘導弾テリア発射機を備え、イタリアのV・ヴェネット級のカウンターパート的存在として1997年まで在籍し続けた。
なお、最終時にはVLSを搭載していたなど大型の船体は有効だったという。
軽巡洋艦
5500t型
球磨から那珂までの多く艦が防空巡洋艦へと改修され、防空任務や船団護衛に参加し、日本陸海軍の作戦を根底から支えた。史実と異なり川内型5番艦湧別が存在。
由良、鬼怒、阿武隈の3隻は英国から購入した新型ソナーヘとヘッジホッグ飛翔爆雷を装備し、強力な対潜攻撃能力を有している。
夕張
特に史実と変わらないが、無理な設計がたたり戦中に酒匂就役と同時に特務艦籍に移り、掃海母艦の研究などに従事し、戦後の掃海装置開発に大きく貢献している。
戦後は沿岸警備局の旗艦的存在として沿岸防衛や同局局員育成に貢献した。
2番艦は戦闘艦としては珍しく戦後は武装などの撤去の末、貨物船として運用されている。
阿賀野型
史実と同一のスペックで建造されたが、15.2㎝砲は完全電動型へ変更し、速射性や対空性能は史実より向上したと言える。新造時からボ式40㎜機銃を搭載。
よく同型艦と言われている酒匂はミサイル搭載艦として建造され、別に酒匂級とジェ●ン年鑑などに示されているが、謎は多い。
戦後、建造中止となっていた7~10番艦が建造再開、タイ及び独立直後のインド海軍へ売却され、両国の関わった紛争において活躍している。
鹿島型
史実通り練習巡洋艦だが、船体を軍艦構造とし、30㎜の装甲で覆っている。
武装は史実通りの15.2㎝連装砲及び12.7㎝高角砲1と追加装備の爆雷投射装置2と4連装魚雷発射管2に加えて6式垂直離着陸機の運用能力を持つ。
一応、同型艦が多数生産されてタイやインドの海軍へ引き渡された。
大淀・仁淀
史実と異なり最初から連合艦隊の指揮用に建造された。
武装は史実通りだが、射出機を撤去し6式回転翼機の発着を可能とした。
同級を発展拡大させた四万十型軽巡洋艦(15㎝砲5基+10㎝4基)も就役。
(四万十型はベトナムへ派遣され、米巡洋艦とともに艦砲射撃に活躍)
天津風
1963年就役の大型駆逐艦と称する軽巡洋艦。
当初は秋月級を母体として12.7㎝砲3基を搭載した砲術防空駆逐艦であったが急遽、ミサイルの搭載と調達に目途が付き、酒匂を母体に誕生。
因みに史実においてミサイル艦としてのあまつかぜは駆逐艦(護衛艦)であるが、潤沢な予算で建造され巡洋艦として誕生している。
装甲など船体構造は酒匂と同一のもので、その大きさもあって海軍内外での種別はミサイル軽巡洋艦であり、米海軍のヴァージニア級重巡洋艦が就役するまでは西側において唯一の装甲装備型戦後設計艦であったのは特筆される点である。
酒匂も天津風に近い改修を戦後受けているが、流石に1991年には退役している。
12.7㎝砲2、魚雷発射管2、対潜誘導弾1、ミサイル発射機1
63年就役だが史実のDDGあまつかぜとは違い潤沢な予算で建造されたので日韓九州戦争後の2008年まで国防艦隊練習部隊で現役を務めた。
駆逐艦
史実と変わらないが、空母機動艦隊へ組み込まれた初春型後期型で生き残った初霜及び若葉、白露型の時雨、五月雨、夕立と全ての朝潮、陽炎、夕雲型駆逐艦は魚雷と砲塔を各1基外してボ式40㎜機銃を装備し、対空能力を向上させている。
秋月型は魚雷を全面廃止し、長10及び40㎜機銃を中心に搭載している。
朝潮型は戦後、国境警備隊に回され、1970年代まで国境警備隊の顔を務めた。
松型は一方で雷撃装備を有し、こちらが艦隊型の簡易版として運用されている。
なお、松型は戦後、ほとんどが東南アジアへ売却されている。
戦後、紫陽花型と言う艦隊型の代価版が建造され、ミサイル改修を施した型も建造され1962年まで建造自体は続き、最終艦の退役は2007年であった
潜水艦
特に史実と変わらないものが多いが、高性能潜水艦伊70、90型が就役。
伊400級潜水艦
晴嵐搭載計画は中止になったものの5式飛行爆弾と襲撃チームの母艦として就役。
その大胆すぎるコンセプトは世界中から注目を浴び、脅威の戦略潜水艦として戦後3世代潜水艦で帝国最初の原潜、潮風型戦略原潜の就役まで現役であった。
その他
橿原丸級貨客船
日ソ戦争の直前に建造された帝国郵船向けの豪華客船。史実の橿原丸もとい隼鷹。
貨客船でありながらその設計は軍艦に近く、細密化された水防区画は軍用輸送船や空母への改造も最初から検討されていた。(来号作戦で登場)
輸送艦1、2号級
史実の輸送艦1号型及び2号型。母体は松型駆逐艦である。